見出し画像

肩書き、かたがき。カタガキ...①

「パパは何のお仕事してるの?」


僕は小学校の時から家族がリビングで「どうぶつ奇想天外」を見ている中、自分の部屋にある小さいテレビデオで「ごっつええ感じ」を腹抱えて笑いながら見ていた子だった。

中学生の頃、兄の影響で見始めた「爆笑オンエアバトル」

当時のチャンピオンはDonDokoDon(現、山口智充さん、平畠啓史さん)さん。

僕が憧れたのは2、3代目チャンピオン、ルート33さんだった。

スーツを着てセンターマイク1本の前で喋って笑わすその様がとてつもなくカッコ良かった。

毎週VHSに録画しながらオンエアを見て終わったらすぐに見返す。彼女を連れてきては撮り溜めたものをムード無視して強制的に見せる、そんな日々を過ごしていた。

大学3年生になった時、当時中学校のカリスマ教員になろうと思っていた僕に転機が訪れた。

「NSCいかね?」

僕のお笑い好きを知っていた友人から突然吉本の養成所に誘われたのだ。確かに漫才に対する憧れはあった。ルート33さんのような漫才がしたいとは思っていた。ただそれは自分の中で非現実的なもの。やるものじゃない。見るものだ。

しかし次の日僕はプリントアウトしたNSCの資料を握り締め、母親の前に立っていた。

「卒業したらここに行く」

「芸人になる」「お笑いがやりたい」など具体的なことを一切言わず、行くことだけを伝えた。突然の事すぎて「ん?あぁ。」しか母親から返ってこなかったのを覚えている。後にちゃんと説得されたのだが。

祖父の援護射撃もあり、親も渋々承諾しあとは入学願書の提出期限を待つのみとなった。

大学の4年から養成所に通い、大学卒業とともに芸人デビューを計画していた為、入学費用を貯めつつその前に漫才の大会M-1グランプリに出てみることになった。M-1のエントリーの期日が近づき、相方になるであろう僕を養成所に誘ってきた友達に「M-1の日程どうする?」と確認のメールを送るとまさかの答えが返ってきた。


もしよろしければサポートお願いします!サポートでもっと沢山の活動を広げたいと思います!!