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【その日々は 夢のように】劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel] 」を本気で語る。

雪が溶けたら何になるでしょう?
水?違います、正解は「春になる」んですよ。

どうも、まがタマです!
いきなり今回語るのとは違う名作の名言を挙げたので誤解を招いてしまったらすみません笑

早速本題へ。
長い寒波が去って、ココ最近でようやく暖かくなってきましたね。
こんな時期になると色んな作品が思い浮かびはするんですが(特に学園モノ)、僕は『Fate/stay night[Heaven's Feel]』が真っ先に思い浮かびます。

前回の記事でも少し語りましたが、Fate/stay nightシリーズと出会ってまだ一年半程なのに、今まで見てきたどの作品よりも「好き」という感情が溢れて止みません。

そんな想いを今回皆さんに感じ取ってもらえれるよう、全力で語っていこうと思いますので最後までお付き合い頂けると幸いです!(ネタバレ全開)

(補足)
原作未プレイなので、アニメの情報と原作で有名なテキスト等のちょっとした情報しか知らないですが、その点はご了承ください。


士郎と桜

今回は物語の流れに沿ってではなく、士郎と桜を中心としたキャラクターに焦点を当てながら語っていきます。(エピローグに関しては最後で少し触れます)
という事でまずは士郎と桜の二人から。

第一章 presage flower

眩しすぎた士郎と桜の日常パート

僕の中でufotable作品は、非日常感というか不穏な空気感を映像で美しく魅せてくる事が特色だと思っているんですが、このHeaven's Feel(以下HF)の冒頭にある士郎と桜の2人で学校へ向かうシーンや入学式のシーンにはそれが殆ど無いんですよね。
だから余計にそのシーンは「明るい」ってよりかは「眩しい」って感覚が生まれます。

それにしても開幕から士郎と桜の物語だと強調させる魅せ方が本当に巧い。他のufotable作品もTVアニメだと第一話目はどんなキャラなのかを強調させる為に物凄く丁寧に魅せているイメージがありますね。 
舞台挨拶で須藤監督らスタッフの方々が仰っていましたが、HFの第一章は士郎が聖杯戦争に巻き込まれるシーンまでカメラワークと音楽を極力減らしているそうです。

そんな「士郎と桜の2人」を強調させる為に台詞をカットされてしまう"士郎がセイバーと初めて出会う名シーン"。
ここがHFで一番最初に驚いたという方も多いのでは無いでしょうか。
あのシーンこそ、「stay nightシリーズで一番有名」と言っても過言では無いのに!

それでもあの日常パートはセイバーとの名シーンよりも遥かに眩しすぎた。だからこその台詞カット。
この演出はもうただただ「凄い」って言葉しか出てきません。

○徐々に変化していく桜への想い

このルートでは聖杯戦争が勃発する裏で、慎二や聖杯戦争の不穏な空気から桜を守るために衛宮邸で保護することになります。
第一章の桜は不気味なオーラを感じる場面が多々ありますが、まだ聖杯戦争には参戦していません。

だから士郎にとって好きな人を守るためという目的だけでは無く、聖杯戦争とは無関係な人間に被害を出す訳にはいかないという意識も持って行動していると思うんですよね。

それに士郎は10年前の大火災でただ一人生き残った罪悪感から自分が幸せになることを当時の記憶が拒んできます。
なので士郎は他人を好きになる事があっても心の奥底にその感情を仕舞ってしまう。

それでも夢は士郎の正直な気持ちを見せてくる。ただ、夢の最初に凛が出てきていた事から、士郎にとって桜は"他の誰よりも大切で好きな人"という位置にはまだ至っていないって事を示している気がします。
と言っても凛から桜に切り替わるのでこの夢の演出は、凛への憧れよりも桜への好意の方が勝ってきているって事の表現とも解釈出来そうですね。

○互いに養子として育ってきた二人

ここはもう土蔵という狭い空間の中で話すシチュエーションが本当に良いですよね。
暗い空間の中で居座る二人の間にただ一つだけ光るストーブの火。

お互いに最初は誰かからの救いを求め、取り残されていた二人だったのに士郎が切嗣に救われることによって、桜だけが取り残されてしまう
ストーブの火が消える演出は色んな解釈が出来そうですが、個人的には桜にはもう希望がなくなってしまったという心境を表していると思ってます。

また、閉じこもった土蔵の中なのでこの時のストーブの火って普通なら中々消えないですよね。
でも消えてしまう。
このシーンは色んな見方が出来るので第一章の中でもとても印象的な場面です。

○序盤とは正反対の第一章ラスト

第一章のラストでは士郎がセイバーを助けられなかった事により「正義の味方になる」という理想を果たすことが困難な現実に打ちのめされる。
また、桜はもう士郎に危険な目に遭ってほしくないという祈りがあったのにそれすら叶わない。
互いになりたい、なってほしくないという願いが叶わずに終わるこの第一章。

