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つりがね草と魔女

何だかんだと5月が終わりそうだ。

2024年も折り返し地点なんて思うと、心なしか焦る。
何に対して焦るのかわからないけど、それでも意味なく「ヤバみ~」と心許なく思う自分がいる。

5月の次は間違いなく6月。

6月といえば『水無月』だが、祝日も無い月である。
梅雨の時期でもある。
食中毒が一気に増える季節である。

やだやだ、もームシムシして!
洗濯物がビミョーに乾かないのよね~
お弁当に入れるものも気になるのよねえ

ホント、うっとおしい時期よねぇ

そんな時期に私は生まれた。



私のことはキライでも、6月のことは嫌わないで下さいっ!





からの~?


もいっちょ♪




ちょっとうっとおしい時期とはいえ、この季節に咲く花は、私が大好きなものが多い。

露草、紫陽花、あと、釣鐘草。


和紙の質感に似た花びらが好き♡


つりがね草は洋名を『カンパニュラ』というのだが、この花を見ると自動的にリストの『ラ・カンパネラ』という曲が脳内を流れる。

『小さな鐘』って意味はどちらも同じだけど『カンパニュラ』はラテン語で『カンパネラ』はイタリア語、なんだって。

とか言っちゃうとクラシックに詳しい人みたいだが、まったく人並み。

なのに、そんな私の平凡な脳は『ラ・カンパネラ』から、さらにいつしか『フジコ・ヘミング』という新しいシナプスを形成していた。

どこかで彼女を見たり聞いたりするたび、流れているのがいつもこの曲だったからだろうか。

理由はちょっとよくわからないけれど。



先日、我が家の小さくないつりがね草、愚息たね二郎がソファにどっかり咲いてテレビのリモコンをもてあそんでいたが、そのうちため息をついて叫んだ。

「あ”ー!何か、なんもねぇ‼」

「何か、なんもねー」
『何だか、何もない』ってどういう日本語なんだろう。


TV番組はどのチャンネルでもぎっしり組まれてるから、番組が無いわけではなく、自分の興味をそそるものが何もないという意味なんだと思うが。

最終的に、彼は「公共」という名の料金がかかるチャンネルに合わせてリモコンを放り出した。さらにつけっ放しのテレビを前にスマホをいじり始めた。

見ないなら消しなさいよと言う私の声を無視。

枯れてしまえ…と、ソファに咲いた大きな愚草に毒づきつつ、私はスポンジにムダな握力を込めて皿を洗う。

川へ洗濯行ったり、風呂洗ったり、皿洗ったり。
何だろう、私はいつも何かを洗っている…
そんなことをぼんやり考えながら、皿をキュキュッ!と鳴らしていると、水音に混じって聞こえるピアノの旋律。

聞き覚えのあるそのメロディに手を止めて思わず振り返ると、たね二郎もいつの間にか、食い入るように画面を観ていた。

「すげ…」

画面は、在りし日のフジコさんがピアノを弾いているコンサートの様子であった。

「このヒト、誰?」

「フジコ・ヘミング、知らんの?」

「曲は知ってるけど、この人は知らんかった」

またしばらく、画面にくぎ付けになるたね二郎。

「これ、何なん?」

「何が?」

「何のパフォーマンス?」

たぶん、フジコさんの衣装とか、ヘアスタイルのことを言っているのだろう。

「何って、これがフジコさんスタイルだけど?」

「マジか…」

画面には彼女がピアノに向かう丸まった背中と、乱れ髪の妖艶な横顔がアップで映し出されている。

「なんか、すげぇんだけど…」

無造作が過ぎるほどにゆるく結わえた白金色の長い髪、レースのカーディガンに着物の布地を合わせるいで立ち、横顔や背中の曲がり方で推定される年齢、そして、それらからはまったく想像しえない音を奏でる指先、すべてに対して

