好きと嫌いに溺れること
初めて潜った日のことを、私は覚えていない。けれど不思議なことに、水の中を想像すると気持ちが高揚するような、落ち着くような形容しがたい気持ちになる。
水に飛び込んだ瞬間、ピリッと冷たい痛みが走った後にジワジワと皮膚の周りに熱が集まっていく感覚。あの感触を受けると、私はなんだか歯がゆいような、不安や緊張感、それに楽しさのような陰と陽が混ざり合って、身体がソワソワしてくるのだ。その感情に名前を付けることは難しいけれど、心地良い感情であることは確かだ。
私が水泳を習っていたのは小学から中学までの約8年。
友人に誘われて見学に行ったことがきっかけなのだが、正直最初は乗り気ではなかった。母親にやってみるか聞かれると、子供心にそれを断るのが勿体無いように思われたので、私はやるかと聞かれれば基本的に「やる」と答えていた。
そんなたいした理由もなく始めたので、最初はそんなに楽しいと思えなかった。水は飲むし鼻はツーンとするし、水が耳に入った時のザワザワとする感じも嫌いだった。だけど、水の中にいることは好きだった。重力がないから身体を浮かせることが出来るし、マットの上では苦手だったでんぐり返しも水の中なら朝飯前だ。さらに水の中で身体を動かすと、汗をかいてる感覚がない。気付くと息が上がっていて身体も熱いのだけれど、それを感じさせない水の中では安心して自由に泳ぐことができた。
それまで無心で続けていた泳ぐことに違う何かを感じるようになった頃、停滞していた級からトントンと続けて上の級に合格するようになった。それはそれで嬉しかったけれど、結果なんてどうでも良くて、ただ泳ぐことが楽しい。
そんなある日、コーチから白い封筒を手渡された。書き出しは「選手育成コース移籍のご案内」とあった。多数の候補者の中から、自分が選抜されたことを示す手紙だった。
選抜コースに入れば週に1回だった練習が3回に増える。級をひとつずつ上げていく楽しみはないけれど、沢山水に入れるのは嬉しい。でも自分にそれをこなせるのか。不安との格闘の末、結局やってみることに決めた。気付けば私を水泳に誘ってくれた友達は水の中にいなかったけれど、その決意が私の中で水泳を続ける意味になっていたのだと思う。
選手としての日常が始まると、「楽しい」一色だった水の中が徐々に色を変えはじめた。
練習メニューは過酷で、ようやく各競技が形になりはじめていたレベルの私はとにかくついていくことに必死だった。周りは既に完成されたフォームで、ひたすら速さを追求する段階に入っているというのに。楽しいレッスンが嘘のような日々だったけれど、でもそれが当然の世界で、それを選んだのは自分だ。
練習以上に辛かったのは、結果が思うように出なかったことだ。練習は同じ選手生と同じコースで泳ぐため、当然遅ければ抜かされていくのがわかる。横を誰かの腕がすり抜けていく度に、私の水の中という楽しみが蝕ばれていく。練習ならまだしも、大きな大会で結果を出せない、また後ろから数えるような順位しか取れなかった悔しさは今思い出しても呼吸が浅くなるほどだ。
当時楽しいと好きがイコールであることを信じていた私は、自分が水泳を嫌いになったのだと感じるようになった。
何度もやめたいと思ったし、自分には才能がないのだと落胆した。練習に行く前は緊張のあまり、自然と歩くスピードがゆっくりになった。それでも、水に入るあの瞬間だけはいつも気持ちが高揚して、その一瞬のためだけに踏ん切りのつかない自分のことがよくわからなかった。
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中学生になってからは部活と勉強が忙しくなり、私は自然な流れで水泳とお別れすることになる。
意識しなければ日常生活の中で水に潜ることなどないので、しばらく水泳に対する感情を忘れていたのだけど、塩素のにおいに遭遇したとき、プールを見たときには決まって身体がソワソワするような感覚に陥った。長い年月をかけてその感情を咀嚼した後、ようやく私は、自分が水泳を好きであったことに気付くのだ。
「好き」は、たくさんの「嫌い」に挟まれてできている。
苦痛と負の感情に苛まれながら、その奥の無意識に突き動かされることが、案外「生きる」感覚なのかもしれない。
水泳が私に教えてくれた水の色は、今も姿形を変えながらキラキラと輝いている。
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