周回軌道上ですれ違う星々のような


 愛の物語というとどんなストーリーを思い浮かべるだろう。
 あちらとこちら、深く流れの速い川のごとき障害(厳しい親の反対に遭ってもいいし、世間の無理解に引き裂かれていてもいい)に隔てられるふたりがそれでも惹かれ合い荒波に揉まれ激流をわたり結ばれる。――ざっとこんな感じ。
 しかし先般『袋小路の男』を一気に読み終え「はあああ、すんごくよかったあああ。この本、好きじゃあああ」などと余韻にひたりつつ読み返していてふと、気がついた。
 三つの短編からなるこの作品は愛の物語だった。障害がふたりを引き裂くわけではない。結ばれもしない。それでも確かに愛の物語だった。
 そして、この短編集に出てくる人物は星みたいだと思った。夜空を彩る星々、銀河に散在する星系の中心で燃える恒星のようでもあるし、楕円の軌道を描きめぐる惑星や彗星のようでもある。三番目の短編「アーリオ オーリオ」に宇宙が出てくるからそんなイメージが浮かんでくるのだ。

 はじめに配された表題作「袋小路の男」は日向子が小田切と出会い、告白しようが拗ねてそっぽを向こうが縋ろうが恋は成就しないというのに、つかず離れずの交流が十数年にわたり続く話だ。こう書くとどうにも乾いて救いがないように思われるだろうしそういう側面もないとはいえない。しかしどうだろう。しゃきしゃきとみずみずしいサラダをリズミカルに咀嚼するのに似た愉楽とともに読み終えてその滋味に満足のため息をついた。
 二番目の「小田切孝の言い分」は続編のような、「袋小路の男」の語られなかったところを埋めているような短編だ。「袋小路の男」ではつれない態度を貫き日向子に妬心でねじ切れそうな思いをさせる小田切にも「言い分」がある。ゴシップを楽しむのに近い心もちで少々後ろめたいわくわくを胸に抱き読み進めた。
 日向子と小田切を星にたとえるならば、彗星だ。成就するかもしれない恋を中心にぐるぐるまわりつづける。それぞれの人生を歩む日向子と小田切という彗星の軌道がたまさか接することがある。小田切が大怪我をして入院したり、日向子が望まない妊娠をしてしまったり、そういう大事にいたればふたりはお互いに助け合う。恋人にはなれない。夫婦にもならない。それでも〈恋人未満家族以上〉、唯一無二の存在なのだ。
 彗星の軌道や周期は少しのずれで変わることがあるという。小田切を思えども思えども翻弄されつづける日向子、決して恋人にしないのに日向子を湿った引力と魅力で以て縛り執着しつづける小田切の〈指一本触れたことがない〉関係の、たまさかすれ違うのみだった軌道に伴走したどりつく読後、胸を充たす感懐は穏やかに凪いでいる。

 三番目の「アーリオ オーリオ」は、清掃工場に勤める技術者である哲と中学三年生の姪の美由との文通を軸とした静かなトーンに終始する短編だ。前二編もよかったが、この「アーリオ オーリオ」が特によかった。
 あまり接点のなかったらしい叔父と姪が春のある日、プラネタリウムへ出かけたことをきっかけに手紙のやりとりをするようになった。技術者であり、天文好きでもある哲は通信教育をするような気持ちで返事を書く。清掃工場で炉の火を監視し、機械のメンテナンスをし、ソースを替えて毎日のように決まった量のパスタを食べ、月に一度高校時代からの友人と天文台へ出かける――人間関係が希薄で変化のない日々を過ごす哲の来し方行く末を、美由は手紙に綴る生き生きとしたことばで照らす。
 プラネタリウムに出かけた日にはリアルタイムじゃないと気の進まない様子だった美由が手紙を書くようになり、〈ふつうの映画だと作り話じゃんって感じだけど、ほんとの話だとすごいなあって思うし、なっとくするからです〉とドキュメンタリー映画を作る夢を語るようになり、ついに自分の世界をつくりはじめた。

 今日、私は新しい星を作りました。私だけにしか見えない星です。たった3光日の距離にあります。名前はアーリオ オーリオ。
 私は、哲おじさんに手紙を書くときカーテンをそっと開けて、星を見ます。手紙を書いて、ポストに出して、おじさんに届いて、おじさんが読むまで3日かかります。そのとき、アーリオ オーリオの光が届くのです。

 3光日隔てた距離で哲と美由はそれぞれに宇宙へ目を向けることで同じ星にいるお互いを、3光日隔てた別の星にいるお互いを気遣う。

 短編集『袋小路の男』の三編は私に深い満足をもたらした。その満足は共感と肯定感とを多く含んでいる。私は日向子と小田切、哲と美由、ふた組の男女と立場を同じくするわけではない。作中の人物の心情を己に引き寄せるタイプの共感でなく、シンクロして「自分は今のままでいい」と多幸的肯定感を抱くわけでもない。
 作者の手により綴られる人物が温度とにおい、リアリティをもって心の中で像を結ぶ。幸せいっぱいとはいえず苦しさを抱え生きるひとびとのありように「こういう愛もいい」とうなずき応援したい気持ちになる。祝福に似ているというと大げさだろうか。他者への肯定の気持ちを抱くことの満足を得た。

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