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循環の掟~出すから入る~

気づきを得るにもリスクは伴う?


「あ、これはヤバいかも!」
と、思ったときには遅く

私としたことが
お土産に頂いたお饅頭を
(若干大き目かも)と思ったのに、
(いつもそう思ったことははずれないのに)

そのままほおばったところ

案の定、むせてせき込んだ勢いで
辺り一面、
口の中身を放出してしまいました。

喉に詰まるってホントにキツイです。

どうやって息を吸い込めばいいのか
わからなくなるほどむせました。

気づくと
斜め横に座っていた息子たね二郎は
「大丈夫?」の声をかけてくれるでもなく、

瞬時に私からソーシャルディスタンスを
取っています。

せめて突っ込みくらいくれてもいいのに
無言で視線もテレビ。

一人じゃないのに、孤独。


ようやく咳も出尽くし
息も通常モードに戻ったところで
無残に散らばった
我が放出物を拾い集めようとして

「やっぱり、出す方が先なんだ」

ふと、気づきました。



なぜに「呼→吸」?

「呼吸」の「呼」は
声を出す
という意味がありますが

この言葉の成り立ちに
「吸う」の前に「呼」があるのは
何故だろう?
と、常々思っていました。

「はい、深呼吸して」

レントゲン撮影では
無意識に
先に息を吸って
ました。

私はマイノリティですか?

という話ではなく、

食べ物を喉に詰まらせて
息が吸えない非常事態に
「先に出せ(手放せ)」と
私の肉体(脳?)が掟に従った

「出さなきゃ、入らないでしょ」
そういうことか、と
理解したという話です。

「出すから入って来る」


『お釈迦様の教え』
という子供向けの本にあったお話から
させてください。
私が子供のころに抱いた疑問です。

お釈迦様の弟子が托鉢に出かける際、
お釈迦様は彼らに
「貧しい人から頂いてきなさい」
と、おっしゃいました。

弟子たちは
村で一番貧しい家に向います。

あとのストーリー展開は覚えていません。


断捨離も布施も同じ法則


「なぜ、足りてない人から
更に奪うようなことを?」

その疑問は心の隅に残っていました。

「呼吸」という字の成り立ちに
ヒントがあったんだねー
というか、答えですよね。

なんで気づかなかったんだろ。

「与える(出す)」から「受け取る(入れる)」
そうして、エネルギーは流れます。

お釈迦様は
エネルギーの法則を説いた
ってことなんですね。

豊かさを取り込むため
「まずは手放してください」

断捨離とか、布施の本質って
エネルギーの法則ですね。

勢い喉につまらせて
むせて苦しんだことで
私は重要な気づきを得ました。
合掌。


気づきは得たけども・・・

しかし、一方で

むせて咳き込んだと同時に
私から距離を取り、

これでもかというくらい蔑んだ視線によって
息子は私を断捨離しました。

見放されることで気づきを得る

これも循環、と思うことにします。




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