序盤の眩しい日常パートとは大違いですよね。
須藤監督が仰っていた通り、第一章に関しては『日常の崩壊』というテーマが完璧に描かれていたと思います。



第二章 lost butterfly

敗北を喫しても、セイバーがいなくなっても、まだ士郎は立つ。桜の心配をよそに。
開幕からも士郎は未だに桜を聖杯戦争に関わらせる訳にはいかないという意識で動いていることを示してきます。

○迫られる二つの選択

しかし、慎二による桜の拉致をきっかけに事態は一変。
聖杯戦争とは無関係だと思っていた桜をこのままにしておくと無関係の人間を傷つけてしまう可能性ができ、桜を切り捨てなければならないという選択が生まれてしまいます。
ここにきてようやく士郎は桜への好意と向き合わなければいけなくなるというシチュエーション作りが良いですね。

今まで想いを押し殺してきたからこそ、正義の味方としての責務と自分の想いとで葛藤する姿に他のルートには無かった"人間らしい一面"がほんの少しだけ見えている気がします。

○雪を溶かす『レイン』

そしてイリヤからの後押しで士郎は「桜だけの正義の味方になる」という選択をします。
どれだけ自分が汚れていて、自分を守ってもらう資格なんて無い存在なんだと積もりに積もった桜の胸中を吐露しても士郎は寄り添い、桜を守ると誓う。
そんな二人のシーンを雪と雨で表現しているのが美しすぎて上手く言葉で表せません笑

それでもこの美しいシーンで終わることはおろか、より闇が深くなっていくのがHFの恐ろしいところですね。。

○お互いを知っていく上で見えてしまうもの

自分を受け入れてくれたからこそ、桜は誰よりも士郎を求める。
例え自分の行いが醜く見えるものだとしても。
そんな自分に嫌悪感を抱く桜でも士郎は肯定し、受け止めてくれる。
そうしてお互いをより深く知っていく二人。

この抱き合うシーンってエロを感じるとは言え、本当に綺麗でもあるシーンだと思うんですよね。なのにお互いを知っていくからこそ気づきたくないものまで知ってしまうというのが本当に辛い。。

この二人の関係は一筋縄ではいかないということを最後のカットだけで存分に語っていると思います。

○第二章における最後の選択

薄々気づいていたとは言え、桜は衛宮切嗣を継ぐ士郎にとっての敵だという事を臓硯から遂に明言されてしまいます。
それ以降、士郎はいつものように桜との時間を過ごし、お花見の約束を交わす。
その約束を心に刻みながら眠る桜に向かってナイフを………




「先輩」


刺せなかったんですよね…。

切嗣を志してきた10年間よりも、「先輩」と呼んでくれる日々の方が大切になってしまった。
ここで涙を流す士郎のシーンは特に感情移入出来るところだと思います。他二つのルートを見ていると尚更ですね。


それでも「好きな人を殺さない」という選択をすることで士郎が初めて人間として見えるのに、「stay night」シリーズにおいてこの選択は"裏切り"と捉えられてしまうんですよね。
そこがもうとにかく深い。僕の語彙力では「深い」という言葉しか出てきません。

部屋を去る時に士郎が「裏切るとも」と呟くシーンは、第二章で個人的に一番グッとくる瞬間でした。

そこでその言葉を聞いている桜を見ててもまた胸が苦しくなる。。
今までの桜の心情を考えると、自分を殺さないでくれたことの嬉しさより、自分のせいで士郎に今までの人生を裏切る選択をさせてしまったという罪悪感の方が強いと思います。
だからこそ桜は、自分一人で間桐家に立ち向かう決断をする。

しかし、桜に付き纏う不運は終わらない。
慎二を殺め、桜は遂に墜ちてしまいます。

ここのラストカットは衝撃的過ぎましたね。
ブラックアウトの後に「憐れみをください」と『I beg you』の最初の歌詞が流れた強烈な引きは心の底から震え上がりました。
その前に間桐邸に向かって走りながら叫ぶ士郎の姿にも胸に来るものがあります。。


第二章を振り返ってみると、あまりにも濃密な内容なのに、とてつもなく丁寧に描かれている印象を受けますね。
初めて見たときも、ED後の次回予告まで第一章の時より遥かに圧倒されていたことを今でも鮮明に覚えています。



第三章 spring song

そして最終章。

この章に関しては、士郎と桜の二人でのシーンって殆ど無いですよね。
だから、そのことに対して不満を持った方も少なからずいると思います。
でもここまでの物語を踏まえると、士郎が"桜を守る"という道を選択するまでのプロセスは十二分に描かれていると思うんですよね。

