<最終章 黄金時代 (少年期総論)>

<黄金時代>

僕の精神史に大きな影響を与えた漫画と映画がいくつかある。
まずは、漫画から。
僕が小学校二、三年のとき、楳図かずおのホラー漫画が最高潮にたっしていた。とくに「ヘビ女」シリーズがすごかった。
病院から退院してきた母親が、ヘビ女の刷り代わりだったり、貧しい少女が養子にもらわれていつた家の母親がヘビ女だったり。家庭という逃げ場のないところが舞台となっているのも怖かった。
当時かなりの怖がりだったので、人のいるところでしか読めなかった。
小三から小四にかけては、月間「少年」に連載されていた「鉄腕アトム」の「史上最大のロボット」シリーズに熱狂した。これは同級生たちもそうで、「少年」が発売された翌日には、感想を熱く語り合ったものだ。
中東のサルタンの命令で産み出されたプルートーは、誰が世界で一番強いロボットなのか、戦うことによって証明すべく宿命づけられている。そして世界最強の七人のロボットと戦っていく。
これは後に滝沢直樹によって「PLUTO」としてリメイクされた。
一番印象的で物悲しかったのは、オーストラリアで子供たちに囲まれて保育園の保父をやっているロボットーエプシロンだ。エプシロンは光子ロボットで、太陽の元ならば無限のエネルギーを引き出せる。
それを知ったプルートーは、悪天候の闇の晩に、エプシロンに襲いかかる。敗れたエプシロンの最後の言葉は「光を…ひかり…!」というものだった。

小学校五年生のときに出会ったのが、当時少年マガジンに掲載された石ノ森章太郎(本当は石森章太郎といいたい)と平井和正が共同原作をした「幻魔大戦」だった。
いくつもの銀河を消滅させてきた宇宙の破壊者「幻魔」が、地球にも迫りつつあった。長年幻魔と戦い続けてきた宇宙意識のフロイは、トランシルバニアの王女にして、エスパーであるルナに働きかけ、世界中の超能力者を結集させて幻魔と闘うことを決意させる。
この、異能力者の力を集めて敵と闘うというテーマは1964年から、週間キングに連載されていた「サイボーグ009」にすでに描かれていたものたったが、それが子供向けだとすると、この「幻魔大戦」は大人にも読みごたえがあるものだった。
編集部には、「難しくてわけがわからない」という読者からの投稿が相次いだという。
わずか単行本二巻の短さだが、その完成度は高い。後にハリウッドで「Xマンシリーズ」や「アベンジャーズ」という同じモチーフの映画が話題をさらったが、もうしわけないが、石ノ森の足元にも及ばない。
「幻魔大戦」には、主人公の高校生東丈(あずまじょう)がエスパーになるまでの葛藤が描かれている。
「桃太郎」にしろ「アーサー王物語」にしろ、異能者たちが集まって、敵と闘うというテーマは、人間の持つ生得的な、物語の要請によるものであり、その展開は読むものに快感をもたらすのだ。

小学校六年生の時だった。本屋で「ガロ」を立ち読みしていた。子供向け漫画に飽きたらず、おとの向けの「ガロ」や「COM」などにも手を出しはじめていたのだ。
「つげ義春」特集ということで、つげ義春の何遍かのマンガとともに、「ねじ式」という新作が載っていた。
それを読んでおおげさにいえば僕の人生は変わった。
日本では「シーュル」と簡単にいわれてしまうが、なにかわけのわからないものが、そこにはあった。
ストーリーは単純だ。ラーメン屋の屋根の上で見た昼寝の夢が題材となっているらしい。
海岸で、左腕をメメくらげに刺され、静脈が切断されてしまった少年が、医者を探して町を彷徨するという物語だ。
冒頭、海から上がってきた少年の、頭上には大きな爆撃機が黒いシルエットで描かれている。
最後、産婦人科の女医に「シリツ」してもらい、切れた血管をネジでつないでもらうが、その女医の背景にも、日露戦争の日本海海戦らしきものが描かれている。
わけがわからないまま興奮した。表現って何をやってもいいんだ、と。言葉で考えたわけではないが、解放感があった。
今思っても「ねじ式」は、日本の漫画史の特異点だろう。それ以前と、それ以降では大きく変わってしまう。
素朴な物語が支配していた世界は、ガレキのように崩れ、もしかすると僕の少年期はその時終わりを告げたのかもしれない。

