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教員採用試験を乗り越える!~禁句!?絶対に使ってはいけないNGワード

けい先生です。教員採用試験の願書作成や試験対策でお忙しい時期だと思います。講師として勤務されている方は、校務との両立で悩んでいるかもしれません。学校でお仕事をしながら採用試験を目指す場合は、周囲の先生にそれとなく「採用試験受けるんです」とアピールしましょう。配慮してもらえます。

1.絶対に使ってはいけないNGワード

さて、今日は教員採用試験の小論文や面接で絶対に使ってはいけない言葉を一つご紹介します。それは、

「人材を育てる」

です。

ええっ、と思われた方もいらっしゃると思います。とくに経済界の方からはお叱りを受けるところなのかもしれません。

当然ですが、社会に有為な人材育成の要素は学校教育にも求められます。しかし、それは第1の目的ではありません。ここで言いたいのは、2次的な目的ではなく、第1の目的をしっかり認識しておくことが重要だということです。それでは、教育の第1の目的とは何か?これがなかなか難しいのですが、それは、

「人格の完成を目指す」

ということです。

何のこっちゃ。という感じだと思います。私自身、これを確信をもって語れる領域にはまだまだ到達しておりません。しかしこの「人格の完成を目指す」という理念は、旧教育基本法に明記され、現行の教育基本法にも受け継がれている最重要のキーワードです。教育基本法第1条を引用します。

第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教基法第1章 教育の目的及び理念(教育の目的)

人格の「発達」ではなく、あえて人格の「完成」とするのは、かなり理想主義的な印象を受けるかと思います。事実、この問題にはかなりの論争が起こり、完成ではなく到達可能な目標にすべきという有力な意見もありました。しかし、この文言は改正教育基本法にも残されたのです。

私は、この理想主義こそ、教育という営みに必要不可欠なものだと考えます。ただ、言葉でいうのは簡単ですが、現実にはほとんど到達不可能な目標にも思えます。だからこそ「目指す」とされたのですが、それはともかく、理想を高く持たないことには教育は始まりません。

たとえば、教育の目的が「今はこのような能力が必要とされている。だから、ここまでの能力を身につけてくれればいいよ」というものに過ぎなければ、どうでしょうか。その時々の社会情勢によって教育のあり方が変わってしまい、それこそ子どもたちは大人の都合で翻弄されてしまいます。

社会の要請は一旦横に置いて、個々の子どもたちのさまざまな能力をできる限り、かつ調和的に育てる。この到達困難な理想を掲げるところに、教育という営みの特徴があります。だから、面接や小論文で「社会に役立つ人材を育てたい」と答えてしまうと、「根本が分かっていないな」と採点者に判断されてしまうことになるのです。

2 まとめ~自分は「人格の完成を目指す」をどう解釈するか

教育公務員には憲法順守義務(日本国憲法第99条)があり、民主的で文化的な日本国民の育成がその使命です。そして、旧教育基本法から受け継がれる「人格の完成」という高遠な理想のもとに教育活動を行っていくことが求められています。これから、採用試験を受ける方々には、それぞれの解釈でよいので「人格の完成を目指す」教育のイメージをもっていただければと思います。教育の第1目的がはっきりすれば、面接や小論文で何が問われても、ぶれずに答えることができるようになります。


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