見出し画像

2557日目、私はきっと泣いている

これは、2557日目を無事に迎えられれば、私が泣いてしまうかもしれないというだけの話です。私なりに成猫の保護に必死に向き合った記録です。

2557日というと、やたらながい気がしますよね。

話はちょうど7年前にさかのぼります。
今日はこれでもかってくらい長いです。5680字書きました。


2013年6月、衝撃が奔る。

普通にお勤めをしていた頃、職場で仕事をしていたら同僚の「また子猫がいる。」と言う声が聞こえてきた。
上司ことオジサンと見に行くと、確かにサビ柄の子猫が垣根の前をヨチヨチ歩いているのが見えた。

私たちが子猫に近づくと、垣根の中から「シャー!!」と聞こえた。
恐る恐る声の主を探すと、そこにはボロボロの小さな猫がいた。
毛が、とにかくボロボロだった。
すごく小さな猫だったから、兄妹??どういうこと??え?!??とあまりの姿に、どういう状況なのか理解できず、脳が追いつかなかった。

「どうしたの?!君どこの子なの!??」と私が言うと、
オジサンが「これママじゃない?」と言った。

私はもう一度顔をよくよく見た。言われてみると、顔つきが確かにあのネグレクトのハハと言われていたママだった。

2012年にせたじを保護した後、野良猫はあまり見かけなくなっていた。ママもほとんど現れなくなっていた。
2012年12月に1度だけ姿を見たのが最後で、全く会わなくなっていたから、もうどこかで亡くなってしまったのかもしれない…と思っていた。


突然現れたママ

ボロボロになる少し前の2013年5月9日、ママに遭遇した。
私は生きていたんだ!と嬉しくなって写真を撮った。

画像4


画像6

画像13


やたら垣根を気にしていて、どうしたのかな〜と軽く考えていた。
今から思うと、出産のためにこの垣根が安全かどうか確認していたのかもしれない。


少し前までは普通の猫ちゃんだったのに。

一体なにがあってこんなにボロボロになってしまったのか。

垣根を出てきたところで全体像を見ると、幸い大きな怪我をなさそうだった。子猫はまだお乳を飲んでいた。ママはかなり気がたっているように見えた。

仕事帰りに授乳中用のご飯を買って、翌日から毎日ご飯をあげた。
ものすごいお腹がへっていたみたいで、猛烈に食べた。
毎日、顔を合わせる度にママの毛は抜け落ちた。

あまりにも心配で、私は地元のかかりつけの獣医さんに相談することにした。
ママの状態がわかる写真を1枚だけ撮った。

画像4

写真と状況を聞いた獣医さんに「ネズミ取りにかかったことも考えられるけど、ここまで毛の抜ける速度が速く、こんなにも抜け落ちていることを考えると、人為的な何かがあったと思う。皮膚の病気ではない。もしかしたら薬品をかけられたのかもしれない。」と言われて、背筋が凍った。

先生に粉薬の抗生剤を処方してもらってご飯に混ぜて飲ませることにした。(すごい慎重な性格で飲ませるのにすごく苦労した)

こんな状態でも、ママは子猫にお乳をあげ続けて、甲斐甲斐しく舐めてかわいがっていた。でも、ママはかなり痩せているように見えた。毛がなかったのもあるけれど、私の知っていたママより随分小さくなってしまっていた。

新たな問題

ママを保護できるのか考えた。でも、乳飲み子がいる状態でどう保護すればいいのかわからなかった。出産直後で避妊手術ができるのかもわからなかった。
野良猫を何年もしている、人に心を許さない成猫を迎える事が可能なのかもわからなかった。
以前子猫を保護してお世話になった職場近くの動物病院に相談した。
(偶然にも、地域猫の去勢手術などを積極的にしている病院で、職場から近ければママの体の負担も少ないと思って。避妊はここでしてもらおうと思った。)

すると区内で保護活動をしている人を紹介してくれた。その人に電話してみると、子猫からまず保護するように言われた。子猫は親猫がいないと絶対に生きていけないから。そう言われた。

そこまで話が進む数週間の間で、毎日ご飯をあげ続けたこともあり、心の距離は思っていたより近づいていた気がした。もしかしたら、捕獲器を借りてこなくてもキャリーでいけるかも…そう思った。
でも、ママは授乳中だけど、ガリガリのわりには心なしかお腹が大きい気がした。まさか‥妊娠?とも思った。
獣医さんに確認すると、乳飲み子がいても妊娠することはあり得なくはない、と言われて思い悩んだ。


母親の強さを思い知る

数日後の金曜日、子猫の保護の作戦を立てて試みることにした。今日保護してそのまま病院に行っても、土日フリーで動ける。
子猫もママも、以前よりかなり懐いているように感じていた。
キャリーを準備して、私が母にご飯をあげている間、2mほど子猫が離れたところで、今だ!とオジサンが子猫を抱き上げようとした。その瞬間、子猫が「ニギャー!」とものすごい声で鳴いてオジサンの手に噛み付いた。