子供時代、いろんな映画を観てきたが、なぜかこれを選んでしまった。大映映画の「大魔人」である。
なぜこれを選んだのだろうか。当時はゴジラやガメラなどの怪獣映画が全盛のときである。その影に隠れてか大してヒットもしなかった。
キリスト教系の学校に通っていたので、よく学校でキリスト教系の映画がかると、映画館を貸しきって観に行ったものだ。「ベン・ハー」「クオバディス」「十戒」などなど。
そのなかで一番僕を虜にしたシーンがある。イエス・キリストの生涯を描いた「偉大なる生涯の物語」の冒頭、ある星が大きく輝いてベツレヘムの村の上まで移動してくる。
それこそ神の御子がお生まれになったということを知らせるための神の顕示だ。それを観て東方から三賢者がやってくる。
その星が本当に神秘的に見えて魅いられた。その神秘性というものが怪獣映画にはなかった。
「大魔人」に話を戻そう。観たのは僕が小学校四年のときだ。追手を逃れて山奥に隠れ住んでいる世継の君と姫は、「魔の山の神」と呼ばれている神像に使える巫女に育てられている。
神像は、埴輪の武人の姿をしている。そうとう古いものだろう。その穏やかな姿は村人たちの信仰を集めていた。
しかし、主君を弑逆し、お家を乗っ取った家老は、神像を破壊しようとする。部下たちは、神像の額にタガネを打ち込む。すると神像の額からは血が流れ出す。すると地震が起き、地割れができ部下たちはみな穴に落ちて死んでしまう。

神像は左手で顔を下から上にゆっくりと擦り挙げると、その表情は憤怒の相となり、顔も不気味な緑色に変色していた。神像は光の玉となって、家老が築いている砦にやってくる。
ちょうどそこでは、お世継ぎの君の処刑が行われようとしていた。
大魔人は、お世継ぎを助けにきたのではなかった。お世継ぎの掛けられていた、磔刑の柱をつかむと無造作に投げ棄てた(お世継ぎの命は助かった)。
櫓の中に逃げていた家老を見つけるとその大きな手で捕まえ、家老を壁に押しつけると、家老によって額に撃ち込まれた楔(くさび)を抜いて、家老の心臓に突き刺すのだ。それで怒りが収まるのかと思うと、怒りは鎮まらず、容赦なく町も破壊し続けける。
身長十五尺(約4、5メートル)の大魔人は、屋根の上に上半身が見える高さですごくリアリティーがある。是非映像で見て欲しい。
そして、全てを壊しまくる破壊神と化した大魔人を止める術は無いかと思われたとき、姫が足元に取りつき、自分の命を捧げるので、お怒りをお静めください、と懇願する。その姫の涙が大魔人の足を濡らしたとき、元の穏やかな埴輪の顔となり、神像は崩れて土塊になってしまう。
「大魔人」は、僕を畏怖と魅惑で虜にした。それは、まさにドイツの神学者ルドルフ・オットーのいうヌミノーゼなものだった。ヌミノーゼとは聖なるもののうち倫理的、道徳的な部分を除いたものを指す。
それまでのSFや怪獣映画では、感じたことのない感情だった。

