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6月2日 子どもとのケンカもある、腹が立っても許すということ

私は心から自分のやりたいことだけをやる人生を生きる
経済的・時間的自由を獲得し、
自分の定めた目標を超え続けるために日記を書く

将来のために、今必死に頭を使って、手を動かす
この日記は手を動かす自分に向けた手紙であり、指針となる

勤め人として自分の好きなことを仕事にすることができた
より自分の人生に主体的で、世の中にポジティブに関わり、世界に感謝されるような商品を作って資本主義の中で豊かに生きる

日記を書き出してから、経済的・時間的自由を獲得することができるようになってきた。目指すところは全方向に円満な人生だ。
・お金の自由
・時間の自由
・仕事の充実
・家族の仲が良い
・健康
・趣味・探求
事業の成功が鍵となる。人生の5年先・10年先を見据えて先手を打ち続けていく



最近、子どもとケンカをすることがある。それもまた善き。



前職では家にいる時間が短かった。加えて、家にいても時間を取られることが多かった。仕事量を自分でコントロールができない(降ってくる)ので、家族といる時間も本気で向き合えなかった。

常に仕事で自分のメモリを消費していた状態だった

仕事量の多さよりも「切り替えができない」ということが一番良くない。「今日の仕事はここまで!」とプライベートを切り離せないと、自分は休みの日の予定や計画を立てるということができなくなった。休日が来てもその日になってから何をするか考えて、後手を踏んでいた。

余裕がないと、子どもに対して指示的な言動が多くなる。朝の準備や寝る前など「早くしなさい」おじさんでした。いやいや従っても自分に懐かない。我が家では子どもが何をするにも聞くにも母親のところへ行くようになってしまった。大人同士のコミュニケーションでも指示的なコミュニケーションだけでは信頼関係は生まれないだろう。

親子の対等な関係や、親への意見を許さない家庭がある。しかし親の権威と子どもの尊重は両立できるし、そもそも親の権威というものは互いの対話の中で、子どもが親を尊敬した時に生まれるのであり、指示的な言動から生まれるものではない。

本気で子どもに腹が立つ時もあるし、子どもも自分に怒ってくることもある。家族同士を見ていてもけんかはある。そのときに大切なのは「水に流す、不問に処す」こと。大人も子どももどうしても間違えることがある。例えば何かを忘れたり、壊してしまったり、時に取り返しのないミスをしたり、嘘をついたり。もちろん悪いことを指摘することは大切だが、問題なのは「いつまでも不機嫌でいたり、許さない」こと。許されないと、媚びるようになる。やられた方にとって許すことは大きなエネルギーを使うことだが、「自分は許された」という感覚は相手への深い信頼につながる。いまの家族の状態が良いなと思うのは、ケンカをしても引き摺らない感覚があること。

大人に余裕があると、子どもは会話していなくてもリラックスしている。大人はひとまず家の中でゴロゴロしていればよい。自分の経験から、親子関係がこじれそうなときは特別なイベントばかりでなくても、まずは大人がリラックスしてやれば対話が生まれ、良い方向に向かい出す。


ようやく子どもが自分にも向くようになってきたかなと。自分とケンカをしても子どもも言い返してくる信頼感があればケンカをふっかけることもある。マイナスからのスタートだが、やっとケンカができるようになってきたと喜んでいるところ。子どものミス、感情的な態度というものも不問に処すだけの自分の余裕がでてきたことを喜んでいる。

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