それに、この章の士郎の行動全てに「桜のため」という目的が一貫しています。
これこそが第三章で一番魅力的なところなんじゃないかなって。

今までの物語で何度も辛い選択や葛藤を乗り越えてきたからこそ、最終章の士郎はより格好良く見える気がします。


○好きな人を守り通す

数え切れない人の命を奪い続けた桜。
そんな自分には生きる資格などないと叫ぶ。
しかし士郎は「奪ったからには責任を果たせ!」と。
実際に命を奪ってはいませんが、士郎は10年前の大火災で唯一生き残った罪悪感を振り払うために今まで生きてきたからこそ、この台詞は深みを増していると思います。
でも、"好きな人だから生きていて欲しい"という単純な理由が第一に来ているんじゃないかなとも思うんですよね。

桜の味方をすることは多くの無念を踏みにじる事と同義。
それでも、それが偽善だとしても桜が"好きだから"士郎は守る。
そんな想いは、"借り物でなく自分自身で生み出したものだからこそ"余計にグッときます。
改めて士郎の人間らしい姿を最後のルートで見れたことに感謝。

そうして桜は影の呪いから解放され、季節は春に…



モブでは終わらなかった慎二

冒頭は本当に丁寧に士郎と桜の日常を見せてくれますが、その陰で感情がダイレクトに伝わってくるほど細かく描写されているキャラクターが一人いました。
それがこの間桐慎二という男。
他のシリーズを見ても慎二ってとにかくネタキャラってイメージが強いですよね。UBWなんかは特にそのオーラを纏っていると思います。

でもこのHFはそうじゃない。
特に慎二が士郎に弓道場の片付けを押し付けるシーンなんかはとにかく士郎が機械的で、慎二が人間臭いかがよく伺えます。

本編では描かれていませんが、元々第五次聖杯戦争が始まる4年前に士郎が押し付けられた作業を慎二が手伝ったのが仲良くなるきっかけだったので、当時のままの士郎に余計憤りを覚えたのかもしれませんね。

そして慎二は聖杯戦争のマスターとして現れます。
しかしどのマスターよりも圧倒的に弱かった。初対戦相手には一撃で倒され、桜を人質に士郎を襲うも敢え無く惨敗。それだけに収まらず、魔術師として士郎にすら劣っていることを知り、余計に疎外感を味わうことになってしまう。

他のシリーズでもよく描写されていますが、慎二って普通にモテるし、学校の中でも結構な優等生なんですよね。
でも聖杯戦争という舞台においては全く歯が立たない。

だから自分の感情を一気に爆発させます。このシーンの神谷さんのアフレコは本当に慎二を一番に想っているからこその名演技でしたね。

今更ですが、そんな慎二の惨めな姿をこれでもかと見せてくれる事に須藤監督の慎二への愛を感じますね。他のシリーズでもここまで感情移入させるほどに屈辱を味わっている慎二の描写は無かったですし。

HFの慎二は本当に何かしら感じてほしい要素が多いんですが、好きになれない人はやっぱり桜を犯すシーンが糸を引いているんじゃないかなぁと。
まぁ僕もこのシーンは到底許されるべき行為ではないと思ってますが。

でもそのシーンをよく見ると慎二は少しだけ涙を流しているんですよね。
自分がどれだけ惨めな行いをしているかを理解しているからこその涙だと解釈してますが、そんな感情などこの時の桜が知る由もない。
そして唯一の活躍が桜にとっての「ラストピース」となってしまう事だけ。

何とも悲惨な運命。
それでも慎二はこうして"色んな屈辱を味わっていたことを視聴者に示して感情移入させる所まで描かれたこと"が、HFの慎二にとっての救いなんじゃないかなと思います。

慎二よ、どうか安らかに。



士郎の背中を押し続けたアーチャー

UBWでは士郎に対する想いを全てぶつけていたアーチャー。はっきり言ってあのルートのアーチャーって凛を勝たせる目的がしっかりあったとはいえ、結構面倒くさい一面が見えてる気がします。

ただ、このHFはそんな士郎に対する感情を押し殺して戦います。そこが余計にカッコ良さを増していると思うんですよね。
「どうやら、私怨を優先できる状況ではなくなったな」の台詞なんかは凛を守る事が自分にとって最優先事項だというのを物凄く感じさせられます…!