僕の人生を変えた映画を観た。小学校六年のときだ。スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」だ。
いとこと、何か映画でも観るか、と興福寺商店街の近くの、場末の映画館で観た。二本立て、もしくは三本立てだったかもしれない。映画も一部カットされて上映していたかもしれない。
「宇宙」というタイトルに興味が引かれたのだろうか。時間潰しのつもりだった。SFは少年文学や漫画くらいでしか読んだことはなかった。
「2001年宇宙の旅」は本物のSF映画だった。
内容はさっぱり理解できなかったが、映画はとにかくおごさかな静けさに満ちていた。多くの乗組員は、冷凍睡眠に入っていたし、起きてる乗組員はコンピューターの「ハル」と語り合うだけだ。
こんな退屈な映像を小学生がよく観ていられたかと思う。そのとき僕が見続けていた動機は、「これは本物だ」という厳粛さみないなものだった。
結末の方ははるかにわけがわからなかった。突然光のトンネルを抜けると、静かな部屋のベッドに老人となった船長が横たわっており、突然大きな赤ん坊へと変身する。
内容にはさっぱりついていけなかったが、すごいものを観たという思いだけは残った。
「ねじ式」といい「2001年宇宙の旅」といい、背伸びして大人の世界を垣間見させてもらった感じだった。
理解できないことが、こんなにも魅力的なことだとはじめて知った貴重な体験だった。

少年期のエロスについて語らせてもらいたい。
少年期のエロスを一言で語るなら、次の小話(しょうわ)がぴったりだと思う。
イタリアの児童文学作家で、イタロ・カルヴィーノ作「マルコヴァルドさんの四季」という本があった。
そこに出てくる「月と<二ヤック>」という小話が、じつに少年期的なのである。
ある夏の寝苦しい夜、少年が少しでも涼もうと二階の窓からなんとなく外をながめている。
すると酒屋の屋上の向こうに、アパートの窓から、外を見ていた少女に気づく。ぼんやり見つめ合う二人。
しかし、みつめられていられるのは、酒屋の屋上にあるネオンサインがついた時だけだ。ネオンサインの「コニャック」の「コ」の字が切れていて、「ニャック」としか光らない。
それが消えると、辺りは再び暗闇に包まれる。「ニャック」がつくとまた二人は見つめ合う。それが延々と繰り返される。ただそれだけの物語だ
少年期のエロスはまず第一にはかないものとしてある。
ジークムント・フロイトは六歳から十二歳までの、ほぼ小学生時代を「潜伏期」と呼んで、性的な活動がなくなる時期と考えた。
フロイトは『性理論に関する三論文』の中で幼児期のエロスは「多形倒錯的」という表現を用いて考察した。つまり対象はなんでもありということだ。それは幼児期だけでなく、フロイトのいう「潜伏期」を通しても実は貫かれていたものだと思われる。

漫画家の手塚治虫は少年期のエロスを発掘する天才だった。小学校低学年のころ読んでいた「鉄腕アトム」には、子供のエロスを刺激する場面がしばしば出てきた。
まず、僕が一番エロティシズムを覚えたのは、アトムが分解される場面だ。アトムの体は機械で出来ている。それはわかっている。でもいざ分解されて、内部の部品が見えるのが、なんともいえずエロティクなのだ。
そのときの僕は分解されているアトムになっている。それはマゾヒスティクな快感ということなのか。マゾヒズムといってしまうと、こぼれ落ちてしまうものが、いっぱいあるような気がするのだが。
また、アトムが、トランプという悪役から、ピストルで胸のフタを開けられそうになり、まるで女の子のように胸を隠すシーンにも、興奮した。普段は強いヒーローが、そんな弱々しさを見せるというギャップがなんともいえずエロティクだったのだ。
アトムの妹のウランが、ある時体が縦半分に別れてしまい、いくらくっつけようとしてもくっつかないという場面にもエロティシズムを感じた。
テレビアニメの「鉄腕アトム」は、僕が小学校二年から四年まで放映していた。土曜日の七時から放送するのだが、テーマソングが流れだすと、胸がドキドキして苦しいくらいだった。それはまさに今日はどんなエロティクな場面が見られるだろうかという、性的な好奇心そのものだった。

