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U教頭先生の思い出に捧げる

けい先生です。

U教頭先生は団塊の世代でした。

この世代の先輩方は一癖二癖ある方が多いものですが、U教頭先生は特別でした。一言で言い表すなら、男の中の男だったと思います。

ガキ大将タイプで面倒見がよく、人柄になんともいえないおかしみがありました。生徒も教師も知らず知らずのうちに引き付けられて、いつの間にか周りに人が集まってきます。カリスマ性とはこんなものかと感心したものです。

U教頭先生は時間が空くと、炊事場で料理を始めました。蕎麦がきをたくさん作って、職員室中の先生に食べさせたのを思い出します。あれは美味しかったです。体育の教師でしたが、運動神経が芸術方面にも発揮されるのか、大変達筆で、絵にも堪能。山登りで山菜を取ったり釣りをしたり、多趣味な方でした。

今でも守っている言葉

私は大層出来が悪かったので、U教頭先生は心配なさっていたのでしょう。酒席での振る舞い方から、人間関係づくりの基本を教えてもらったものです。その他にも色々と言葉を掛けてくださいました。今でも覚えているのは次の三つです。

  • 知識の切り売りをするな

  • 教師は話がうまくなければならない

  • 肩の力を抜け

私は余程、肩に力を入れて歩いていたのでしょうか。廊下ですれ違うときにU教頭先生は私を呼び止めて、「肩の力を抜いて」と言われました。それ以来、肩に力が入っていないかよく気を付けるようになりました。

U教頭先生の退職祝いの2次会でスナックに行った帰りのことです。酔っぱらってご機嫌のU教頭先生が、不意に石ころを拾い上げました。巡回のパトカーが通り過ぎたその時、くるりと振り返って後輪の辺りに、石ころを投げつけたのです。

私たちは仰天して、せっかく退職したのにタイホされちゃいますよ!となだめようとしましたが、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と平気な様子でした。時々、酔っているのか素面なのか、よく分からないところがありました。パトカーはそのまま走り去りました。

仕事を辞めるその時まで

先に挙げた三つの言葉を、愚直に守り続けたのがこれまでの私の仕事でした。これらの言葉は、そのままU教頭先生が体現された理想の教師像です。私は、この仕事を辞めるその時まで、これらを目標にし続けるつもりです。

「退職したら色んなことをしたい」とU教頭先生はおっしゃっていました。そして、退職から1年経ったころに、U教頭先生はお亡くなりになりました。

お葬式の出棺の時に、かつてU教頭先生が教えたテニス部OBの方々が並んで、「ありがとうございました!」と一礼されていたのを思い出します。

アラフォーとなった現在、ようやく自分の「型」で仕事ができるようになりました。それでも、U教頭先生はいつまでも一つの理想形として、私の目標であり続けます。そうそう、U教頭先生が「〇〇!お前は国語で何を教える?」と問いかけられたことがあります。若かった私は、ほんとうに何も考えていなかったので、答えることができませんでした。

今、その答えを出すとすればどう答えるだろうかと、この文章を綴りながら、しみじみとした気分になっています。


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