士郎が「桜だけの正義の味方になる」と決意したその後、士郎と桜は凛とアーチャーの二人とすれ違います。
このシーンは言うまでもなくシチュエーションに色んな感情が込み上がるんですが、個人的にはここでUBW前半クールのEDである「believe」をアレンジした劇伴を流していた事が特にジーンと来ましたね。

巡り来る
時の中で出会った
君といた僕を信じている
この夢が優しく果てるまで
切り開け蒼い日々を
Fight your fate
Kalafina 「believe」歌詞

この時アーチャーが士郎に言う台詞は"否定の言葉"ではなく"助言めいた言葉"なんですよね。

衛宮士郎の根幹を担う「正義の味方になる」という理想を"捨てる"選択をした事にアーチャーは複雑な感情を抱いていた筈です。

それでもあの劇伴が背後に流れている事を考えると、このシーンの時から"信じてみたい"という感情も少なからずあったのかなと思います。
曲の歌詞がこのシーンにピッタリですし。

そんな"信じてみたい"という気持ちが表に出て行動にまで移したのがこのシーン。
個人的な解釈ですが、このアーチャーの行動は「元々士郎が目指していた理想の果ては自分である」という事を士郎に伝えていたように感じます。

士郎が借り物の理想を張り続けた自分と同じ道を辿らない選択をしたからこそ、自分自身で誓った彼の理想のため、自らの命と引き換えに左腕を託す。
そのカッコ良さに何度見ても感動するシーンです。

その移植された左腕を士郎が解禁するシーンも必見。
ここでEMIYAを流してくるのも胸熱なんですが、その前にまた「believe」のアレンジ劇伴もしっかり流れていたのがまた涙腺に来ます!

その中でも印象的なのが士郎に追い抜かれた時に見せた悔しそうでもあり嬉しそうでもあるアーチャーの表情が見えるシーン。

アーチャーって視聴者に対して背中を向けて士郎に語るシーンが他のルートを通しても多いので、表情が見えない事が結構あるんですよね。と言っても大体は硬い表情な気がしますが笑
でもこのルートで最後にアーチャーが登場する場面では後ろを振り向いて笑みを浮かべ、自分を追い抜いても立ち尽くして士郎を見つめ続けます。

ここのアーチャーに遠ざかっていくカメラワークは、どれだけ遠くにいってもその眼差しは士郎の背中を見据えてるって事を表現している気がします。

更に背後の景色は澄んだ青空。アーチャーはUBWのラストのように何かを得たのでしょうね。

今まで他のルートでも背中を見せてきたアーチャーが、今度は士郎の背中を見る事になる。
この構図が狂おしいほどに好きです!

士郎の魂が物質化されるシーンにアーチャーの右腕が士郎を掴みにくるのも良いですよね。
ここまで長々と語って来ましたが、自分とは違う選択をした士郎の背中を押し、助け続けたアーチャーに「カッコよすぎる」と感じるだけで正直HFのアーチャーへの想いは事足ります笑



どこまでも桜を想い続けるライダー

本当にあなたの活躍を待ってました!と言わんばかりに今までの即退場するポジションを脱却したライダー。
このルートでようやく彼女の本当の実力や真名が見えてきますが、その中でも"真のマスターである桜にどれほどの想いを寄せているのか"という内面が一番よく見えていたと思います。

本編でもライダー本人が言っていましたが、過去の彼女は「次第に怪物になっていく」というこのルートの桜と似た境遇にあったので"桜を自分と同じ運命にあってほしくない"という強い想いがありました。

そこで彼女が取るのは見守るという選択。
いざという時は現れますが、ここが他のキャラクターと大きく異なっているんですよね。自分が桜と同じ境遇を持っているからやマスターとサーヴァントという線引きをしているからこその行動だと思います。

勿論心中は助けたいという想いが溢れていると思うので、その想いを押さえ込んでいるって印象も受けます。第二章の後半に関しては何も行動を起こしていませんからね。
"我慢する"という事においても桜に共通するのでこういう点においても桜とライダーは似た者同士です。

そんなライダーの想いを桜はどう捉えていたのか。
その答えが第三章のラストに詰まっていると思ってます。

桜が魔力供給をしてまで現世に留めるのは、今までの贖罪とも解釈出来そうですが、少なからず桜はライダーにどこまでも想い続けてくれた事への感謝の気持ちがあるからこその行いだと思うんですよね。

自分が堕ちても大切に想ってくれたライダーの気持ちを桜がしっかり汲み取ってくれているなら本当に素敵です。


HFのセイバーにとっての救いとは

さぁ、一番辛いところに参りましょう。
このルートにおいて何が辛いのか。そんなの決まってます、セイバーの立ち位置が変化してしまうところです(個人の主観です)。
先に提示しますが、正直僕はHFにおいて彼女は何か救われたのかというのは「強いて言うなら」という形でしか思い浮かびません。
それでも何かしら共感出来る要素があれば嬉しい限り。

