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ステータス化する食道楽 柏井壽「グルメぎらい」

「美味しいものを食べることと、グルメという言葉のあいだには、おかしな距離ができてしまった。」(本文引用)

筆者が最近の食バブルを斬る、そんな新書である。

最近は食バブルが加速し、料理以外の要素が有り難がられる傾向にあると私は思っている。グルメ趣味を始めてまだ間もないので初心者の域を出ないが、そんな私も、あるいは食経験の豊富な私の知人も薄々感じているであろうこのいびつなブーム。

味よりもインスタ映えを気にする傾向、料理人をニックネームで呼ぶ風潮、予約困難店に行ったことをSNSで自慢する人、ミシュランや食べログなどの格付け。本書で述べられていることは、どれも心当たりがある。

かくいう私も「予約困難店」「完全紹介制」などと謳う店に足を運んだことが何度かあるが、本当に心の底から美味しいと思える料理なら予約が取れないのも納得はできる。一年先、二年先まで満席なのも頷けよう。ただ、予約困難店に行った、というのが最近ではどうもステータスになっている節がある。味の割に異様に持て囃されすぎではないか・・・?という店も中にはある。(店名は伏せておきます、面識のある方はまた会った時にでも)

美味しいから予約困難になるのではなく、予約困難だから行く、というふうに目的がすり替わってしまっている。予約困難店が好きなのか、予約困難店に通っている自分が好きなのか。どうも有名インスタグラマーは、後者が多いような気もする。

私は「そこまで予約が取れない店って、一体どんなにおいしいのだろう?」という純粋な興味と好奇心で訪れている。でも少しだけ、行ける時に行っておかないと次がないという恐怖心に突き動かされているような気がする。インスタはフォロワー数も大したことないし、ツイッターでも食レポはそこまでRTされないので周りの反応は正直どうでもいい。自分が食事をすることしか考えていない。

けれども時計でいうところのロレックス、車でいうところのベンツのように、飲食店でも「この店に通っていることがステータスになる」という店は確かにあると思う。その場合は自分では行けず、人に誘ってもらって「貴重なお席をありがとうございます!」とかいうんですね。これもお決まりの文句。

そんな飲食店、特に京都の割烹は本書で言及されている通り、近年かなり値上がりしているように思う。一年前に行ったら3万弱だったのが、次一年後に行ったら3万後半台だった、なんてことも。予約がすぐ埋まり、客はいくらでも払ってくれるので値付けに難渋することもないのかもしれない。

最近は割烹や寿司屋であれば、貸切で予約を取って、後からインスタで人を集めるのも主流である。グルメの人は大抵インスタをやっているので、ストーリーで募集をかければ即埋まる。そうしてますます予約が取れなくなっていく・・・。

料理人をニックネームで呼んだり、料理をするときのパフォーマンスが人気を集めたり、食べ物の写真をアップしていいね!の数に一喜一憂したり、人から誘ってもらったら自分も同レベルの店に誘わなきゃと戦々恐々としたり・・・料理全然関係ないやないかと。料理の完成度の高さはやはり食事するにおいて一番重要だが、それ以外の要素がノイズになって味にあまり目を向けられていないとしたら、残念なことだと思う。でもSNSが存在する以上は、このような傾向はなくならないはず。

この料理の旨さではなくメディアでの注目に主軸を置くグルメブームはいつまで続くのだろう?と思うのであった。

今のグルメブームに疑問を抱いている人がいれば、ぜひ読んでもらいたい本でもある。

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