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漢方薬で効く?~パラレルとは症状か体質か単なる気のせいか~

朝、出そうと用意したゴミ袋を
いったん足元におき、
靴を履いてバッグを肩にかけ、
そして、
足元のゴミ袋はすっかり忘れ玄関を出る、

今夜は鍋にしようと、
ポン酢が切れていることを思い出し
スーパーに行き、
余計なものをさんざん買った挙句、
ポン酢だけ買い忘れて帰宅する。

休日に買い物へ行こうと
車で出かけてまっすぐ
職場に着いてしまったことも
一度ではない。

これらは自分の忘れっぽさが原因だ。
偉そうに言えたことじゃないが、
ちゃんと自覚がある。

買い物行くのにお財布を忘れることが
磯野家の主婦には愉快なことらしいが、
実生活の私は不愉快だ。


私には子供の頃より注意力散漫なところがあり、
大人になってからも
忘れっぽいところは変らなかった。

とはいえ、
忘れっぽさの質というか、特徴(?)に、
何か、類が異なるものがあるように思えてならない。

職場の仲間と話している最中に、
たった今、自分が何を話していたのか
急にわからなくなる瞬間があったり、

洗面所にきたものの、
料理の途中でもないのに
片手に持っている「おたま」に気づき、
洗面所という場所との整合性を必死に探るが
まったく結びつかなくておたまを見つめて洗面所で
しばらくボーっとしたりする。

自分の注意力の散漫さを否定できないとはいえ、

自分以外の人がするはずのない家事や
職場での入力作業など、

やろうと思っていたことが
既に済んでいたり
数秒前に置いた物の位置が
全く違う場所に移っていたりするのは
首をかしげるばかりだ。



あるとき、ドラッグストアで漢方薬コーナーの
「物忘れ」とあるパッケージを見つけ
飲んでみようかとかなり悩んだ。

しかし、びっくりするほどそれは高かった。
金額を凝視しつくすと、それをそっと棚へ戻した。


そんな中、
やっぱり漢方とかのハナシじゃないんじゃないの⁉
という出来事を体験した。

自宅アパートでの「飛ばし」だ。
階段の「」飛ばしではない。

二年前の10月頃のこと。
その日はいつになく荷物が多く、それは耐えきれないほど重い。

私のアパートにはエレベーターがない為、
自分の部屋のある階までそれを持って
階段を上らなければならなかった。

階段は螺旋状になっていて、
上の階へ着くのに二度、階段を上がる。
つまり、
7~8段ほど上った後、クルッと180度
向きを変えて残りの段数に臨む。

この「クルッ」に、踊り場を
三歩、歩かなければいけないのだが
これまた、腹が立つほどキツい。

やっぱり横着しないで
荷物を二回に分けるべきだったかと
数段上ったところでもう後悔を始めつつ、
それでも足を前に運ぶ。

階にたどり着いただけで
根性なしの私はその重さのあまり、
息とも声ともつかない音を発しながら
インターバル10カウント。

「ロッキーのテーマ」を脳内再生して
鳴り響くゴングとともに、憎き階へ挑んだ。

1ラウンド以上に息を切らしながら、
「クルッ」を制し、残りの階段を上りきり
真正面にある階数の文字板へ視線を向け
私は目が点になった。



今、上って来たのは階からの階段だ。

しかし、縦横15㎝くらいある
その階の表示板は目を凝らしてもやはり「


息とも声ともつかない音を発したまま
両手のクソ重い荷物も構わず
仁王立ちに、その数字を凝視した。

「クルッ」の回数は二度、
インターバルは階での一回だけだ。

私の肺活量と筋肉はインターバル一回で
階まで一気に昇るなど、不可能である。

私はロッキーのテーマとともに
絶対に「」へ挑んだのだ。

なのに目の前にある数字が
何故「」なのか?

」はどこへ行ったのか?

わざわざ下の階に下りて
確かめる気力もなかった。

確かめに下りたところでどうなる。

混乱しつつバルコニーから見下ろす高さは
どう見ても4階だった。


あれは4~5歳の頃、原っぱで一人遊びをしていて
目の前にある黄色いつぼみが
スローモーションで開くのを見たことがある。

タイミングよく自分が居合わせただけで、
花はみんな、そんなふうに咲くんだと
何も疑わず、うっとり眺めた。

注意力散漫と大人にたしなめられ
全部自分の勘違いと思い込んで
忘れてしまったことが
たくさんある気がしてならない。



・・・なんて言い切ってみたけど

やっぱり
ちょっと高くても漢方薬買った方がいいのかな?














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