まず最初に思い浮かべて欲しいのが、セイバーが「シロウ」と呼ぶようになるシーン。
冒頭で士郎とセイバーの初めて出会うシーンに台詞がなかった事や、他のルートがあっさりだった分、このルートでここのシーンに重きを置いているのは「シロウ」という呼び方の重要さを示したいからだと思っています。

何となくですが、一緒に戦うという覚悟をした士郎に"マスターとサーヴァントとの隔たり"を感じられないからセイバーは「マスター」と呼ぶのを避けていると思うんですよね。

そうやってお互いを認知し合い、朝日を背後に握手を交わす二人。
でも二人の美しいシーンはこれが最初で最後。

物語は進み、セイバーは影に呑まれることによって黒化してしまいます。
そして最終的に行き着くのが士郎と闘うという運命。
ここに到達するまでに着目してほしいのがセイバーに対する士郎の反応。
初めてオルタ化したセイバーを見たときは自分の敵になってしまったという絶望感、イリヤが連れ去られるときはセイバーに恐怖を覚えますが、バーサーカーを倒した後には闘おうとする意志を見せます。

この"セイバーと相対する覚悟は段階を踏まなければ出来ない"という士郎の反応の変化が地味に好きですね。
「桜だけの正義の味方になる」と誓ったのも、徐々に桜への想いが変わっていったからなので、セイバーという存在の認識も徐々に変わっていったんじゃないかなって思います。

それでも「お前は邪魔だ」と言われるまでに変化してしまったのはやっぱり超絶辛い。。

◎セイバーオルタ VS ライダー&士郎

もうこれ以上のクオリティが出ることは無いだろうと思っている程に圧倒された戦闘シーン。
ここで恐ろしいのは映像美だけで無く、約15年分の熱意がこもったアフレコや劇伴がこの場面をより盛り上げてくれている所だと思うんですよね。

また、Fateルートで士郎を守る為に放たれ、ライダーを倒した約束された勝利の剣(エクスカリバー)が、このルートにおいてはライダーを守る為、士郎に防がれます
この士郎が"守られる側から守る側に"変化しているのがなんか大好きで。

ほんの少しでも選択が異なると、運命は真逆の構図となる程に大きく変化してしまうというのが、この「Fate/stay night」という作品の魅力なんだなと改めて感じます。

話は飛びますが個人的にセイバーが敗北して影に沈んでいく場面も印象的です。
ここでセイバーが影に沈んでいく時にエクスカリバーを映すのは、「約束された勝利の剣」という宝具が敗北を告げてしまったという暗示だと思ってます。
たった一度の敗北でもこの宝具には許されない。だから"飲み込まれる"だけでなく"崩れていく"見せ方もしているのかなぁって。


さて、ここで一旦最初の問いに戻します。
このようにHFというルートで巻き起こる辛い展開の中、セイバーは果たして救いを得られたのか?

答えは人それぞれです。「救いは無かった」と割り切っても正直否定出来ません。
でも、『最期まで二人の絆は途切れなかった』というのがこのルートにおいての救いなんじゃないかなと思うんですよね。

先程の士郎のセイバーに対する反応が変わるシーンを振り返りましょう。
今度は士郎では無く、セイバーの士郎に対する行動を着目して頂きたい。

改めて見ると、全てにおいてセイバーは何かと理由づけをして士郎を見逃しているように見えませんか?
こういうのを見ると、セイバーの"士郎を想う気持ち"はオルタ化前と変わっていないように見えますよね。

しかし闘わねばならない運命は訪れてしまう。
それでもそのことを両者とも受け入れているから士郎は「桜を助けるために、お前は邪魔だ」という台詞を告げ、セイバーはその台詞に対して笑みを浮かべます。
そして互いに全力で果たし合った末にセイバーは敗北。

あ、シロウ?

ただ最後の最期が本当にズルい。ここは見たとおり、セイバーオルタがセイバーに戻る瞬間です。

それでも士郎は躊躇わずにアゾット剣を振り下ろす。
もう士郎は桜だけの正義の味方になると決め、今まで掲げてきた理想を裏切った時から、その代償として"自分の手でセイバーを倒す"という運命に行き着かざるを得なかったと思うんですよね。

勿論原作だとセイバーを倒すか否かの選択がありますが、今までの第一章、第二章と積み重ねてきた物語を踏まえると、士郎はここでもう一度裏切ることは出来ないと思います。

そして士郎がセイバーの最期に告げるのは感謝の言葉
ここが本当に辛い気持ちでいっぱいになるのに大好きで仕方が無い。
この場面でトドメをしない事はもっての外ですが、謝罪をしてしまう事も"士郎が今まで貫いてきた事に後悔を抱いている"とセイバーは感じてしまう可能性があると思うんですよ。
だからこそ「ありがとう。お前に何度も助けられた。」という台詞を発したのかなって。