それと同時にバサっとママが急に垣根の中に入った。
ザザザっと中でそのまま猛スピードで駆ける音がした。
呆気にとられた私は、ママがオジサンのところに走っていることに気がついた。

子猫に噛まれて痛がっていたオジサンに慌てて「ママ来てる!オジサン!ママ来てる!!!」と叫んだ。

私が叫ぶと同時にママは垣根の、一番オジサンに近い場所から勢いよく飛び出して、足に噛み付いた。たぶん、そこまで5秒くらい。
でも、あまりのことに私にはすべてがスローモーションにみえた‥

名称未設定-1

(※この写真に写っているママは5月9日のママ。現場はこんなかんじ)

驚いたオジサンは本気で振り払ったけれど、それでもママは奇声をあげてオジサンに何度も飛びかかって噛み付いた。

子猫がママに駆け寄ると、ママはその場で更にオジサンに「シャー!!!」と何度も何度も威嚇した。

私はビックリして走って逃げて茫然とした。(逃げてごめんよオジサン)

あんなにガリガリで弱っていたのに。

母猫の強さを、思い知った。めっっっっちゃくちゃ怖かった。


オジサンのスーツのパンツはめっちゃ破けていた。


いなくなった子猫

その後、ママと子猫を離れた場所で見守っていると、ママはちょろちょろ動く子猫をくわえて移動しはじめた。後ろからついていくと、120m程先の、車屋さんの奥まった隙間にある、ほんの小さな空き地に入って行った。(こんな住宅街に空き地があるとは!)
私もオジサンもかなり焦った。
職場から離れて他人の敷地に入ってしまったこと、次も保護に失敗したらどうしようもないこと、いろんな考えが頭をぐるぐるまわっていた。

保護活動をしているという人に再度電話して、保護が失敗したことを告げると「子猫は親猫といればとりあえず大丈夫。失敗してもママはお腹がすごくすいているはずだから、必ず戻ってくる」と言われた。その言葉を信じて、私たちは翌週もう一度仕切り直そうということになった。

でも、翌週出勤すると、ママは職場に戻ってきていたけど、子猫を連れていなかった。隠しているのかもしれない。そう思って先週最後にいた空き地を見に行った。でも見当たらなかった。

空き地の横にあった車屋さんに確認すると、本当に悲しい事実がわかった。

「猫が1日中ずーっと鳴いていて、どうしたんだろうと思ってたんですけど、翌日見に行くと子猫が亡くなっていたんです。だからそこに埋めたんですよ」

そう言われた。


オジサンも私も本当にショックだった。信じたくない事実だった。

口にださなかったけれど、もしかしたら私たちのせいかもしれない、と私は思った。

先週は生きていたのに、今は亡くなってしまった子猫の命と、1日中その場で我が子を想って鳴いていたママを思うと、たくさんの後悔がわいた。ごめんなさいって何度も思った。涙がでそうになった。

でも私に泣いていい権利なんてないと思った。

もう、絶対にママを保護する。それしかないと思った。
これ以上ママが子どもを生まないように、避妊することに決めた。


ママの未来

長年野良猫をやっていた。目撃情報によると、少なくとも5年前にはいた。
地域猫にしようという意見もあった。
見た目はボロボロ、お世辞にもかわいいとは言えない。人に噛み付いた事実、もう懐かないのではという憶測、ママのことを迎えたいと言う人は誰もいなかった。うちには連れて帰りたくないとはっきり言う人もいた。

でも、地域猫になったところで、そこは職場。私はここに永遠に勤めるわけじゃない。ましてや自宅から2時間弱の場所。異動や退職後も毎日通えるわけじゃない。
地域猫にするなら、最期まで外でお世話をしなければいけない。
そう思うと、どうしても地域猫にするという選択を、私はできなかった。子猫を無事に保護できなかった責任も感じていた。


ママの限界

季節は夏に差し掛かっていた。ママは程なくしてひとりで職場に居着くようになった。

暑い夏の中、車のボンネットで液体のようにダラリと寝て、フーフーと荒い呼吸に、体のわりに大きく膨らむお腹。

ママの外で生きる体力の限界も感じていた。

私が仕事の合間に外に出ると、ママはご飯をねだりにフラフラ寄ってきて、食べ終わってもその場からほとんど離れず、私たちへの抵抗する気力もあまり感じられなかった。
出張から帰ってきた他の職員も「ママ猫が寄ってくるようになりましたね」なんて言っていた。

オジサンが今度は保護を確実にするために、捕獲器を友人から借りてきてくれた。捕獲したらその足ですぐに動物病院に直行することにした。
でも病院には触れない子を診るには麻酔が必要で、麻酔ををすれば万が一妊娠していても堕胎することになる、と言われた。

