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お金の恐れを超える『愛の生き方』


いくら稼いでも
いくら努力しても「不安」なら

それはもう
「お金」
の問題じゃなくて

「心のあり方」

きもちの習慣

どうしたら余計な努力や
恐れを感じることなく

お金で構成されたこの世界で
楽しく生きていけるのか

不幸な人は宝くじに当たっても不幸?


お金への恐れがあると、
「労働」や「成功」
(人との比較)
「競争」の概念から
抜け出すことができません。


よく言いますよね。

「貧乏人が宝くじに当たっても
⠀すぐに貧乏になってしまう」


「お金」というのは
それを持つことによって、

(現実のことを忘れる)

「刺激」を買うことができるだけ

なんですね。


※ もちろん困った人を救ったり、
⠀ 愛の作品を生み出したりして
⠀ 社会や人に貢献することもできます。

⠀ そのことが分かっている人は
⠀ ここで反感を持たないでしょう。

ポテチ


仮に、仮に

「ポテチ」で考えてみましょうか。


冷やす必要はないけど仮に、
冷蔵庫に目一杯、
ポテチが入っているとします。


これで友達と宅飲みする時も
自分のおやつにも、
困ること、ないですよね。


いつでもそこに
「ポテチ」があるからです。


むしゃくしゃした時に
ストレス発散として
食べたっていい。

お出かけするときは
バッグに大量に詰めたっていい。

安心です。


では、

「ポテチ」が
余るほどある状態って…

幸せでしょうか?

幸せな人生でしょうか?


「食べている時」は
その行動や意識状態や味覚で、
あるいはその
咀嚼音(ポリポリ!)で、

幸福感を得るかもしれませんが…


「食べていない時」

こそメインの日常、人生

ですから、

「ポテチのある安心感」
はゲットできても、

日常が変わった
わけじゃありません。



いつも寂しがり屋の人は
寂しい ” ですし、

いつもイライラしている人は
結局は “ イライラ ” します —

大切なことは、一瞬の刺激「以外の日常」


さてこれが、

「お金」に置き換えられる話だと
感じてほしいわけですが、

どんなにお財布や銀行口座に
マネーがあったとしても、

退屈な時、
そのお金で体験やモノを消費する

「刺激」

は得ることができますが、

でも夜寝る前だとか、
朝起きた瞬間だとか、
食後とか、

ふとした時

「感じる気持ち」

は結局

“ いつもの気持ち ”

“ いつものあなた ”

なんです。


寂しい人は “ 寂しい ” し、
松岡修造
基本的に “ ポジティブ ” だし、
悲しい人は “ 悲しい ” でしょう。


そうでしょう?


これが、

心の世界だとか、宗教だとか、
さまざまなところで語られる、

「外(体外的なモノ)に
⠀求めても幸せになれない」

という本当の意味でしょう。


だから、

「お金」だけじゃ
ハッピーになれない
んです。


そういう人ほどその
真理を経験したくない
ですから

豊かさと出会うことに恵まれません。

物質レベルで豊かなはずなのに
不幸だったら、

生きていく希望を失うからです。


「お金」で経験できる
楽しさ、豊かさ、愛もあるのも
確かなことですが。

『お金のタイムライン』から抜け出す「愛」


「愛」

というものに
気付けない人は、

ずっとずっと、
「お金」を追うことになります。

つまりそれは大抵の場合、
「労働」です。


(ここでは家事なども
⠀労働という言葉に
⠀含めてみてはいかがでしょう)


幸いなことに、
「労働」
(既存の社会にある働きかた)
が肌に合っていればいいのですが…

そうでなかった場合、

「お金」=「労働」=「苦しみ」

という人生になります。


でも違います。

「幸せ」(安心感・安寧)は

「お金」で成り立つものじゃない。


「愛」によって

生み出せるもの・感じられるもの


です。


このことが分からないと
どんなに働いても成功しても、
どこまで努力しても到達しても
一向に「安らぎ」はやってきません。

「安心」できないし、
「幸せ」がずっとない、
「ゆるめない」

外に外に、
永遠に求め続ける
のです。

時には不幸である
(安心できない)理由を
周囲の人境遇のせいに、
し続けるでしょう。

そのほうが思考を
納得させられるからです。

自分に原因がある
向き合うよりも。

四次元のお金  5次元の愛



この感覚を、
図で見ると
理解しやすいかもしれません。

黒い横線が「時間軸」

(1、2、3ヶ月…
 と時の流れを表現しています)