勿論この台詞に込められた想いは紛れもなく本心ですよね。
お互いに敵になる運命を受け入れていても、令呪が刻まれた左腕が無くても、二人とも想い合っていたのが本当に素敵です。

このルートではセイバーの想いは士郎に届いていないかもしれません。
だけど、士郎の想いを知った状態で悪夢から解放されたことにセイバーが少しでも救われた気持ちになれたのなら、「心の底から良かった」と声を張って言いたいですね。


魔術師として、姉としての凛

「遠坂」という魔導に優れた家系に生まれ、これまで魔術師として育ってきた凛。
このルートでは実の妹である桜とのシーンが幾つもありますが、姉としての一面よりも魔術師としての一面の方がよく見えていると思います。

とは言っても第一章に関しては妹を想うシーンがよく目立っている印象を受けますね。
士郎が桜を聖杯戦争に巻き込ませないようにするにはどうすればいいのか凛に相談しに行った時、彼女は士郎の家で保護することを勧めます。
また、異質な聖杯戦争になっていることを悟り、桜が士郎の家にいるのかを確認した後に士郎と手を組む提案をします。

この2つは明らかですよね。
これは僕の妄想ですが、後者に関しては桜を守るのが第一の目的だと思うと本当に尊いです!

そして慎二が桜を人質にしたことで妹を想う気持ちが爆発するシーン。
彼女は彼女なりに桜と慎二の義兄妹としての関係性を気にかけていたのかもしれません。だからあれほど憤りがダイレクトに伝わってくる表情を見せたんじゃないかなと。

しかし、ライダーの真のマスターは桜で、力を制御出来なくなったことを知ってすぐに「生かしておけない」という決断を下します。
ここが凛の凄いところなんですよね。セイバーと対峙する覚悟を決めるまでに時間がかかった士郎と比較すると、彼女が如何に判断力に長けているのかがよく分かると思います。

そして物語は桜と一騎打ちをする展開へ。
この場面も一度黒桜に敗北したのに、その次の日にはもう影に対抗出来る武器(ゼルレッチ)を準備してきてしまう凛の凄いところが全面的に出てると思うんですよね。

そんな"凛の凄さ"は桜の嫉妬を呼び起こす。だからこそ桜は魔術で勝てないと踏んで、自分が今まで苦しんできた過去を吐露して同情を誘ってきます。

でも凛は「だからどうしたっていうの?それ。」と切り返す。そしてゼルレッチをポイッと放り投げ、桜にナイフを突き刺そうとする。
この一連の流れは姉としての一面を完全に捨てようとした事の表現なんじゃないかなって思ってます。これまた凛の凄いところ。

それでも凛は刺せなかった、
彼女は妹を想う気持ちが捨てきれなかったから。


この"あと一歩のところで失敗してしまう"という一面が凛の魅力だと思うんですよね。

凛だけでなく、『Fate/Zero』の時臣も一つの失態から敗北したのを見れば分かる通り、遠坂の人間は完璧な成功や完全なる勝利というのが出来ません。

ただ、凛にあって時臣に無いものは人間臭さ

時臣は『Fate/Zero』の時のように魔術師としての生き方を貫いているのが魅力なのかもしれませんが、凛には"桜を目の当たりにした途端に姉としての一面が浮上して殺せなかった"というのが実に人間臭いですよね。
だからこそ冷酷になりきれなかった凛の方が物凄く愛せると自分の中では感じてます。

この闘いのラストに凛が桜のリボンに触れる瞬間も溜まりません!
「凛はやっぱり桜にとってのヒーローだった」という見せ方が極上です。


どのルートでも魅力が全開な「遠坂凛」というキャラクター。これからも愛し続けること間違いなし!!


最期まで歪んだ生き方を貫いた言峰綺礼という人間

勝手な偏見かもしれませんが、この『言峰綺礼』というキャラクターの異常者っぷりに不快な印象を受けて、最終的に大っ嫌いになった人ってあんまりいない気がします。
僕も何故か憎めない悪役というポジションに収まってますね。まぁ実際にこんな人間が身近にいたら最悪なんですけど。

じゃあ何故この男に惹かれるのか。

答えはズバリ、言峰も自分なりにその異常者っぷりに苦悩していたから。
『Fate/Zero』で自らの本質を悟っても、それを受け入れられなかった姿を見たら分かると思います。と言っても最終的には吹っ切れてしまいますが、、

そこで第四次聖杯戦争の最後に悪である自分がこの世に生まれた理由を探すという目的を得て、第五次聖杯戦争では自分と重ねていた「この世全ての悪(アンリマユ)」を誕生させる為に裏で暗躍していきます。

