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映画「虐殺器官」を見て 感想とか考察のようなもの




1.前口上的なもの

以前、自己紹介でもサラッと書いた様な気もするのですが、私は伊藤計劃先生が本当に好きで。人生や価値観を変えた作品を挙げよと言われればまず真っ先に伊藤計劃のハーモニーか虐殺器官を挙げるぐらいには。

なので伊藤計劃作品が映像化され、DVDが出た時にはそれはそれは嬉しかったものです。

伊藤計劃作品は3作皆映像化されていますが、その中で最推しを選べと言われたらもの凄く悩むと思います。

映画版虐殺器官は小説版のアクションを凄くぬるぬるスタイリッシュに表現していますし、映画版ハーモニーは原作以上に百合という側面を全面にだし、百合好きとしては垂涎の一品に仕上げています。映画版 屍者の帝国も難解な原作を短い尺で大胆にわかりやすく整理していて、ブロマンス(に分類されるのでしょうか?)として大変面白く描いています。

なので映像版伊藤計劃作品から一押しを選ぶのは本当に難しいです。難しいですがあえて選ぶのであれば、そして現に何度も繰り返し見ている作品としては虐殺器官になります。本ノートでは久々に見返した映画版 虐殺器官の感想などをつらつら書いていこうかと思います。

2.全体としての感想みたいなもの

神です。(端的)

冗談はさておき、本当に見せ方の上手い作品だと思います。序盤のピアノソナタ月光の盛り上がりに応じたセリフの緊迫感の上昇であったり、「フラットだ」からのタイトルの入り方といい、オープニングからググッと観客を惹きつける魅力に富んだ作品だと思います。またインドへの侵入鞘での降下シーンなどアクションも本当にスタイリッシュで、かつ原作のセリフも拾ってくれているのは原作ファンとして堪りません。

何より素晴らしいのは間の置き方、空気の作り方でしょう。あえて多くを台詞で語ることなく、表情や間、声色を用いて表現する手法は、声優さんたちの名演も光り、まさに音楽的であり圧巻であります。

一方でクラヴィスがルツィアに惹かれていったのは、自分は罪をおっていると言う共通の認識があるからだと、原作ではかなりの尺をとって描かれた部分がかなりカットされたことは残念ですね。ルツィアの過去は描かれてもクラヴィスの過去、死者の道の話がカットされたことにより、クラヴィスがルツィアに執着する理由が見えにくくなっている気がします。

また、これは原作未読の友達に指摘されて唸らされた話なのですが、ラストのラスト、クラヴィスが査問会で虐殺の文法を用いて話すシーン。また付箋をデスクに貼り虐殺の文法を用いた原稿を用意しているシーン。そして、「これは、僕の物語だ」で締められリローデッドが流れ出すシーン。これらは原作を読んでいる私達からすれば、ああ、英語で虐殺の文法喋ってしまったんだなと、世界は混沌の渦にまき込まれるんだろうなと分かります。

ただ、原作未読勢からするとあのシーンだけでは虐殺の文法が行使されたとはわからなかったと言うのです。確かにと思いました。明言はされてませんし、原作と異なり治安が崩壊した姿も描かれてはいませんから。

こう言うことを考えると、本作はある種原作ファンの、原作ファンによる、原作ファンの為の作品と言えるのかも知れません。

3.全体の流れで追うここ好きポイントの様なもの

ここからは全体の流れを追いながら、個人的にツボだな、好みだなと言うポイントについて触れていきます。内容としては以前Twitterで呟いたり、2で若干述べた内容と被る部分はありますが、その点はご容赦いただければと思います。また性質上どうしてもネタバレを含みます。ネタバレを踏みたくない方は4のまとめまで飛んでいただけると幸いです。

3-1.序盤

やはり何といっても、引きがうまいのです。環境追随迷彩で民兵を無力化するところから始まり、トウフ・ショップのおんぼろピックアップで検問を通過するシーン。そして流れるのは虐殺の文法に汚染されたプロパガンダ放送と、僅か数シーンで虐殺器官の世界観を描きだしています。

もうこのタイミングで虐殺器官が映像化されている!と初見の時は涙が止まりませんでしたね。もうクラヴィスが生きて動いているだけで感動ものです。

そしてこれは考察のようなものになってしまうのですが、この流れているグルジア語のプロパガンダ放送をアレックスのみが理解できるというのも重大な伏線になっている気がします。アレックスはこの後虐殺の文法と感情適応調整との摩擦で錯乱し射殺されてしまうわけですが、どこでアレックスは虐殺の文法に汚染されたんだろうと初見の時は不思議だったわけです。