ママは私に出会う前にも何度も出産経験があったこと。
つい1ヶ月前後に出産したばかりで、今の体力のまままたすぐの出産を迎えることでの母体への消耗。この頃ママの排尿のおかしさも気がついた。かなり痛そうで、食事中もいきなり排尿することがあった。

本当にいろんなことを考え、悩んだけれど、万が一妊娠しても堕胎することに決めた。

堕胎の選択は本当に正しかったのか、今でもわからない。
産んだ子のすべての面倒を見てあげられるわけではないと思っていた。もしもあの時産んでいたらママは命を落としていかもしれない。でも子猫を亡くして鳴いていたママに、産ませてあげたかった。そんな風に思う事が今もある。

きっと正解はない。

一緒に暮らす選択

2013年7月11日、ママは捕獲器に入り、特に暴れもせずに病院に連れて行けた。

結果的に、5ニャンもの赤ちゃんを堕胎した。赤ちゃんはかなり大きい状態で、堕胎もママに大きな消耗をもたらした。
排尿は膀胱炎を患っていたけれど、抗生剤を打ってもらってすぐによくなった。

もしもうちに連れて帰っても家に馴染んでくれるか、という疑問。薄給の私がふたりも受け入れられるのか。いろんな迷いと葛藤があった。

でも地域猫にできない。私が連れて帰ろうと覚悟を決めた。

手術後の入院を経たママを電車で2時間かけて連れて帰ることができないと思っていたら、父が車をだしてくれた。ありがとうおとさん。


そして2556日前の7月13日、ママはうちにやってきた。(抗生剤の効果か、毛も少しずつ元に戻ってきていた)

画像7

名前はセタガヤ・クレオ・パトラさん(世田谷のクレオパトラ)

チビのママで、私の愛しい掛け替えのないパトラさん。

画像8


ハゲていた毛が戻ってきた。

画像9


初めてせたじと会った時、せたじは初めての猫ちゃんにすごく驚いていたけれど、パトラはすごく嬉しそうに「ニャーン!ニャーン!」と身を乗り出して、話しかけた。
もしかしたら、せたじはパトラの子なの?って思った。

画像10

すごく目が大きい子なのね〜!って人に会う度驚かれる!耳も大きい!

画像11


2013年8月17日 気がつけばパトラはすごく美しい子になっていた。
パトラが私たち人に勇気をだして歩み寄ってくれたからだと思ってる。

画像12



今ではすっかり毛がもこもこになった。体もモチモチ♡優しい顔になったでしょ?

画像12

本当のパトラ

パトラはものすごく優しい性格で、誰かが自分のご飯を匂いにくると譲ろうとするし、保護したばかりの子猫がお腹をすかして鳴いていたら、真っ先に飛んでいって様子をうかがうことも。
他の猫ちゃんをいじめることは決してなく、控えめで、繊細な女の子。

何度も子猫が亡くなってネグレクトだなんて言われていたけれど、全く違った。
環境や栄養等、別の問題でそう見えていたんだとわかった。

見た目が汚く見えようが、凶暴であろうが、それはその子のたった1つの側面で、他に素敵な顔をたくさんたーくさんもっている。

パトラと住むようになって、彼女はたくさんのトラウマを抱えていることがわかった。
100%家猫として馴染んでいるのか、といえば違うのかもしれない。
でも、一緒に生きることはできる。

外に向かって仲間を呼んでいるかのような声を出す時があって、私は切なく哀しい気持ちになる。
本当にうちにきて幸せだったのかはわからない。仲間もたくさん残してきた。
それでもパトラは虐待や飢えの心配がなくなり、今日も気温調節のできる部屋で柔らかいブランケットの上で眠れる。


パトラは人にブラッシングをして!と高く甘えた声でニャー!と鳴き、階段を塞ぎ横たわる。怖がりだけど、本当は甘えたがり。

ブラシ待ちのツチノコ…いや、パトラさん(モチモチ)。

画像14


私はパトラに出会ったから、うちの子に対して「私がママだよ」とは決して言わない。みんなのママは、パトラみたいに命がけで生んで育ててくれたママのはず。

だから私はママの大事な子をお預かりしているような、お姉さんのような気持ちで、今日もみんなと一緒に過ごしている。

パトラは保護時に5〜8歳くらいじゃないかと言われた。野良猫として生きた時間よりも、家猫として生きる時間が長くありますようにと、今日もめちゃくちゃ過保護されている。


パトラがうちにきて2557日目の明日、パトラの家族記念日、ブラッシングしてと言われたら私はきっと泣いてしまうな。

きっと明日くらい許される。(いや、ごめん本当は毎日好きすぎて泣いてる)

パトラは、私がこれからも償ってたくさん愛して、少しでも恩返しをしながら共に生きる猫ちゃんです。



この記事が参加している募集

読んでいただき本当にありがとうございます。よろしければ「♡スキ」やSNSでシェアしていただけると嬉しいです! いただいたサポートは猫ちゃん達のご飯や医療費として使わせていただきます。