ルートによって行動はバラバラですが、手段が違うだけなので個人的にはこの作品の中で唯一の"一貫性を持つキャラクター"だと言っても過言では無いと思います。
こういうのも言峰に惹かれる所なのかもしれん。

私も舞台に上がるとしよう

HFの言峰のシーンで僕が一番好きなのはここですかね。
他のルートだと「満を持して登場した割には結構あっさり退場」って印象でしたが、第三章での登場の仕方で「あれ?いつもと違くね?」という印象を与えてくれてる気がします。雰囲気としてはライダーと似てますね。

この台詞に今まで見せてこなかった言峰の全てを曝け出そうっていう意気込みを感じれるから本当に大好き。劇伴も聴いてるだけで涙出る。

そんな言峰は一時的に士郎と協力することになりましたが、最終的にはかろうじての状態での殴り合いをする展開に。
僕が初めてこの展開になるのを知った時、最後のルートの最終決戦が泥臭い殴り合いになるって意外だなーって印象を持った気がします。

でも感情むき出しで殴り合うのを観てると「あぁ、こんな風に"想いをぶつけ合って闘う"のがFateの戦闘シーンの魅力だったな…」って気持ちになっちゃいますね。

だからこそ自分の信念を掛けて殴り合うこの闘いはとにかく熱い。熱すぎる。

士郎は十年前の大火災で生き残った罪悪感を振り払うために。
言峰は赦されないと自分で理解している己の生を肯定するために。

対極に位置するものでも同質の願望を持っていた二人。
その事をお互いに理解し合って最後は人間らしく殴り合う。

個人的な印象ですが、HFにおいて士郎は切嗣から受け継いだ一種の呪い(万人の正義の味方になること)に解かれるので、良識を持っていることで本能のまま悪を犯せない言峰がより救われない存在になってる気がします

けれど、そんな悪事を行うことでしか生を実感できない"歪んだ生き方"を肯定するために自分を貫き通した結果、
最後に"自分に似た衛宮士郎という存在と想いをぶつけ合って闘えた"事は1つの救いになったんじゃないかなぁって思います。

その決め手は言峰の最期のシーン。

原作のテキストでは「この苦界から消えていった」というのがあるそうなので死ぬことが救いになっていたかもしれませんが、それなら第四次聖杯戦争の最後で生きる目的を得ることはなかったと思うんですよね。

だから最期に見せた言峰の笑みは、自分の願いは叶えられなかったけれど、お互いの歪んだ生き方を理解し合って人間らしく闘えた事に"悦びを感じれたから"、"少しの救いを得ることが出来たから"この表情を浮かべたのだと思います。
難しいですけどね。

さらば綺礼。”この魂に憐れみを”。



ただのイリヤとして

Heaven's Feelの中で桜を除いたら、一番掘り下げられていたキャラクターはイリヤだと個人的に思ってます。
第一章ではいつも通り(というか他のルートより早い段階で)士郎を殺そうと襲ってきましたが、それ以外に出番はほとんどありませんでしたね。
でも第二章からはバーサーカーを強く想っている描写や可愛らしくはしゃぐシーンなどが一気に増えるので、イリヤに対して色んな印象を受けると思います。

その中でも特に目立つのは士郎とのシーン。
公園でのシーンや夜にイリヤと士郎が出会うシーンを観ればお分かりかと思いますが、彼女は最初から衛宮士郎という存在を殺したいのでは無く、衛宮切嗣の跡を継ぐ存在を殺したかっただけなんですよね。

だから桜を救うか殺すかの選択が迫られたときにイリヤは「好きな子を守るのは当然のことでしょう?」と助言を投げかけます。
あのシーンは完全にお姉ちゃんとしての振る舞いでしたね。

しかし、イリヤが切嗣に対する憎悪を一方的に抱いていたこととは対照的に、切嗣は体が動かなくなるまでイリヤのことを想って何度も会いに行っていました。大河が話すその事実を扉越しに聞くイリヤ…。

この"イリヤが士郎に助言した後でその事実を知る"という流れがとても好きですね。

切嗣からの愛を受けていないと思っていたのに、実際はずっと想い続けてくれていた。
このシーンがあったからこそ、今後の"士郎の為を想っての姉らしい行動"がより光っているように感じます。

逆に、士郎はイリヤが義理の姉ということをイリヤの最後のシーンまで知らないからこそ、劇中で「一度でもお兄ちゃんなんて呼ばれたら、兄貴なんだ。」と言っていたように兄を装います。

でもアインツベルン城で兄を装う士郎を認めさせないようなシーンがあります。
個人的な印象ですが、この"士郎がイリヤを叱るシーン"はお兄ちゃんが妹を叱っているような構図に見えるんですよね。
そんなお兄ちゃんっぽく振る舞う士郎は城から抜け出すためにイリヤに手を差し伸べます。そしてイリヤもその手を取ろうとしますが、、

