資料を残し伝えることの意味(天野真志)

※ このnoteは「REKIHAKU 特集:されど歴史」(2020年10月刊行)に掲載された特集記事の転載です。

災害と向き合う「資料」という道しるべ

大規模な地震や津波、さらには感染症など、社会を揺るがす困難に直面した際、過去に起こった類似の事象を探し出し、そこから何かしらの教訓を得ようとする現象が広く見られる。二〇一一(平成二三)年の東日本大震災時には、貞観地震(八六九年)や慶長地震(一六〇五年)などが注目を集め、新型コロナウイルスが流行する現在では、スペイン風邪など過去のパンデミック(世界的大流行)への関心が高まっている。もっとも、現状を理解するために過去を探る行為は歴史経過のなかで絶えず繰り返される。たとえば秋田県公文書館が所蔵する「寛斎雑記」という資料には、幕末期に大流行した「暴瀉(ぼうしゃ)」すなわちコレラによる混乱状況を伝える書翰の一部が書き写されている。この書翰を写し取った人物は、伝えられた情報から凄惨な事態を把握するとともに、その影響を検討するために、過去の事例としてかつて中国で流行した感染症について、朱書きで認めている。すなわち、一六四三(中国の元号で崇禎一六)年に中国では「異病」が広く流行し、数え切れない死者が発生したという。記録をしたためた人物は、この疫病を明が滅亡する兆候であったと理解し、コレラが蔓延する状況のなか、日本でも同様の混乱が起こることを危惧している。このように、過去の事象は、直面する困難を乗り越える手掛かりとして、あるいは将来起こり得る混乱への備えとして注目され、現在を生きるわれわれにとっての道しるべとして古くから求められていた。

過去の災害情報は、多くの場合その災害を経験した人々や状況を見聞きした人たちが書き記した記録によって現在に伝えられている。古文書と総称されるこうした記録は、自然災害に限らず、過去の出来事を理解するための重要な基礎情報を与えてくれるが、これらの記録が日々失われつつあることはご存じだろうか。

全国各地には、古文書を含めその地域の歴史文化を象徴するさまざまな資料が伝えられており、それらが生成・利用された地域のなかで継承されてきた。博物館や文書館、図書館などの機関にも膨大な資料が管理されているが、圧倒的多数の資料は、かつて村や町の役人を務めた個人宅を始めとする民間に残されており、個人や周辺地域によって守り伝えられてきた。しかし、時代の変化とともに地域をとりまく環境は大きく変容し、家を単位とした資料の継承が困難となっていく。そうしたなかで、一九九五(平成七)年に阪神・淡路大震災が発生すると、その後日本列島全域で地震が頻発するようになる。さらに台風や豪雨などの災害も続発し、人々の命や生活が脅かされる事態に直面するなか、地域に伝わってきた資料も滅失の危機に瀕している。

資料をどう救済し、保存・継承するか

過去を表す資料が失われることは、現在に至るさまざまな事物の成り立ちを理解する基礎情報を失うことでもある。これまでにも多様な危機にさらされる資料を守り、後世に伝えるための取り組みが展開してきたが、とくに近年では災害対策として資料の保存・継承を目指す取り組みが各地で模索されている。

阪神・淡路大震災を契機として、「資料ネット」と呼ばれる活動が各地で広がっている。この取り組みは、災害の発生により個人宅などに伝来する資料が失われるという危機感から、それらの消滅を防ぐことを目的としたものである。もっとも「資料ネット」は必ずしも災害対策に特化せず、日常的な管理や活用も含めたネットワークとして各地域での活動を展開している。現在「資料ネット」は全国に二〇団体以上が活動している。その具体的な取り組みは多岐にわたるが、大学や博物館、自治体などの組織を横断し、地域を単位とした幅広い連携を基盤としている点に共通点があり、地域住民との対話や協働を通して地域の歴史文化を見つめ直し、資料の保存・継承を目指している。

被災した資料を残すことには多くの困難を伴う。津波や豪雨などで泥まみれになりカビが大量発生した資料を保存するためには、汚損物質の除去や破損・劣化の進行を防ぐ手当が必要となる。資料から泥を落とし、カビを抑えるためにはどのような方法が有効であるのか、その手段によって古文書はどの程度ダメージを受けるのかなど、保存に関わる諸分野の知見を取り入れた実践が求められる。

また、被災した地域から救い出された古文書を後世に伝えるには、それを継承する場を考える必要がある。東日本大震災では、大津波や原子力災害により地域そのものが消滅、もしくはそこでの生活が極めて困難となる事態が発生した。地域の成り立ちを伝える資料は、それが生成・利用された場所に残され、地域の履歴として伝えられることが一つの理想として掲げられる。災害は、そうした基盤を崩壊させる存在であるが、自然災害に限らず、過疎高齢化社会の進行や各地で顕在化する限界集落など、かつて資料を守り伝えてきた地域が動揺するなかで、今後はどのような伝え方が必要になるのだろうか。自然災害により顕在化したこうした課題は、これまでにも全国各地で潜在的に進行していた状況でもある。地域における資料保存は、その場に伝わる歴史的・文化的なモノを残し伝える営為であるが、そのためには、資料を物理的に残す方法だけでなく、恒常的に伝えていく環境の検討が求められている。