ただアレックスは自分で言っています。「グルジア語使いはどこでも貴重なようでして」

つまり、i分遣隊の中でアレックスのみネイティブレベルでグルジア語を理解できる、すなわちアレックスのみ虐殺の文法に汚染されうるということです。なのでi分遣隊の中でアレックスだけが錯乱させられてしまったのかなと思っています。

また、本作の特徴ですが、本作は見せ方が本当にうまくて、環境追随迷彩が拘束した准将の礼装の色を読み取ってしまうシーンもよく再現しておりますし、何より月光の使い方がうまい。クラシックの音源ではなく機械合成の月光というあたりに無機質さを感じさせますし、月光第三楽章のテンポが変わるところから、セリフのトーンをも変えるところなど上手すぎて本当に感動しました。

また感情適応調整の数値に乱れが見られるというシーンの見せ方もうまかったですね。正気に返って自分の所業におののく准将に怯えを見せるクラヴィスを大写しにしながら、実はアレックスの感情適応調整に深刻なエラーが出ているというのは衝撃でした。特に射殺される直前のアレックスの茫洋たる、あの焦点のあってない目ときたら。正気でないということを大変よく描いていると思います。

そしてアレックスの生体反応が消失するとともに虐殺器官というタイトルロゴを出す演出のうまさときたら!痺れましたね。

また、冒頭から「世界は発狂しようと決意した様だった」「地獄はここにあります、頭の中、脳みその中に。」と原作でも特に印象的なセリフを出してくださっているのも原作ファンとしては堪りません。本当に序盤から魅せてくれる素晴らしい作品だと思います。

3-2.中盤前半

さらに本作がすごいのは中弛みさせないこと。中盤前半ではジョン・ポールとは何者かと言う命題を与え、それを探っていきます。その中でルツィアとの出会い、謎の勢力による追跡、ジョン・ポールとの遭遇、ルーシャスの罠を描くことで、ジョン・ポールとは何者なのだと、虐殺の文法とは何なのだと彼の底知れなさ、ある種の神秘性を描きだしていると思います。特にクラヴィスがジョン・ポールと初めて対峙する月明かりの差し込む部屋のシーンはそれが顕著です。

また個人的にはルツィアとクラヴィスが初めて出会った際、ウィリアムズがルツィアのことをファムファタールだと、関わった男を不幸にする女だと評しているのも印象的です。クラヴィスはルツィアにのめり込み、ウィリアムズとクラヴィスは最終的に最悪の形で決裂してしまう訳ですが、そうした運命を仄めかす様な素敵な映画独自のセリフだと思います。

そして素晴らしいのがクラヴィスとウィリアムズの関係性をしっかり描いているところですね。クラヴィスの家でハラペーニョ ピザを二人でぱくついているシーンもそうですし、カフカや女性に見せる隙の話をする際の掛け合いなど本当に二人は友達同士なんだなと感じさせるやり取り、表情の具合が堪りません。特にピザを食べているときペンタゴンに呼び出された際、ウィリアムズが油まみれの手でスマホを触ったのを見たクラヴィスがこいつまじかよ、信じられないという表情をしている場面など、本当に悪友という感じがして大好きです。

3-3.中盤後半


そして中盤後半では物語は一気に加速し、侵入鞘での降下シーン、ジョン・ポールの確保、謎の武装勢力による襲撃とたたみかけてきます。またこの辺りからクラヴィスのルツィアに対する執着が匂わされ、後のウィリアムズとの決定的破局の伏線となっています。

ここはですね、侵入鞘での降下シーンが堪らないわけですよ。空飛ぶ海苔ってそういう形なんだだとか、オルタナ本当につけてるだとか、「パンダみたいだぞ」「神のご加護を」という原作にあった降下シークエンスを忠実に再現していて、このシーンだけでご飯が何杯も食べられてしまいます。ちなみに余談ですけど、侵入鞘ってものすごく高価そうですよね。特殊部隊の運用には向いていても一般の部隊での運用は難しそうな気がします。

それに屋内での突入シーンときたら!黙々と殺人ロボットのように少年兵を排除していくあたり、本当に感情が抑制されているんだなということがよくわかります。また少年兵たちと情報軍の面々との練度の差、装備の差が残酷なまでに表現されていて非常によかったです。

個人的な一押しポイントとしては、原作ではヘリから列車に乗り換えたところで謎の武装勢力に襲撃されましたが、映画版ではヘリの段階で武装勢力に襲撃されていることです。尺の問題もあったのかも知れませんが、映像化するにあたり、より緊迫感をますいい改変だったのではないかと思います。

また、リーランドの最期もよかったですね。「外はどうなってます?」「外は、どうなんです。連中は……?」と直前までなんでもないかのように話をしながら、まるでスイッチが切れたように動きを止めるリーランドの姿は、まるでおもちゃのように非人間的な姿として映りました。痛覚をマスキングされ、直前のハンバーガーになるまで動きを止めない敵兵たちとダブり、ある種のおぞましさを感じましたね。

