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『REKIHAKU』011連動展示:顔身体をもつ先史時代の道具たち


はじめに

 『REKIHAKU』011の特集は、顔や身体をつけた道具から、様々な文化・社会の特徴を考えたいと企画しました。なぜヒトは顔に注目するのかを心理学的に解説していただいたり、弥生時代~古墳時代に顔造形がほとんど消えてしまう現象、中国・琉球から九州にかけての顔を持った船、フィクションとしての「付喪神」、中米マヤにおける顔が付いた土器の社会的価値の高さなど、それぞれ特徴的な歴史像が浮かび上がってきました。

 中でも、私が研究している縄文文化は、長い歴史の中で、特定の時間・地域だけに顔・身体をもった土器(以下、顔身体土器)が集中的に表れるという特徴をもっています。本誌ではあまり詳しくは取り上げられませんでしたが、歴博では、レプリカを含めて多くの関連資料を所蔵しているので、この機にそれらを紹介したいと思います。

中村耕作(国立歴史民俗博物館・准教授)

縄文時代中期中葉-勝坂式の顔・身体土器

 縄文時代で最も多くつくられたのが、縄文時代中期の中部高地~西関東の勝坂式の土器文化で、中でも深鉢(鍋)の縁に置かれた土偶と同じような顔を持った頭部像は顔面把手(がんめんとって)と呼ばれ、250例以上が知られています。「把手」とよばれてきましたが手で持つものではありません。その多くは、この頭部だけが見つかるので、意図的に首をもぎ取ったと考えられています。土偶の破壊にも通じる縄文人なりの儀礼のパターンと考えられます。歴博では、土器の形がわかる資料も展示しています。変化の流れを辿ると、もともとは2つの全身像が向き合っていたのですが、やがて脚・体の表現は土器文様に融合して頭部だけになります。こうした変化の過程や、土器の中ほどに顔を持つ津金御所前遺跡の例などからは、土器全体が身体に見立てられていたと考えられています。

 また、この時期には、深鉢(鍋)のほかにも、様々な種類の土器に顔・身体が造形されました。その1つが、有孔鍔付土器です。壺の一種ですが、用途は諸説あります。

顔面把手付深鉢(山梨県甲州市北原遺跡) 国立歴史民俗博物館所蔵
顔面把手付深鉢(東京都国立市南養寺遺跡) 複製(原品:国立市教育委員会所蔵)
両面に顔が付いている。写真より下の部分は想定復元。
顔面把手付深鉢(東京都八王子市中原遺跡) 複製(原品:八王子市郷土資料館所蔵)
顔面把手付深鉢(山梨県北杜市津金御所前遺跡) 複製(原品:北杜市教育委員会所蔵)
土器の真ん中の顔を新生児、土器全体を母とする解釈が一般的だが、後の顔の解釈は難しい。
土偶装飾・蛇体装飾付有孔鍔付土器(神奈川県厚木市林王子遺跡) 
展示品は修復前の複製品(原品所蔵・現状写真提供:厚木市教育委員会) 正面に土偶のような顔を持った全身像、その左右側面にはとぐろを巻いたヘビが置かれる(背面は欠損のため不明)。土偶のような造形については、ヒトをモデルとしたという説や、カエル文にヒトの要素が融合したものという説などがある。

縄文時代後期前半の人体文土器・狩猟文土器

 縄文時代中期末~後期初頭の東北から新潟にかけて、深鉢(鍋)に複数のヒト形の全身像や動物・弓矢などを表現する一群が生まれます。前者のみのものは人体文土器、後者を含むものは狩猟文土器と呼び分けられています。なお、「人体」文と呼ばれていますが、土偶と同じくヒトそのものを表現しているかはわかりません。

人体文土器(新潟県糸魚川市井ノ上遺跡) 複製(原品:糸魚川市教育委員会所蔵)
口の部分がゆるやかに4箇所波のように高くなっており、このうち2つ隣り合った波の下に人体文が表現されている。片方の顔は失われているが、股間の表現が違うので男女を表現している可能性がある。
狩猟文土器(青森県八戸市韮窪遺跡) 複製(原品:青森県立郷土館所蔵)
上の写真の左側に弓、右側に狩猟対象獣が表現されている。
下の写真(背面)の文様については諸説ある。