手を繋ぐことは出来ませんでした。

ここまでの流れは士郎の兄としての姿を認めさせない為に"敢えて手を繋がせない"という演出を入れているように感じます。

もし、イリヤがあのまま手を取っていたら、"本当は義弟である士郎を兄として認めてしまうことになってしまう"と思うんですよね。
だから綺礼を使って引き剥がさせたのかなって。

完全に個人的な解釈なので制作者側の意図とは違うかもしれませんが。。

そしてイリヤは姉として、聖杯としての姿を大聖杯の前で見せます。

このシーンに至るまでを振り返ってみると、
バーサーカーは、実の親のようにずっと守ってくれていて。
切嗣は、遠く離れていてもずっと自分のことを愛してくれていて。
士郎は、自分のために正気を失って死が迫ることを覚悟してくれていて。


色んなキャラクターから多くのものを得たからこそ、最後はそれを返すために姉として、聖杯として、士郎を助けることを決めたのだと思います。

士郎は勿論それを拒もうとする。
けれど大切な人、守りたい人が出来て「生きていたい」という願いも生まれてしまう…

自分の命を勘定に入れることが無かった士郎が言うからこそ、その人間らしい叫びにはこちらも涙が溢れてしまいます。。


加えてこのシーンは"イリヤという聖杯がマスターである士郎の願いを叶えて聖杯戦争が終結する"というのがあまりにも美しいですよね。

最後のルートの最終章に相応しい締め方にひたすら感動。
ここがHeaven's Feelで一番好きなところかもしれない。

そしてイリヤの最期。
姉として弟を守り、聖杯として一つの願いを叶えた彼女を迎えるのは母・アイリ。
そこで駆けだしていく時に天の衣を着た姿から子供の頃の姿になっていく瞬間が大好きで。このシーンはイリヤが全てから解放されているようで堪らなく印象深いです。


だから最期は、姉としてでもなく、アインツベルンの聖杯としてでもなく、"ただのイリヤとして"アイリに向かって行く姿に涙腺が崩壊しました。

色んな家族愛に触れることができ、幸せな表情を浮かべたイリヤをこの映画で何度も見れて感無量です。


そして春はゆく エピローグ

最後は聖杯戦争から時が経って、春が訪れます。

第五次聖杯戦争で終着駅に行き着いたキャラクターもいれば、桜のようにここから新しい人生が始まるキャラクターもいる。
そして人間らしくなった士郎はこれから人形の体で生きていかなければならないという皮肉な運命に行き着く。
そんな士郎との日々に桜はどう感じているか。

その答えは凛の問いに答える桜の表情が物語っていますね。
色んな環境が変化してしまっても、桜を守ると誓った士郎の魂は変わらないでいてくれた。
だからこそ桜は笑顔で幸せだと肯定する。この結末になって本当に良かった。。


エピローグラストの映像と音楽だけで桜のこれからを暗示させるシーンも必見です。

賑やかな花見会場を前に、桜は一度足を止めます。
多くの命を奪ってきた自分にこんな明るい場に足を踏み入れて良いのか。
そんな不安を抱く彼女の隣に立ってくれるのは、やっぱり士郎。

この瞬間があったから、「この先どんな時でも士郎がそばにいてくれる、そして二人で一緒に罪と向き合っていくことが出来る」。

そう確信出来たからこそ、桜は最初の一歩を"笑顔で"踏み出せたのだと思います。

このstay nightシリーズ全てに別れを告げるような幕引きがあまりにも美しすぎて何度見ても涙が止まりません。。

こんなにも素晴らしい最高傑作を見せてくれた須藤監督にただただ感謝。

制作に携わってくれた皆様、本当にありがとうございました!!


総括

めっっっちゃくちゃ長くなってしまいました。
しかもこの記事書き始めたのが3月上旬からだったので完成するまでにも結構時間がかかってしまった。
本当は桜が満開の頃に投稿したかったんですけどね… でもまだギリギリ春って言える季節だと思うので許してください!笑

余談ですがこの記事を書いてる時、 唐突にFateルートとFate/Zeroが見たくなって一週間で全話見返しちゃってました。
やっぱりそれくらいstay nightシリーズは面白いですね。キャラクターも皆大好き。
こんなにも「好き」を感じれる作品はもう一生現れないと思う。

そんな大好きで溢れた想いをこの記事で少しでも感じてもらえるなら、本当に本当に本当に嬉しい限りです。
今更な気もするけど原作も来年の春が来るまでにプレイしようかな。もっともっと深く知りたい。

最後までこんなにも長い文章を読んで頂きありがとうございました!

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ではでは、また次の機会に
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