「マジですげー」

画面を凝視したままたね二郎は呟く。

「すげぇってしか、言いようないんだけど…」

たね二郎は、おのれのボキャブラリーの無さをはがゆく感じているのだろう。
そんなあんたが私もはがゆい。

しかも、たね二郎は地声が大きく、ボリューム調整がヘタだったりするので、他人にはこれが独り言とは思えない声量である。

「すっげぇ~!」

そんなたね二郎は正直者なので、めったに何かを褒めない。

そのたね二郎がさっきからこの二文字をただ繰り返す。

「すっげーわー‼‼」

「うっっっさいわ!」

ツッコむ私に苦笑いしながら「イヤ、まじで」と、たね二郎は画面を指差して今度は聞こえないくらいの声で囁いた。

「久しぶりに感動したわ~…」

「え?何て?」

「・・・」

たね二郎の気分は眉毛に出る。
耳の後ろに手を当ててニヤつく私が気に入らなかったのか、眉間は寄り、眉毛と目もくっつきそうなくらい接近したので、そっと話題を戻す。

「フジコさん、この前亡くなったんだよ」

私の言葉に今度はたね二郎の眉はパッと開き(驚き)、スマホをタップする。

「享年きゅうじゅういちぃぃ⁉」

「そうだよぉ、最期まで弾いてたようなもんだよ」

「すっげ…」

語彙力ない割に、「すごい」の言い方が微妙に違うたね二郎。指はスマホの画面をスクロールして行く。

「どの画像見ても全部、魔女なんだけど」

そう、フジコは魔女だ。
おまえは『ラ・カンパネラ』の一曲で、今日初めて見たフジコの魔法にかけられたのだ。

「魔女といえば」

魔女という単語に反応して、フジコに圧倒されまくりのたね二郎を遮ってみる私。

「あんたたち小さいとき、お母さんのこと魔女だって疑ってたよね?」

「え?あー…」

たね二郎はふっと薄笑いを浮かべたが、すぐに意識は『鍵盤の魔女』フジコへ。

「あの頃ってさー」

「ちょっと黙ってて」


魔女ではなく、私は邪魔だった。



長男たね太郎と共謀して、彼らは私を「監視」していた頃がある。

私に感づかれないようにしているつもりだろうが、たかだか5~6歳児の彼らの行動がバレないわけはない。

洗濯物を取り出す廊下のかげで、食器を洗う台所のテーブルの下で。

彼らは私のことをしつこいほど見張っていた。

自分たちが良からぬことを考えていたり、それをしようとすると、いつも見透かしたように私が言い当てたり指摘することが「何でバレちゃうんだ?」と、不思議でならなかった彼ら。

そんなある日、物置きで見つけた竹ぼうきで「もしかして、オレらのお母さんは魔女なんじゃないか」ってことに行きついたらしい。

それで「魔法をかけるところを見つけよう!」と二人で思いついて「尾行」と「張り込み」は開始された。

私もかつて、彼らの魔女だった。
飯を食わしてくれる魔女、パンツを洗ってくれる魔女。

もし本当に、呪文を唱えて魔法を使う場面に出くわしたら、やつらはどうするつもりだったんだろう。

もしかして、私は二人の息子らの手によって裁判にかけられたんだろうか。。




・・・



フジコさんはつりがね草の季節を待たずして天国へ帰った。
生涯独身で、保護猫とともに暮らし、リストをこよなく愛していたという。


あなたと『ラ・カンパネラ』は、たね二郎の脳内にも間違いなくシナプスは連携したと思います。



『ラ・カンパネラ』とフジコさんに愛を込めて。

釣鐘草には「感謝」の花言葉があるので
感謝を伝えたい方に贈るのに良き♡


フジコ・ヘミング (ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ)
1932.12.5~2024.4.21(享年91才)

その半生が波乱万丈だったため、1999年にNHKでドキュメント番組や、2003年フジテレビ系列でドラマ化されるるなどして一気に有名になった。
デビューアルバム100万枚、その他を合わせると売上は200万枚を超える。 クラシック業界でミリオンセールスの記録を持つピアニストは稀。

『間違えたっていいじゃない、機械じゃないんだから』
『人生って短すぎる。少し賢くなったらもう歳取ってるんだから』
『自分にふさわしい時期がくるまでひたすら待つというのも大切なこと』

独特な感性から生まれる名言も多数。



なんのはなしですかついでにこちらも ↓

ぜっんぜん違う曲に聴こえて笑えます。
(最初の1分だけでもいいので聴いてみてください)


あ~あ、私もそろそろ魔女に戻ろっかなー…






#なんのはなしですか
#賑やかし帯


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