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出かけてきたよ⑰(90年後のお礼参り④)

「お多賀さん」の街に別れを告げ、小さな列車に乗り、彦根へ。
彦根へは、ずいぶん昔、母方の祖母と共に訪れて以来だ。

遠くに暮らす祖母は、いつも秋の頃、関西にいる私達を訪ねてくれた。
祖母は、神様と家族。そして美味しいものが大好きな人だった。
関西滞在中は、祖母・母・私の三世代で、
方々の寺社仏閣とその周辺の街のグルメを楽しみに出かけた。
私の寺社仏閣・グルメ好きは、祖母譲りなのかもしれない。

彦根には、竹生島を訪れることを主目的に宿泊した覚えがある。
祖母とは、日帰り旅ばかりしていたので、
珍しい”関西でのお泊り”は、特に嬉しい思い出となった。

彦根駅に着いた。
彦根城には、どちらに行けばいいのだろう?

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おっと、ここにも、お使い様😸が登場。
早速、矢印に従って、駅を出る。

お多賀さんでゆっくりさせてもらっていたため、
辺りはすでに、暮れなずむ頃だった。
急がないと。お城の閉門時間に近い。

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お城から、夕日と近江の街を眺めた。
群青色の空の下方は、宇宙の色。
言葉に表せない美しさとは、このことだろう。

遠くに、竹生島が見える。祖母の言葉を思い出した。
「小さい島でしょう。神様だけ、お住まいなのよ。」
神様の島を遠くに眺めながら、祖母を想った。

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祖母は、闊達で好奇心旺盛。エネルギッシュで人望厚い女性だった。
そして、思慮深く、読書・学問好きで努力家な一面も。
商いをしていた曽祖父母は、「祖母が男だったらよかったのに。」と
跡取りとなる、おっとりとした祖母の弟を見やって、そう言ったそうだ。

祖母も、「男だったらよかったのに」と思うこと多々あったそうだ。
木に登ろうとした。「とんでもない、危のうございます。」と止められる。
弟達には、何も言わないのに。

大勢と遊ぼうとした。「お転婆は、縁談に差し障ります!(!?)」。
弟達には、何も言わないのに。

縁日に行こうとした。「あそこは、お出かけになる先ではありません。」
弟達には、何も言わないのに。

先生にもお墨付きをもらって、東京の学校に進学したいと言えば、
「女に、学問なぞ必要がない。」と縁談を山と、持ってこられる。
弟達は、逆にハッパかけられ、進学のため東京に送られたのに。

「学校の先生になりたい。」といえば、
「血迷ったことを。働くなんて、はしたない。お前がすることでない。」
弟達には、働け、商いを覚えろと、叱咤しているのに。

そして、祖母は親同士が決めた縁談で、結婚をする。
見合いで、祖父に会ってはいるが、親同士と仲人が話をするばかり。
「お前は女なのに、鼻っ柱が強すぎる。席で話すな。顔を伏せていろ。」
と、祖母は言われたため、未来の夫となる祖父と言葉交わさず、
顔もちゃんと見ないまま、祝言の日を迎えている。

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幼い私は、祖母が受けた家族からの理不尽な振る舞いを、悲しく思った。「お祖母ちゃん、本当は先生になりたくて。結婚もしたくなかったのね。」
祖母は、即座にそれを否定した。
「私は自分の思うままに生きるばかりでなくて、よかったわ。」
だって。先生にならなくても、人に何かを教えたり、教わったりしたよ。
あの時、お祖父ちゃんと結婚したからこそ、幸せだった。

大きな商家で育った祖母は、大ぜいの人達の中で育った。
大人達の様々な強さや弱さを、幼少の頃から目の当たりに知ることにより、
自分はどうありたいか、確固としたビジョンを持つ女性だった。

見合い結婚し、”奥様・お母様”におさまった人生を送ったことは、
周囲の思惑のままのように見える。
しかし祖母は意志をもって、人生を生きたのだと、今は理解できる。
まずは自分の幸せのために。そして、周りの人の幸せのために。

祖父と結婚した後も、祖母は地域社会で、あらゆる人々の世話を続けた。
祖父は、愛溢れていた上、とても開けた人間だった。
祖母の地域ボランティア活動を全面的に理解し、支持した。
生まれ育った実家でよりも、
祖母は、自分が考えたいまま考え、話し、行動できるようになった。
祖母は結婚後の方が、「自分のまま」生きることができたのだ。

祖父は、わたしの母が小学生の頃、病死している。
歯科医師として、地域の人々の健康に尽力した。
穏やかな祖父を慕い、医院の待合は、いつも人が一杯だったそうだ。
(おそらく患者さんでない人も、混じっていたのだろうと聞いている)

祖父が亡くなって、初めての12月のある夜。
祖母達の家に、祖父と懇意にしていた”ヨコさん”が訪れた。
「先生に、家族ぐるみで良くしてもらったことを感謝しています。」
差し出された大きな箱には、当時珍しいクリスマスケーキ。
母は、その大きさとバタークリーム特有の甘さ、厚意を忘れないという。
”ヨコさん”の訪問は、”ヨコさん”が病死する前年まで続いた。

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夜。帰宅してすぐ、PCを立ち上げる。
教え子との時間が、近づいていた。
祖母は、驚くだろうか、私が教職に就いていることを知ったら。

「お祖母ちゃん、私、お祖母ちゃんの代わりに、先生になる。」
「あらあら・・・・。ありがとう。
 でもね、お祖母ちゃんの代わりは誰にもできない。
 ”お祖母ちゃん”は、お祖母ちゃんにしか、できないの。」

私の代わりは、誰にもできない。
”私”は、私にしか、できない。
だから、私は先生となった。
いつもに増して、教え子との時間を楽しみに、あらためてそう思った。
お祖母ちゃん、私は、自ら選んた道を歩む人生を送っているよ。

家族、私のこと。
たくさんの命のことを、考えた1日だった。
それはきっと、「お多賀さん」のお導き。
そうだ、然るべき時、竹生島にも、ご挨拶にうかがおう。

近江を訪れた一日が、もうじき終わる。

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