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”ニノモエエ”

「ニノモエエ」
Yさんの品の良い口元から、かすかにそう聞こえた。
にのもええ、って。なんだろう・・・?
周囲に、何か手掛かりになるものが無いか、思わず見渡した。
ニノモ?にものえ? 今日のおかずは、煮物じゃないし。
もとより今は、ティータイムだ。
Yさんの前には、食べている途中のゼリーが、光を放っている。
横のテレビから、相変わらず芸能ニュースが、のんびり流れている。

私は、介護を必要とする高齢者が暮らす施設で、Yさんと出会った。
Yさんは、美しい人だった。
整った、華やかな顔立ちに、好い香りがほのかに漂う。
ハンドクリームは、ご本人好みのバラの香りだった。
バラが好きなことに加えて、ジャニーズ系アイドルも好き。
部屋には、バラの写真と、かっこいい男の子達の写真でいっぱいだった。

美しいのは、外見だけでない。
自ら生きる意志のある、内面の美しさも持ち合わせている人だった。
動かせる半身を使い、時間をかけてでも、身の回りのことをされていた。
匙をもち、ひとすくいずつ食べ物を口に運んで、食事をしていた。
トイレも、できる範囲でされていた。

元々、自らが望まない人付き合いを、しない人だったのだろう。
施設職員が呼びかけると、微笑を返しているが、絡んでいない。
テレビの前に、一人でいることを好んでいた。
私は、Yさんのファンだったので、よく一緒にテレビを見た。
美しい景色満載のドキュメンタリーに、Yさんと一緒に目を見開く。
ジャニーズタレントが出る恋愛ドラマの再放送に、独自のコメントを
私がはさむのを聞いてもらいつつ、一緒に胸をキュンとした。

さようならの時がきた。
フロアにいる利用者の皆さん一人一人に、お別れの挨拶をした。
認知症を持つ人ばかりなので、私のことを覚えている人は、
ほぼいないだろう。でも私は、誰一人も、忘れることがない。
そこでは、素晴らしい出会い、経験に恵まれた。

Yさんにも、挨拶をした。
テレビの前の、いつもの定位置にいたが、その時は違った。
流れっぱなしのテレビに目を向けず、真っ直ぐに私を見ていた。
麻痺のある体を、できる限り私に向けていた。
Yさんの目は、みるみる、涙で一杯になった。
振り絞るように、「・・・サイナラ・・・」と声をかけてくれた。

麻痺のない方の手を、私に差し出した。
私がハンドクリームをつけるのを、手伝ったところだった。
美しい手から、かすかにバラの香りがする。
そっと、私がその手を両手で包むと、
思いのほか強い力で、Yさんは握り返してきた。

私の目も、熱くなった。そこでわかったからだ。
Yさんは、私との別れが寂しいだけで、泣いているのではない。
自分にはそうやって、ここにいる人に別れを告げ、
この施設を去る時は、おそらく来ない。
Yさんは、そのことがわかっているからなのだと、伝わってきた。
なんて、切ないのだろう。

Yさんは、自分が動かせる半身を使って、懸命に生きている。
半身で、体全部を支えようとするから、力が強いのだ。
いや、そうならざるをえなくて、なったのだ。
自由に動かせるのが半身だけだと、全てのことに手間がかかる。
ただ自分が生きるという行為を、自分一人でできない。
この先も絶えず、人の助けが無くては生きていけない自らを、
時間をかけて受け止め、体も心も強くなったのだ。

突然の事に見舞われなかったらと、そんな仮定の話にとらわれていたら
さぞ、ストレスや愚痴が溜まるだろう。
Yさんは、そんなマイナスを、微塵にも見せなかった。
自由にならなくなった自分の体を憂い、捻くれることを選ばず、
現実を受け入れ、真摯に向き合って、生きてきたのだ。

気が利いた言葉をかけたいのに。出てこなくて、とてももどかしい。
かろうじて浮かんだ言葉を、そのまま言った。
「Yさんのお蔭で、ジャニーズタレントの魅力、たくさん知りました。
これからは私も、素敵な男の人見て、いいなあと思う自分の気持ち。
大切にするようにしますね。」
Yさんの目の端に、笑みがともったのをみて、ほっとして別れた。

しばらくしたある日。
何気なく見ていたテレビに、「嵐」の二宮和也さんが出ていた。
私は、ジャニーズタレントに疎くて知らなかったのだが、
彼は、私が唯一知る、桜井翔さんと同じグループにいることを知った。
そして、愛称が「ニノ」だということも。

一気に、過去のことが、つながった。
Yさんとあの日、テレビの芸能ニュースで、桜井翔さんについての
話題を見ていたのだ。
私が、「この人、素敵。桜井翔さんっていう人なんですね。」と言った後、
Yさんは「ニノモ エエ」と言ったのだ。
「ニノも、ええ。」つまり、「ニノ(二宮和也さん)も、素敵よ。」と
言ってくれていたのだ。
寡黙なYさんだったけど。ユーモアたっぷりに、私に伝えたかったんだ。
その後、美意識の高いYさんの、おめがねにかなう「ニノ」さんを見る度、
Yさんを思い出した。

長らく活動してきた「嵐」は、2年後に活動を休止する発表をした。
遠くからだが、私も「ニノ」さん達の会見の様子を、ウェブで見た。
その映像の先に、いつもの定位置にいるYさんがいるといいな、と願う。

(今日うれしかったこと)
また雪が降っている。外は銀世界だ。
(今日のありがとう)
吸い込むと、空気が体に入ってくる。
吐き出して、また吸い込むことができる。感謝。




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