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「思考のお金」から「起業家のお金」へのマネー・シフト

お金には
2種類の存在がある。

これを理解しないことには、
令和としての
より自由な人生を
構成できないと思いました。

「思考のお金」



「魂のお金」


思考というのは頭。

論理思考で成り立っている
お金の構造のこと。

例えば、
「月末に30万円毎月入る会社勤め」
なら、確実に、
そのお金をゲットできるでしょう。

月に20日くらい働いて。

でもこれって、
本当は不自然なセカイなのです。

仮に「キャベツの生産」に
置き換えてみると
(年貢のように、
   お米でもいいですが)、

月末には必ず
30のキャベツが採れる。
そして必ず、30個売れる

これが、
会社勤めにおける
「固定給」のあり方ですよね。

固定給が確実に得られるということは、
不自然なことであるということ。

ですから、
確実に得られるという
保証・安心がある代わりに、
犠牲になるものも実はあります。

例えば、
ストレスとか、
企業によってはブラックな体質とか
(“キャベツ”を確実に生産するための)
パワハラ、コントロールマネジメント

人間としての扱いから
乖離してしまうことがあるのは
ある意味当たり前です。

また、

月100万円くらい稼ぎたいな」

と思った時、

「月、せいぜい30万円

という固定された感覚の中にいると、

「ってことは100万を得るには、
   3倍以上もっと苦労しなきゃいけないの?
   そんなの絶対ムリ!」

という思い込みに
支配されてしまう可能性もあります。


では一方で、
「魂のお金」
とはなんでしょうか?

こちらは気持ちや
精神的・感情的なエネルギー
成り立っているお金の世界です。

(なんだかコリン星みたいですが。笑)

例えば、
おばあちゃんが孫にお年玉をあげる時、
それは孫の「労働?」や
「おてつだい?」に対して
支払われているのでしょうか?

バンクシーのような
アーティストのアートが、
数億円で取引される時、
バンクシーは数億円分の
「時間」や「苦労」
を費やしたのでしょうか?

パパが自分の娘(成人)に
おこづかいをあげる時、
娘は何か価値を、
お父さんに提供したのでしょうか?

“魂のお金の流れ”
とはそういう感じです。

一般的な「労働」
(取引)の概念とは
必ずしも一致しない。

スピリチュアルな占い師さんがいるとして、
20分のセッション・占いで
100万円を頂くと、
仮にしましょうよ。

それはぼったくりでしょうか?

相談者は大企業の経営者で、
経営者自身が心や魂を整えることで、
その企業全体、
つまり従業員全員のハッピーにつながる。

といった場合には、
やっぱり100万円の価値は
充分にあることになります。


「思考のお金の構造」
は見えやすい・考えやすいですが、
「魂のお金の流れ」
意識して努めないと見えて、きません

そして、
残念なことに、
小学校、中学校、高校、大学…
そこで学ぶ算数だとか学問ってのは、
その99.99999999999%が、
「見えるもの」
より正しい計算ではないでしょうか?

つまりは「思考のセカイ」なんです。

そうして優秀に鍛えられた僕たちは、
間違いなく、
「思考セカイのお金」
を扱い、生きています。

思考をベースに労働します。
生活します。
コミュニケートします。

だから、
幸せになろうとしているはずなのに、
いつも、
「お金」で悩んでしまうんです。

20歳の頃の純粋な夢を殺して、
立派な資本主義社会人へと
迎合していってしまうんです。

「思考のお金」に生きている。


だとすると、
再びハッピーを取り戻す秘訣は、
こういうことになります —

「魂のお金の流れ」へ入ること。

生き方を再び
そちらへと戻していくこと。

思考(頭)と魂(心・体)の
バランスを取り戻してゆくこと。


「魂のお金の流儀」
というのは、
思考・計算のセカイとは
相容れないと言いました。

だから、
こどもの時のお小遣いとか
お年玉の感覚に似ている。

「じゃあ私は、
   何にもしないけどお金ちょーだい!」

そういうこともできなくは
ないかもしれませんが、
一応鏡くらいは見ておきましょう。

かつては幼くて
可愛かったかもしれませんが、
今は時が過 g alkdfj …

だからそこはそこ、
ちょいと工夫が必要なんですね。

かつての「魂のあり方」でありながら、
「大人の知性」も噛み合わせる。

絶妙なかたちで
お金の流れをデザインし直す。

だって、
あなたがこどものとき、
お母さんのお手伝いをして
「ありがとう」
と喜んでもらえたかもしれない、
何かご褒美をもらえたかもしれないけど、
子供が作るお遊びレベルで、
大人のあなたがお料理を振る舞っても、
それは「価値」とは言い難いですよね。

だから、
「大人のスキル」と「純粋なあり方」
のコラボレーション。

こどものときの純粋な
クリエイションを大人のレベルでやる。

Be 内側・心はかわいく
Do 現象はハイクオリティー

だからそのプロセスにストレスはなく、
リラックスして
ゾーンに入ってるフロー
 
不労感。

放課後や休日のよう。

だからこれは、
「かつて学んだ余計な意識」
手放していきましょう
ということでもある。

オトナとしての常識は
ときに弊害になるから。

わかるかな Hey guys!


生きていく上で無視できない
「お金」という要素。

思考のセカイは有限です。

「時給換算」だろうと
「月給思考」だろうと、
「労働」の概念だから。

そのために
「体」を犠牲にするしかない。

あるいは無理な
「節約」で余剰を出すだけ。

それって苦しい。

「思考」は「体」
分離することがあるから。

正しく生きるほど
体に残る痛み、
蓄積する感情。

でも「魂」は違う。

「魂」はいつも「体」と連動している。

「あの人と仲良く付き合うべきなのに、
  (イヤだと)体が硬直する」

という時、
思考と体は異なるけれど、
魂(気持ち)と体は
同じ反応をしている。

魂の世界は 無制限 ∞

限界がありません。
いくらでも必要あらば自由自在に。

しかし、
「こちらの世界」は
基本的に「見えない」のですから、
こっちの世界に来てみないことには
— かつての思考セカイを
    離し切らないことには —
やっぱり見えてきません。
嘘のように思えます。

東京の人は
小雨でもすぐ傘を差しますが、
田舎・会津の人たちは
小雨では傘を差しません。

(これは雪国であること、
   車社会であることと関係があると
   僕は考えています)

しかしこういった世界観の違いは、
そこにいってみないと決して分からない

それはラジオの周波数のように、
AMなのかFMなのか、
ニッポン放送なのかTBSラジオなのか。

どっちに意識を合わせるか?
で見えるもの、聞こえるもの、
経験するコンテンツ、
フィールする感情が違ってきます。

「思考のセカイ」で得られるお金と、
「魂の世界」で流れるお金は異なります。

こっちの方が、自由度が高い。

気持ちよく
デザインすることができる。

起業という選択なら
それをもっと経験することができます。
主体的に意図して設計して、
受け取ることができる。
 

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Matty
 
                              

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