これまで語ってきたのは、明らかに性的と判るものだった。
しかし、少年期のエロスの本質は、説明するのがなかなか難しい。
これからどうにかお伝えしたいと思うが、それは微妙で繊細な経験であり、大人になった今忘れてしまった人の方が多いと思われる。
少年期のエロスの特徴は、時を忘れてただひたすら何かを眺め続けることにあるや、ただひたすら放心することの中にある。それは対象もなく、はかなく漂うエロスなのだ。少年期には、あらゆるものがエロスの対象となる。
雨だれが地面の土を穿つのをひたすら眺めている。
雪が隣の家の屋根に、狒々(ひひ)と降るのをただ眺めている。
見ているものと一体化する。回転車でくるくる回っているハツカネズミを観ていると、それと一体化してしまうような。
大沢温泉で、土産物屋の店先で、サイダーを冷やしている水がバケツから流れるのをじっと見ていた。
前に書いたが、山形で星に見とれて河原に落ちて死にかけた。
何かに見取れるというのは、大人になってからももちろんあるのだが、小学生の時期が一番顕著なのではないか。
これは、友人の体験。(1)雨樋から流れ続ける雨水をずっと見ている。(2)炬燵の炭を起して、表面を覆っていた灰が取れて真っ赤に起こった炭を見ている。(3)根元に照明のついた噴水をずっと見ている。
別の友人の体験。すべり台の上に横たわり、ぼーっと青空を見上げる。どのくらい見ていたのか、青空とひとつになる。

少年期に強く惹かれる物に向かうエロスもあった。家には鉱石標本があった。四角い箱に、 25個くらいのさまざまな鉱石が入っていた。じっと手に取り眺めるだけなのだが、金そっくりの黄鉄鉱。銀よりキラキラしている白鉄鉱。水晶。石英。蛍石。白雲母、黒雲母。角閃岩。橄欖石。瑪瑙(めのう)、アメジストなどなど。
僕は一時期、鉱石たちを静かに愛していた。
昆虫に夢中になったのは、三、四年生のときだったろうか。いつも捕虫網を持って歩いていた。
それでセミを取り、蝶を取った。アゲハチョウや銀ヤンマをみつけると、胸が高鳴った。網を持って飛んで行った。
クヌギとコナラの木には、樹液を求めてカブトムシやクワガタが集まった。カブトムシはいや、というほどいて、クワガタの方が価値が高かった。
ある晩、食事が終わって居間でくつろいでいると、窓からオニヤンマが突然入ってきた。ゆっくり堂々と電灯の周りを一周し、辺りを睥睨(へいげい)して出ていった。その迫力に息が止まるかと思った。
あと、強いエロスを感じていたのが、プラモデル屋だ。全てのものがキラキラして見てられないほどだった。プラモデル屋で何があるのかと探しているときの至福感といったらなかった。
一度潜水すると、二度と浮上してこない潜水艦(実験では浮上したのかもしれないが、実際持った重さの感じでは浮上するはずないと感じていた)とか、煙突から煙を出す戦艦(これも企画倒れだったようで、煙は出なかった)とか、変なものが色々とあった。
すごく手間のかかると評判の「日光陽明門」と源義経の鎧兜、一メーター半はある戦艦大和は、我々を嘲笑うかのように、店のショーウインドウの奥に鎮座してい た。

小学校四年生までは、全く女の子に興味がなかった。眼中にも入ってこない。
もちろん遊び仲間の女の子はいたが、向こうは向こうで、ゴム飛びとかやっており、一緒になにかやることは少なかった。
そのころ、テレ ビの時代劇で、お姫様を連れた主人公の侍が出ていたが、お姫様を狙って敵は襲ってくるし、なよなよして頼りないし、主人公はなんでこんな足手まといな者を連れていかなければならないのかと、大いに不満に思ったものだ。
それが小学校の五年生のときだった。一学年下の女の子に、膝まである白いブーツを履いてくる女の子がいた。
そのブーツにこころを奪われた。白いブーツは豊かさの幻想をいやでも掻き立てた。
どんな家に住んでいるのだろう。どんな家族と暮らしているのだろう、とその子のことを様々に思い描いていた。女の子のことをそんなにも考えたのは、生まれてはじめてだった。
それが僕の初恋だった。たが、その初恋は、冬が終わり少女が白いブーツを履いて来なくなって、終わった。僕は少女より、その白いブーツに恋していたのだ。