中盤で一気に加速し、惹きつけてくる本当にいい作品だと思います。

3-4.終盤


そして終盤。ついに虐殺を起こさせる前にジョン・ポールの居場所を突き止めます。そしてクラヴィスたちはジョン・ポールの元へ向かう訳ですが、この辺りからクラヴィスはもうルツィアしか見ていないんじゃないかと言う描写が増えていきます。

個人的にツボを抑えられたのが、そんなクラヴィスを心なしか心配そうに見ているウィリアムズの姿です。中盤でのハラペーニョ ピザをぱくついている姿や、クラヴィスとウィリアムズとのカフカをめぐる掛け合いなどから友情は間違いなくあったと思います。それが、クラヴィスがルツィアにのめりこんでいくにあたりすれ違っていく、そのすれ違いがまた哀愁を誘うのです。

そしてついに明かされる、ジョンポールの真意。これは原作を読んだ時もそうでしたが非常に心を揺さぶられました。決して人類の悪性を証明したくて虐殺の文法をまいているわけではなく、ジョン・ポールなりに守りたいものを守るために虐殺の文法を撒いているというのは本当に予想外でした。またこのシーンの声優さんたちの演技力の高さときたら!もう何度も読み込み覚えてしまうほど脳に刻み込まれた内容であるにもかかわらず、思わず見入ってしまいました。「彼らには彼らで殺しあってもらう」のセリフの迫力ときたらもう堪りません。本当に名シーンだと思います。

またルツィアの「この人を逮捕して」からのルツィアの凛々しさときたら!

それだけに直後頭を吹き飛ばされるシーンがショッキングでなりません。しかもよく見たら直前のシーンでウィリアムズは環境追随迷彩を起動して侵入してきているんですね。本当に細かいところまでよく作りこんでいるいい映画です。

また、ついに訪れたウィリアムズとクラヴィスの破局。あれだけの友情を築き上げながら、「お前はここで死ぬべきだ」「お前を殺してその死体と協力して脱出する」と言い放ったクラヴィスに対するウィリアムズの表情は、なんとも心に刺さるものがあります。そしてよく見るとウィリアムズは決して手りゅう弾をクラヴィスのほうには投げないようにしているにもかかわらず、クラヴィスはためらいなく手りゅう弾を投げているんですね。よっぽど頭に血が上っているのか、もはやクラヴィスにとってウィリアムズは友人ではないのか。いろいろ考えさせられるシーンだと思います。

また、脱出した後の「大切な人の死体はものに見えないなんて」という発現も非常に意味深なんですよね。ウィリアムズの死はものに見えたのでしょうか。ぜひ聞いてみたいところです。

そして終局。院内総務の演説をバックに虐殺の文法を練っている、この演出がまたニクいわけですよ。「ジョンもまた城の住人に過ぎなかった」「勇気を出せば新しい世界に踏み出せるのに」という独白。何をするつもりなのかあえて明言せず含みを持たせる、非常にGOODです。

最後に「ジョンには悪いが、それがルツィアに償う方法だと気づいたから」「これが僕の物語だ」という終わり方ときたら!もう、最高です。もう何度見ても打ちのめされますね。しかも本作、文法発動時には必ず指を鳴らしているわけですよ。そして最後に指を鳴らしたということは……?いろいろ想像の広がるエンディングだと思います。


4.まとめ

本作は本当にいい映画だと思います。何より気に入っているのは、「あえて多くを語らないこと」です。最後の指を鳴らすシーンもそうですし、虐殺の文法の発動も匂わせるにとどめること。こうすることでより物語に深みと余韻を残していると思います。

常々思っているのですが、最近の邦画、特に実写版はセリフですべてを説明しようとする傾向にあると思います。怒っていれば怒鳴る、怖ければ叫ぶ。それが悪いとは言いません。分かりやすいですし。しかしそこからは余韻といったものは生まれにくくいのではないかとどうしても思ってしまいます。

かつての邦画は違いました。少なくとも2000年代まではあえてセリフで語ることなく空気や表情で語らせるということは行われていたと思います。最近の作品では、そうした空気で語る、匂わせるといった文化が減ってきて寂しく思っていたところなのですが、本作はそうした、空気で語る、すべてをセリフで説明したりはしないという古き良き(というと老人感がありますが)名作たちの雰囲気を感じさせる傑作だと思っています。

そして、何より素晴らしいのが原作へのリスペクトを感じられることです。原作ありの作品としては何より大事なポイントだと思います。そこをしっかり押さえている本作は、傑作の名を冠するに恥じないでしょう。ぜひぜひ万人にお勧めしたいし、感想を語り合いたい一作です。

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