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日記のようなもの。他人の目が気になる。

富士山の麓で阿字観瞑想しましたらな。


自己啓発系とか、お説法とかでよく言われるようなやつ。あるじゃないですか。あーゆーのってわかってても脳みそや体が拒否反応起こしたり、実際その場面になった時、"よく言われる系"のセリフ通りにできなかったりするじゃないですか。

できなかった。わかってたはずなのにできなかった。思えなかった。とか、それでまた落ち込んだり。

でも今日、富士山の麓で阿字観瞑想をしていたらある種のことがスコーーーーンと、自分の腹の中に収まって。というか、心がそこの道筋をハッキリみつけた。という感覚がありましてですね。

〜阿字観後見つけたもの、以下〜

これ言ったらこう思われるかな。とか、これやったらこう思われるかな。とか、他人の声を気にしてるようで結局自分の声。

想像の中の他人の声って、リアルな声じゃない。"自分の中の他人"みたいな存在が言うてるんだけど、その自分の中の他人って、自分の中だから、自分。

・自分が自分に問うて
・自分が自分を色眼鏡で見て
・自分が自分に批判の目を向けて

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他人の目を気にしててもいいけど、それは本当の他人の目なのか。自分が創り出した想像の他人なのであれば、それは自分。自分との対話。という事への道筋がハッキリと見えました。

阿字観(あじかん)は、密教において説かれる瞑想法であり、日本では、平安時代の弘法大師空海によって伝えられたとするものを指す。

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