マッチの火をつけ、相手に向かって次々と投げる。相手はアタフタと狼狽し、必死に逃げようとする。その姿が滑稽だった。相手の慌てぶりが、ますますこちらのいじめゴコロに火をつけた。
いじめていたのは、「タダちゃん」という碁会所の息子だった。生まれながらに脳性麻痺で言葉も不明瞭だし、歩くときも足を大きく振り回すようにしないと歩けなかった。
あまり見かけることがないタダちゃんが、なぜ僕らのテリトリーにやってきたのか。距離的には家から五十メートルくらいのところだが、彼にとっては小さな冒険だったかもしれない。
その挙げ句ワルガキ三、四人に捕まってしまったのだ。
当時のガキ大将の命令で、マッチの火をスッて火を投げつけるようにいわれた。僕も参加した。弱いものいじめはしたくなかったが、ガキ大将の命令だ。だがやっている内にしだいに面白くなってきたのかもしれない。いつしか熱中していた。
その場面を僕の後頭部の斜め上の辺りから、記録しているものがあった。
何の善悪の判断も入れることなく、それはただ淡々と記録していた。
その時の記憶がいまでも繰り返しやってくる。道徳的な非難ではない。ただ「お前は何をやったのか」とくりかえし黙って突きつけてくるのだ。
風の噂に、タダちゃんは二十歳になる前に自死したという。

もうひとつのエピソードを
語らせてもらいたい。これは西区岡野町にある、親戚の家に遊びに行ったときのことだ。
お酢の匂いにむせながら、休日の酢醸造工場の敷地内にもぐりこんだ。
集まったのはいくつかのグループの寄せ集め集団で12.3人くらいの小学校高学年の子供が集まっていた。いつもここで遊んでいるグループが多いようだった。
早速二手に別れて、銀玉鉄砲の打ち合いを始める。広い工場だけあって、内部は複雑であちこちに隠れ場がある。
何回「玉拾いタイム」を入れただろう。気がつけばもう夕暮れになっていた。
決着をつけるために、それぞれかのチームから、一人づつ代表者を選らんで、五メーター先のバイクのエンジンを標的にして、命中させたものが勝ちということになった。
銀玉鉄砲をやった人ならわかると思うが、離れた的に当てることは至難の技だった。
相手チームの代表として出てきたのは、小学生としては、背の高い端正な顔立ちの大人びた少年だった。「カミヤマ君」といった。それに対し、こちらのチームはなぜか地元に関係のない僕が選ばれた。
さあ、いよいよ決闘のはじまりだ、三発づつ撃ち、多く当たった方が勝ちというルールである。
最初の僕の初弾ははずれた。カミヤマ君は、一発目から決めてきた。二発目は僕も成功した。カミヤマ君は二発目もエンジンを捉えてきた。僕の三発目、これも当てることができた。