縄文時代後期後半の香炉形土器

 中期の勝坂式と並んで、顔身体土器が多いのが、後期後半の東北地方の瘤付土器とよばれる一群です。『REKIHAKU』011でも紹介したように、注口土器に顔を付すものが多いのですが、歴博では所蔵しておりません。

 この時期には顔が付いた土器が出現するだけでなく、新たな儀礼用土器として、香炉形土器が出現します。形状から香炉のような香り・匂い・あるいはほのかな光を発する機能が想定されていますが定かではありません。いずれにしても、後期後半~晩期前半の東北を中心とした範囲で使われただけで後には続かない特殊な道具です。

動物装飾付香炉形土器(青森県むつ市大湊近川遺跡出土) 複製
 (原品:青森県埋蔵文化財調査センター所蔵)
香炉形土器の一番上には、通常「U」字形の飾りが付くが、顔面や動物表現となる例もいくつか知られている。本例は横に傾き、それぞれの先端に細かい造形が施されており、2匹の動物の交尾の表現とする説がある。

縄文時代晩期前半の顔面突起

顔面突起(千葉県多古町桜宮遺跡) 国立歴史民俗博物館 
(写真提供:萩野谷悟)
晩期前半の東北と関東では後期末に引き続いて注口土器の最上部に顔を付すものがあり、本例もそうした一例と考えられる。2022年度に寄贈を受けた新資料。

西日本弥生文化の線刻画

 新たに稲と青銅器を伴う西日本の弥生文化では、儀礼用の土器にも変化が起こります。縄文の顔身体土器が立体的であったのに対し、西日本の土器や銅鐸には顔・身体やその他の動物・道具などを線画で表現します。縄文の立体造形の多義性に対し、メッセージをより限定的に発信するものへの変化と考えられています。

辟邪文銅鐸(島根県出土) 複製(原品:個人蔵)
絵画土器(奈良県天理市清水風遺跡) 展示品は複製
(原品所蔵・写真提供:奈良県立橿原考古学研究所附属博物館)
大きく描かれた人物は、シカを描き、袖に三角文を施した衣服をまとう。この人物の顔の表現からも、動物に扮した司祭と考えられている(特に鳥装説が有力)。
絵画土器(奈良県橿原市坪井遺跡) 複製 (原品:橿原市歴史に憩う橿原市博物館所蔵)
こちらの人物も、羽のような袖から、同じような司祭と考えられる。
人面文土器(愛知県安城市亀塚遺跡) 複製(原品:安城市教育委員会所蔵)
縄文以来の黥面をもった顔を線画で描く。類例は弥生時代後期末~古墳時代初頭の東海地方に多い。

東日本弥生文化の顔壺

 一方、弥生時代に入っても、東日本では縄文時代から継承した文化を色濃く残していきます。その代表例が、土器棺再葬墓です。再葬墓の多くは顔身体表現に乏しい壺ですが、中には顔壺と呼ばれる立体的な顔身体土器の一群も知られています。また、縄文土偶が変容した幼児用骨壺と考えられている土偶形容器もあり、男女ペアで作られた可能性が指摘されています。顔に黥の表現されるものも多く見られます。

顔壺(上右3点)と土偶形容器(下右7点)

続縄文文化のクマ

 北海道の続縄文文化では、土器や骨角器に動物(特にクマ)を表現するものが多く知られています。

クマの頭がついたスプーン(北海道伊達市有珠モシリ遺跡) 複製 
(原品:伊達市教育委員会・伊達市噴火湾文化研究所)
歴博ではクマを付したスプーン3点、刺突具1点とクジラを表現したスプーン2点も展示しています。
把手部にクマをデザインした鉢(北海道函館市恵山貝塚) 複製 (原品:市立函館博物館所蔵)


中村耕作 国立歴史民俗博物館・准教授
専門は縄文時代の儀礼・葬送・象徴、土器からみた社会関係の研究など。
【著書】『縄文土器の儀礼利用と象徴操作』(アム・プロモーション 2013年) 【趣味】旅行・キャンプ 【SNS】X(旧Twitter)FacebookYoutube

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