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経緯

そもそも、どのような経緯で今に至ったかをお話しさせてください。

美術予備校

中学校を卒業した後の春休み、高校受験を経て圧倒的に勉強にセンスがないと感じた私は美大に行くことに決めました。

かといって絵のセンスならあるのか?と言われたら全くそんなことはなく、田舎の学校で人よりかはマシかなという程度だったので、中学校を卒業してすぐに美大受験対策の予備校(美術予備校)に通い始めました。

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そして高校3年間を美術予備校に捧げ、センター試験で英語は23点(200点満点)しか取れなかったものの、実技試験のお陰で無事に現役で武蔵野美術大学に入学することができました。

学生時代や予備校時代も、自分の要領の悪さから本当に悔しい思いばかりしてきましたが、なんとか大学生になることができました。

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美大

12個近くある学科の中から版画専攻に入学したのですが、「版画って図工でやった木版画以外知らないし、やったことないからやってみるか!」という気持ちで入ったので、4版種(木版画・銅版画・リトグラフ・シルクスクリーン)を一通りやったら満足してしまい、結局版画以外の制作ばかりしていました。

そして、100人くらいの小学生と遊んだり図工教室をするサークルによく顔を出したり、色んな中学校や高校、公民館、商業施設に行ってワークショップを開いたり、美術と人の関わりに興味を持ち始めました。

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大学4年時には教員採用試験に合格し、卒業制作も無事に終えて無事に卒業できました。

社会人1年目

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履歴書でも面接でも無いので正直に書きたいと思います。

「やりたい仕事」と言われても思いつかない私は、自分ができそうなことで一番お金をもらえそうな職に就こうと思い、中学校の教員となりました。

その結果、美術教育には興味があるが、生徒指導には興味があまり持てないことに気付きました。

美術を通してどんなメッセージをどういう風に伝えよう?ということを考えるのはとても楽しいのですが、私は優秀な先生方みたいに伴走者のようにつきっきりで生徒に寄り添えるほどの器ではありませんでした。
もちろん、子供たちはかわいいのですがかわいいと思うだけでは足りません。

そして3年生の卒業を見届け、退職しました。

社会人2年目

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そもそも、自分ができそうなことで一番お金が稼げそうな仕事に就くことが私には合わないのではないかということで、「自分がやりたいこと」にフォーカスをしてみることにしました。

かといって、教員の仕事が嫌いなわけでは無いので、非常勤講師としてまた中学校で働き始めました。

非常勤講師とは、授業と授業にまつわる業務、テスト作成のみを行う教員です。副業もできます。

また、ずっと水商売に興味があったのでスナックにお世話になることにしました。
色々とお客さんの好みや趣味などを把握して、お話をしたりするのは準備も下調べも必要ですが、学校では感じられなかったやりがいがありました。
ここまで自己肯定感の上がる仕事をしたのは初めてです。

学生時代に、卒業制作の一貫で50人以上の視覚障害者の方と関わらせてもらいましたが、その縁から視覚障害者の同行援護の講習を受けることになり、ガイドヘルパーの仕事も始めました。
基本的に1対1で接するので、コミュニケーション能力も試されます。

視覚障害者の方が外出をする際に同行し、サポートをする仕事です。

いきなり本当に「自分のやりたい仕事」を見つけるのは不可能なので、とりあえず興味が湧いたところにお世話になると決め、やらせて頂きました。

他にも、時間を見つけてはワークショップに出向いたり、チラシ制作の仕事などもしました。

社会人3年目

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さらに自分にあった働き方をしつつ、「自分のやりたい仕事」を見つけるために勤務形態をアプデートしていくことを目標にしました。

まず、社会人2年目では週5で学校に行っていたのですが、週2に頻度を落としました。
その分、スナックとガイドヘルパーの仕事を増やし、さらに家での作品制作も始めようと準備していました。

しかし、2020年。コロナが猛威をふるい始めます。
学校の一斉休校、緊急事態宣言、自粛要請。

もちろん学校は休みになり、スナックも休業や時短営業での対応。
ガイドヘルパーの仕事はあるものの、不要不急の用事はなくなり、外出時間を短くなる。

食べていくことがこんなにも難しくなるとは思いもしませんでした。
学生時代から今までの貯金を少しずつ切り崩し生活することを余儀なくされました。

その後、少しずつ仕事が戻ってくるも、
私自身もコロナウイルス に感染しました。

どんなに対策をしていたとしてもかかる時はかかります。
幸い、37,4度の微熱が1日だけ出たのと少しお腹の調子が悪かったくらいで後遺症もなく終わりました。

2週間以上仕事が0になりましたが、諦めてradikoプレミアムでラジオを聞きながら1000ピースのハウルの動く城のパズルを組み立てたり、新しいバイト先を探したりしていました。

仕事に復帰し、仕事内容や時間も工夫し、貯金を切り崩さなくても生活できるようになりました。

そして2020年の末にアートギャラリーのアシスタントを始めました。
これでやっと少しずつ貯金ができるくらいに稼ぐことができるようになりました。

コロナ渦で「自分のやりたい仕事」を探すどころでは無くなってしまいましたが、いろいろな仕事を掛け持ちしているお陰で生活は助かりました。

現在

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そして今に至ります。
このような働き方をしている人がそう多くいるとは思えないので、私を知っている人が見たらすぐに身バレしてしまうと思います。

それでも、0から1を生み出す練習をしたいと思い書かせて頂きました。
もし、これを見て興味を持ちましたらまたnoteを見てくださると大変嬉しいです。

1週間に1回くらいを目安に投稿していけるように頑張ります。
最後まで読んで下さりありがとうございました。


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