いよいよカミヤマ君の最後の一発だ。これを外せば僕と引き分けになる。
みんなが固唾を飲むなか、カミヤマ君は冷静に最後の一発を 決めた。敵陣に歓声が挙がる。
もう、家に帰らないといけない時間だが、みな名残惜しそうに三々五々残って、今日の戦いぶりを振り返り語りあっている。
特に今日のヒーローであるカミヤマ君は、みなに取り囲まれて、いろいろ話しかけられニコニコと応じている。僕も彼に尊敬と友情を感じ、この町に来たらまた会おうと約束を交わした。和やかな雰囲気のなかで終わるかと思ったときだった。
負けたほうのグループの誰かが、カミヤマ君に向かって「やーい、二世(二世とは、日系二世とか三世などと使うが、両親の片親が外国人のことを指す。戦後間もなくは二世の親は、駐留軍と呼ばれたアメリカ兵と日本人の女性という組み合わせが多かった。だが、多くのアメリカ人は故郷に妻子がいて、駐留期間が終わると、日本人妻は捨てられてしまうことが多かった)」とからかいだした。すると、なんということだろう。味方だったものたちさえ、いつの間にか「二世、二世」と囃し立てだしたのだった。そのいつ終わるともなく続く「二世」の合唱のなかでも、カミヤマ君は俯きもせず、じっと前を向いて黙って立っていた。
ちょうど川沿いの道だった。辺りは暗くなっていた。そのときの回想シーンはこうだ。
街灯に照らされて、中央にカミヤマ君が一人立っている。彼を取り巻き囃し立てる子供たちの群れがいる。音はなく。無音の世界だ。
そして場面全体を斜め上から、観察しているものがある。
「神の眼」とかではない。道徳的判断は一切ない。ただじっと淡々と記録するものがあるだけだ。

この二つのエピソードに共通しているのは、三点ある。
まず、自分の主観的視点から見ているのではなく、斜め上方から全体を俯瞰している視点で記録されていること。まるで「臨死体験」で、体外離脱体験の時の視点とよく似ている。
それは心肺停止となった者を、医師たちが蘇生しようとしているのを、天井辺りから見下ろしているというものだ。
さらに、今していることに「お前は何をしているんだ」という無言の問いかけを感じること。決して責めてくるわけではない。非難とか自責とか、そういう道徳的な判断はいっさい保留されている。そこには冷徹な眼差しがあるだけで、神は存在しない。
なかば勝手に想起され、その場面を執拗に突きつけてくること。そこには、忘却という逃げ道は用意されていない。
これを行ってくるものを、僕はあえて道徳的な判断を停止したものとして、「装置」と呼びたい。きっと人間には、誰もに内在しているものだと思う。
その装置は、やはり倫理性に関係していると思われる。「いまお前のやっていることなにか」とそれは問いかけてくる。
ある違和感を感じた場面を、繰り返しつきつけてくる。過去、強烈な体験はいやほどしてきた。だが、これほど繰り返し想起されるものは他にない。
「装置」は内なる倫理の基礎となるものだ。人はその羅針盤を抱いて、それぞれの人生を生きていく。

僕はこの宇宙に生まれて良かった。その片はずれにある銀河系に生まれて良かった。太陽系に生まれて良かった。
奇跡的に地球に、人間として生まれて良かった。。
昭和三十年代の日本に生まれて良かった。横浜に生まれて良かった。新川町に生まれて良かった。

僕の生まれた場所へ感じる愛情とは、愛国心や郷土愛などではない。特別な場所に生まれたとも思ってない。たまたまある場所に生まれ、ただその場所とそこに流れる時間をひたすら遊び尽くしたという充実感があるだけだ。
だが、もし自分が不幸な場所に生まれたと感じている人がいるなら、十五歳までは待とう。
そこからは、自分の力で世界を変えることができる。人を殺すこと。自殺すること以外は、やってはいけないことはなにもない。自由だ。だからこそ生きるのは難しい。
何をしようともふてくされるのだけは、やめておこう。ふてくされることは、せっかく生まれてきたこの人生を、内側から腐らせてしまうことなのだ。
矜持(きょうじ)を持とう。根拠がなくてもいい。自分に誇りを持とう。地上の形あるどんな財宝よりも、それが一番得難い財産だ。
矜持を持つことは、逆説的だが、おごりたかぶるのではなく、謙虚になるということだ。誰に対しても、どんな物事に対しても、関心を持ち、尊重出来る態度。それが矜持を持つということだ。
少年期を生き抜くための、アーサー王にとっての「エクスカリバー」のような至宝の剣、それこそが矜持なのだ。

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