あらゆるものが「資料」である

現在各地で展開する資料保存とは、地域の成り立ちと現在地点について、資料の調査・保存を通して理解し、所蔵者や地域住民とともに未来のあり方を考える取り組みでもあるだろう。そこで繰り広げられる議論は、地域の実情によって千差万別であるが、さまざまな模索のなかでいくつかの現象が起こりつつある。

例えば、「資料」とされる範囲の拡大である。東日本大震災への対応時、津波によってあらゆるものが被害を受けるなか、少しでも地域や人々の生活履歴を残そうとする取り組みが広がっていった。写真などのいわゆる「思い出の品」がボランティア団体の手によって多く救い出されたことは、ニュースなどでも広く紹介されたが、古文書の救済についても同様に、「資料ネット」などによって救済活動が展開している。そこでは、一見して再起不能とも思われるような状態のあらゆる記録が、地域のなかで伝わってきた貴重な記録として救出されてきている。

一般に、「資料」ととらえられるものは、ここでは歴史的・文化的な情報を保持すると認知されたものを指す。泥やカビによって壊滅的な被害を受けたものも、あらゆる手を尽くして一点でも救い出そうとするこうした模索は、過去に生成されたあらゆる記録に歴史的な情報が含まれるという理解に基づき、特定の価値判断や被災状況に左右されず、可能な限り後世に伝えようとする営為である。結果として、災害が発生するごとに、被災地にはページを開くこともできない状態で、劣化の進行を抑えながら今後の対応を待つ多くの資料が山積している。これらの資料は、今後どのようなかたちで保存するべきなのか、歴史情報の抽出と資料の保存・管理に向けた幅広い議論と検証、実践が検討されている。

こうした現象と連動して、あらたな「資料」を見いだす取り組みも各地で展開している。阪神・淡路大震災当時、大災害に直面した社会の状況を記録として残す活動が、神戸市を中心に起こった。「震災資料」と呼ばれた一連の資料は、避難所の運営や生活の過程で発生したチラシやミニコミ誌、または配布物など、災害時の生活を象徴するあらゆるものを「資料」ととらえ、後世に伝えるべき災害の記憶として保存されていった。その後、新潟県中越地震(二〇〇四年)や東日本大震災、熊本地震(二〇一六年)など大きな災害が発生すると、地域に起こった異常な状態を伝える震災の記憶として、多くのものが収集・保存されている。

震災資料保存の取り組みは、大災害という事態を体験した人々が、現状を歴史的な事件として認識し、後世における検討素材として歴史の断面を残し伝えようとする意思でもある。災害を経験もしくは観察した人々が、それぞれの判断基準に基づいてあらたに資料を見いだすこの活動は、歴史的・文化的な「資料」の範囲を飛躍的に拡大させようとしている。現在でも、新型コロナウイルスが流行する状況を後世に伝える「コロナ・アーカイブ」とも呼ぶべき取り組みが世界的にも広がっている。

図22018年に発生した西日本豪雨で被害を受けた古文書などの救済(2018年7月30日、広島県立文書館)

図3津波被害を受けた古文書(2012年3月26日、宮城県石巻市)

資料保存を通して未来とどう向き合うのか

資料をとりまく環境は、大きく変わりつつある。震災資料に象徴されるように、人々はさまざまな関心や目的からあらたな価値観を創出し、それに基づき膨大な資料を「発見」していく。デジタル技術の進展は、人々の生活や社会の断面を容易に記録化することを可能にし、一昔前には想像もできなかった規模の「資料」をもたらしている。

一方で、これまで継承されてきた古文書などは、さまざまな危機に直面している。資料をとりまく社会関係の変容や自然災害の多発化により、かつて理想とされてきたように、資料をその地域で守り伝えることが多くの場所で困難となりつつある。では、地域のアイデンティティーとして注目され保存・継承されてきた資料を伝えるために、われわれは地域と資料に対してどのような行動ができるのだろうか。めまぐるしく価値観が変容する現在、資料の保存と継承に向けた模索は大きな転換期にあるのかもしれない。

二〇一一年以降、津波や豪雨などの被害を受けた膨大な資料と対峙した筆者は、その過程で多様な分野・立場の人々と対話し、一つの資料に対してもさまざまな価値観が存在することを実感した。その後いくつかの現場で活動するなかで、こうした多様な価値観を認識しつつ、保存や継承に向けた横断的な議論の場を設定していくことが必要になるのではないかと感じるようになった。近年では、保存に向けた技術的な検討や情報蓄積のあり方、地域との対話などの相互連携が多方面で模索され、ネットワークの構築が資料保存にとって大きなテーマとなっている。急速に変わりゆく社会状況に対し、資料を誰が守り伝えていくのか、さらにはその資料からどのような知見を得ていくのか。資料を通して過去を見つめるなかで、われわれはどのような未来を展望しようとするのだろうか。資料の保存を通して向き合うべき課題は多い。

執筆者プロフィール

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天野真志(AMANO Masashi)
国立歴史民俗博物館特任准教授(日本近世・近代史、資料保存) 
【著書】「出羽国秋田藩の文書調査と由緒管理」(『常陸大宮市史研究』3、2020年)、「歴史文化資料の保存・継承に向けた課題と可能性」(国立歴史民俗博物館編『Integrated Studies of Cultural and Research Resources』ミシガン大学出版局fulcrum、2019年)、『記憶が歴史資料になるとき』(蕃山房、2016年) 
【趣味・特技】汗をかくこと

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