ノンキャリ出世~16~ 闇の中
それをバイオリズムというのもしれないが、いいときはイイコトが重なり、ダメなときは悪いことが重なる不思議な連鎖に見舞われることがある。
そのころの私は、間違いなくそれを負の連鎖として受け入れ、正しく消化を出来ずにいた。
社外に出て客先をまわれば、現場では「仕事が減った」、経営層では「将来が不安」「コストカット」という声が必ず耳に入る。
社内に戻ればどこそこの顧客が廃業しただの売上どうのこうのと他の営業所との情報交換がはじまり、その横では新人君がいつもニコニコとマイペースで定時退社していく。
これからどうなっていくのだろう。
私が身を置いた業界の今後に繁栄は望まれそうもない。しかしようやく手に入れた“会社員”という名の社会的信頼。そしてそんなさ中に、子どもが生まれてくる。
これからどうなっていくのか。
漠然とした不安におそわれる中、社内的にも大きな変化が訪れた。それは、唐突に発表された社長交代。私を採用してくれた社長は親会社の社長となり、私の属する販売会社には新たな人材が充てられた。それは従前からの予定だったそうで、業界、業績の如何を問わずに実行されたようだった。
社長が代わるということは、方針も変わる。
それまでの、売ってくればすべてヨシの体制から、プロセス重視へと路線が変更された。
いわく、しっかりとした計画をたて、それに忠実に従っていればおのずと結果は出るという進め方だ。しかしそれは、結果が出なければ計画が悪いということにもなる。新社長がこだわったのはそこだった。
言いたいことに異論はないが、それは裏を返すと臨機応変さを捨てることになりかねない。
常に受け身で、授かった運をもすべて取りこぼさず、だからいつでも偶然に右往左往して小さな結果を積み重ねていた私には、まったく合わないそれは方針だった。
「運なんていつやってくるかわからないし、そんな計画なんてたてられないじゃん。そんな外的要因に頼ることなく、自分の力で成長していこうよ」
言い方はソフトだし正論ではあるが、中身は全否定だった。
計画通りに動いてなんら成果を出せない新人君など、なす術なしといった案配だ。
それは計画が悪いのだと言われればその通りなのだが、残念ながら私たちには成果を導ける計画の作り方がわからなかった。
それをそのまま相談した答えは、分析だった。
なぜうまくいかなかったのか、しっかりと分析して改善していけばよい、と。それもまた正論だ。
やがて私も新人君も、そういった正論の波に押し潰され、何も言えなくなっていった。
朝を迎える。
寝不足で朦朧とした状態で出社し、新人君とも大した会話なくそれぞれの出先へ向かう。
天気がいいのか悪いのか。
渋滞はいつも億劫で、少しでも早く進めるよう裏道を探し回るのだが、その気も起きない。
客先で作業者さんたちと会話をし、装置の様子を見て、おかしなところは少し手を加える。少し厄介そうであれば時を改めると告げ工場を出る。
経営幹部たちには会いたくない。会えば憂鬱な話しか聞けないだろう。
訪問2件目も3件目もそのようにやり過ごし、営業車の中で妻が用意してくれた弁当の蓋をあける。
しばらくそれを眺めてから蓋を閉じ、車のシートを倒して目をつぶる。
車や人の音に気付いて車を移動させ、作業が続いていようが終わっていようが客先の工場へ立ち寄り、中を一周だけして車に戻り移動する。
そこにある公園や霊園、海岸縁や川岸。
ひと気のない車をおけるスペースがあればそこに車を停め、ぼんやりと時間をやり過ごす。
やがて西の空が茜色に染まり始めるを眺めていると、不意に涙が止まらなくなっている。
そこからどのように帰宅していたのかは覚えていないが、気付けば自宅の布団の中で、ただメソメソと泣くだけの日々がしばらくつづく。
自分が何をして、どうしたいのか。
いや、やらなければならないことは山ほどある。しかし心身がそれに追い付かず、ただ涙を流すことしか出来ない日々。
私は意を決して、心療内科を受診した。睡眠導入剤をもらうことが目的だった。
しかしそこでうつ病という診断結果をもち、職場に復帰した。
そしてその直後に世界が不幸に見舞われる。
それは、いまに語り継がれる経済危機。リーマンショックとよばれる荒波だった。
顧客のいつくかが倒産した。
計画をこなせという声に押されて入った客先で、容赦なく煙たがられた。
ポインセチアを送った社長夫妻は、早々と自ら廃業し、別の世界へ旅立った。
うつを患っていた占い信奉社長は、事業こそ継続していたものの姿をみせなくなった。
「ウチ、大丈夫なんすかねぇ」と呑気に背伸びをしながらいう新人君を、疎ましく感じた。
俺はこれから、どのようにして生きていけばいいのだろう…。
ただただ、無為に時間だけが過ぎていた。