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「ごんぎつね」ー何度も出会いたい、物語ー②

「ごんぎつね」の指導案を作成し、前勤務校を去って数年後。
私が「ごんぎつね」を教えるチャンスが到来した。
教育実習の研究授業に、国語科の「ごんぎつね」を選んだからだ。

「おっ、hikari先生。チャレンジャーですね!」と、
先生方から一斉に、お声をかけていただいたことを覚えている。
通常、研究授業には、授業設計しやすく、教えやすく、準備が簡単で
コケにくい算数を選ぶ実習生が多いそうだ。
でも、私は「ごんぎつね」一択だった。
なんとしてでも、やってみたかった。

そこで、実習2日目から、
担当クラスの国語の授業を、実習最終日までさせてもらうことにした。
同じ期間、算数も担当することにもなった。

教壇に立つ経験は既にあったものの、
日本の指導要領・計画どおりのペースで、
日本で生まれ育つ子供達ばかりを指導することは、
私にとって初めての経験だった。

「ごんぎつね」は、14時間の授業時間とされている。
授業日より前倒しで授業の進め方、板書計画を立て、指導案を作成する。
実習校の先生方に協力してもらい、放課後、毎日チェックしてもらった。
同時進行で、ワークシート・準備物作成、研究授業の構想も練る。

最初は、14時間も一体、何を教えたらいいのやら・・・?と思った。
通常、そのくらいの単元であれば、2時間以内で教えてきたからだ。

初回授業で知った。
これは、大変だ。到底、時間が足りないかも。
この時間数で、収めないといけないなんて、と愕然とした。

自身も受けて知ってはいた、母国の教育。
しかし、今度は教える立場になって、
あらためてその特徴を体感し、戸惑いを感じたのだ。

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在住国の学校は、その子供の能力に合わせた教育を行う。
だから飛び級・落第は小学校からあるし、教材選びは教師それぞれが行う。
この国の平等は、「個人に等しいこと」であるからだ。
その子供個人に等しい、ふさわしい学びを受ける権利があることこそ、
平等であるからだ。

このシステムは、良い点・改善すべき点がある。
在住国の教育の良い点は、個人の力に合わせた学習を受けるので、
無理がない。そのうえ、各人の特性をさらに伸ばせる。
また、クラス内の学力に極端な隔たりがないため、教員も指導がしやすい。

改善すべき点は、学区・教員によって、子供達が受ける教育の質と内容に
かなり隔たりが生じていることだろう。
公教育で、より良い教育を子供達に受けさせたいのであれば、
その地域の大人が、学区をより良くし、
良い教員を確保する努力と行動をすることが不可欠だ。
具体的にいえば、学校活動・教務を支援し、資金を集めないといけない。

子供達への教育に高い関心がない学区は、コミュニティ自体も廃れていて
学校の質も悪いという、負の連鎖にある。
教育の格差問題は、この在住国内の方が深刻だと、私は感じる。

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日本の学校は、同じ期間に生まれた子供達に同じカリキュラムを教育する。飛び級・落第は、基本無い。
教科書は文科省の検定を経たものを子供達全員に無償支給され、使う。
日本の公教育のコンセプトは、「集団と等しいこと」が平等であるという
日本文化に根付いたものだと、私は考察している。
日本に暮らす同い年の子供達と、同じ学びを受ける権利があることを
平等であるとしている。

日本のシステムにも、良い点・改善すべき点がある。
日本の公教育の良い点は、全国どのような地域に暮らしても、
同じ質・進度・カリキュラムの教育を受けることができる。
そのため、他校への転入もしやすい。

一方で、個人に合わせた教育を受けることは難しいかと思われる。
同じ年といっても、それぞれが持つ力は多様。
同じものを学習することに合わない子供は当然いる。
クラス内に様々な力をもつ子供達が混在することになるので、
指導する教員も負担が多い。

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実習校の担当クラスの子供達は、みんな明るく素直だった。
そして、概ね音読はできる。その点は、非常に教えやすかった。
一から、本文内容そのものを、確認していく必要はなかったからだ。

一方で、学習面の力は、実に様々であることを知った。
このクラスの子供達全員をまとめ、同じ学習目標を達成しないといけない。
私は授業をすること、そのものには経験があった。
しかし、それも吹き飛んだ。スタートラインに戻ったかのように感じた。

初回授業後、そんな私のもとに、担当クラスの子供が一人、近づいてきた。

この記事は、企画「#教科書で出会った物語」に参加しています。


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