ドラえもんの四次元ポケットや
タイムトラベルみたいに、
「時間」は『四次元』の概念です。

(三次元は
  縦・横・奥行き、「空間」)

これに対し、
赤丸「愛」は、
その時々に独立して点在しています。

時間に干渉していない
(もっと崇高、あるいは深層な)
ので、

『5次元』

ということにします。

※「 5 」次元と表記しているのは変換ミスではありません。
⠀⠀関連記事 :パラレル・ワールド・シフト



「四次元としてのお金」
に生きると、

日々、月末には支払いがあり、
そのために労働しますから、

四次元軸上(内)に自分が存在し、
その間にたくさんの労働を
経験する
ことになります。

これでは日毎、
ストレスが膨張し、圧縮され、
息苦しくなるのは当たり前です。

(人生のタスク・不安は
  ますます拡大します)


ピンとこない場合には…

学校の「宿題」と「テスト」
「部活動」「試合」

に対して、

「趣味」「遊び」

というイメージです。

お金がかからない「愛」


「愛」をあつかえる人

はどうでしょうか?


愛とは —

原っぱの緑や蝶々を眺めて
「美しいなぁ」
と感じられる瞳であり、

季節の変わり目の自然の
空気のにおいと
温度の変化に風情を見出せる嗅覚

いつも清潔な公共のトイレを見て、
「誰かが掃除してくれている、
  ありがとう
と思える心のことです。

いろんなことがありながら
今日まで生きてきた
自分の努力を労い、
そんなろくで…
素晴らしいあなた自身を
愛せる人のことです。


こういう人たちは、
たとえ
「お金のプレッシャーやストレス」
があっても、
何気ない日常で

“ お金を使う(持つ)ことなく ”

幸せな気持ちに
立ち返ることができます。


ただそこに存在する豊かさや優しさ、
あったかいもの
に触れて。

勝手に。


この瞬間 —

意識はトリップしています。

ドラッグみたいに。

(やったことないですけどね)


肉体という
三次元(立体)を超えて

時間という
四次元さえ超えて、です。


お金、数値に依存しません

絶対的・主体的
(無条件)なのです。

「うつくしいもの」が『あなた』を取り戻してくれる


芸術家というのは
美しいものを生み出し、提供し、
触れる人を魅了します。

音楽も、お料理も、スイーツも、
建築も、言葉もなんだって。


それは、
日常のストレスを超えたところから、
この地球上三次元空間
(文字なら二次元上)に
落とし込んだものであるから、

その(神様から見れば)
小さな小さな点から、

圧倒的な存在に触れるのです。

偉大な宇宙のような広がりを。


5次元に還れる。

だから意識がはっと飛ぶ。

現実(三・四次元)のことを忘れる。

回復する。


次の瞬間には
その高い、広い視野から
この現実に返り、
見ることができるから、
「解決」を見出すことができる。

問題だったことが
「悩み」でなくなったりする。

どうでもいいよと言うような海。



梅雨時の満員電車に
長時間揺られていれば、
イライラして
いじわるな気持ちにもなるでしょう。

窮屈で不愉快ですから当たり前です。

だからこそ、
本来の広いところへ一度戻る。

宇宙旅行している時きっと、
誰かにいじわるしようと
思えないでしょう。

自己否定だって
忘れることでしょう。


そういう「愛の瞬間」を、
日常でいっぱい見つけるんです、
感じる瞬間を増やすんです。

見出せる視力を養うんです。


それはスマホの画面を
眺め続けることじゃないし、

街中のしょっぱかったり
甘かったりする匂い
ずっと嗅いでいることでもない。

情報、トレンドのノイズに
耳を傾け続けることでもない。

電卓でお金の計算を
することでもない。


もっと自然でゆったりとしていて
空っぽで、なでらかな時間。

そこにがある。

豊かさやあんしん
しあわせややさしさ。


そうして、
三次元セカイや
四次元社会に飲まれない、

— 子供の頃や青春の頃
  そうであったような —

『あなた』を取り戻していける。

「愛」はいつでも生み出せるもの


そして何も、

「愛」に触れるのに
受け身でいる必要はない。


あなたの才能を使って
創ること、生み出すこと、
表現すること、
与えることもまた、

「愛」に触れられる時間、実感。


そうしてあなたは
「お金」に翻弄されない、
コントロールされない、
「ストレス」に支配されない
自由な人間でいられる。

愛は「愛」を呼び、濃くし、

愛は「愛」をますます思い出させる。


この

『愛の世界』

こそが真実です。


Matty
                       

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