幽霊たちの終の棲家を守れ! ジョニーのちょっと変わった人助けストーリー

『ゴースト・パラダイス』(テリー・プラチェット著/鴻巣友季子訳/講談社)


「あああああ、いやあ、だめえええ!」
 数年前に亡くなった英作家テリー・プラチェットの遺言に従い、未完成原稿がおさめられたハードディスクをロードローラーで粉砕したとの報に接した折の魂の叫びである。
 粉砕したって、ロードローラーって、どうしようもこうしようもないってことじゃないか。未完成原稿があるってあったってんもおおおおおお!
 泣きながら『ゴースト・パラダイス』を読んだ。すぐに夢中になって笑いを堪えきれなくなった。そして最後、しんみりした。
 そういえば。
 プラチェットが亡くなったと知ったときにも泣きながら『ゴースト・パラダイス』を読んだんだった。そしてすぐに夢中になって笑い、最後やっぱりしんみりしたんだった。

 本書は九十年代初頭、ロンドン郊外にある架空の地方都市ブラックベリーを舞台にしたSF要素ありのファンタジーだ。主人公はちょっとぼんやりしたところのあるジョニー少年。「将来はまだ名前のついていない何かになりたい」と願う一方、学校を卒業したら地元で就職し結婚して、年をとったら老人ホームに入って死ぬんだろうなあ、なんて無難な人生設計をしている。でも困った人を見ると助けずにいられない。彼の「人」の定義はずいぶん広い。本書はジョニー三部作の第二部。邦訳されていない第一部で、私の記憶が確かならばジョニーはゲームを通じて異星人を助けているはずだ。
 ハロウィーン間近のある日、ジョニーは下校途中、近道をするために通った墓地で友人ウァブラーとの世間話をきっかけにちょっとした出来心で墓石をノックする。すると墓の主である幽霊が出てくる。ウァブラーとの世間話に出た墓地の売却話に「終の棲家を失う」と困惑する幽霊たちに頼まれて、ジョニーはあまり乗り気でない仲間たちとともに立ち上がる。
 この幽霊たちはなぜか「幽霊」と呼ばれることを毛嫌いし、「ただ死んでいるだけで決して幽霊でない」と主張する。かれらはかつてブラックベリー市に貢献した名士なのだけど、あともうひと息で偉人になり損ねた人々だった。最多オウンゴール記録保持者のサッカー選手や、マルクスに先を越され共産主義を発表できなかったプロレタリアートの英雄、脱出マジックに失敗してしまったマジシャンなど多士済々。
 はじめは小学生の社会科のレポート作成という体で住民説明会に参加する程度だったのが、どんどん話が大きくなっていってとうとう話が自治体と業者の癒着問題が発覚する騒ぎになってしまう。一方、終の棲家を守りたがっていた幽霊たちはジョニーを通じて墓地の外の世界へ目を向けはじめる。

 ハリウッド映画になるといたずらの範疇におさまらない仕掛けの大きいアクションシーンがばんばん出てきちゃったりして、そんな荒唐無稽な展開も魅力だったりするのだけれど、本書ではそうならない。小学生が肌で感じられ、動ける範囲に不景気や行政問題、人種問題などが配され、その中でジョニーと友人たちがじたばたする。
 地味な話になりそうでいて、そうならない。ノリのよい機知に富んだ文章に夢中になって読み進めた。人は死んだらどうなるの? 子どものころの問いに可能性のひとつとしてこういう答えがあるのもいい。少しさびしく、そして心あたたまる読後感が心地よい佳作である。

 私はあまり熱心なプラチェット読者とはいえないだろう。
 初めて読んだプラチェット作品が『ゴースト・パラダイス』、次いで「遠い星から来たノーム」三部作、ディスクワールドシリーズを少しと『天才ネコモーリスとその仲間たち』『ゴースト・パラダイス』が三部作の第二部だと知り原書を(英語が苦手なので)半べそかきながら読んだくらい。
 それでもプラチェットの作品が好きだ。特にこの『ゴースト・パラダイス』が大好きだ。
 主人公のジョニーは家庭に問題があり、学校では冴えないグループにいてまだ子どもなのにいろいろなことを諦めている。そんなジョニーが思い切って一歩踏み出すシーンが作中で何度か出てくる。

 ジョニーは立ち去りかねていた。いまここで背を向けて、家に帰ることもできる。
 でも、背を向ければ、つぎに起きることは一生知ることができない。ここで立ち去ったら、こんなことがなぜ起きたのか、つぎになにが起きるはずだったのか、永遠に知ることはできない。背を向けて立ち去って、おとなになって、仕事に就いて、結婚して、子どもをつくって、お爺さんになって、隠居して、食器をもってサンシャイン・エーカーズ老人ホームに入って、昼間のテレビを見て、いつか死ぬのだろうけれど、一生なにも知らずに終わるのだ。
 でも、待て。もしかしたら、ぼくはもう一回分の人生を終えているのかもしれない。すべてはもう起きたあとで、死にかけたぼくのもとに、どこからか天使があらわれて、「一つ望みがかなうなら?」といったのだとしたら? それで、ぼくは「ひとつお願いがあります」という。あのとき走って逃げずにいたら、なにが起きたのか知りたいと。そうしたら、天使はこういう。「いいでしょう、おもどりなさい、そのときに」そういうわけで、いまぼくはもどってきた。よし、自分の期待を裏切るな。
(『ゴースト・パラダイス』(テリー・プラチェット著/鴻巣友季子訳/講談社)より抜粋)

 ジョニーの「そういうわけで、いまぼくはもどってきた」は私の心に火をともす。初めて『ゴースト・パラダイス』を読んで以来何度か、「そういうわけで、いまぼくはもどってきた」的シーンに実際出会し、「思い切って踏み出してみてよかった」と思うこともあれば「やめときゃよかった」と思うことも「やっぱり諦めずに行っときゃよかった」と思うこともあった。
 このあいだ読んだばかりだというのに、嬉しいことがあったからまた『ゴースト・パラダイス』を紐解いた。すぐに夢中になって笑い、最後やっぱりしんみりした。「そういうわけで、いまぼくはもどってきた」はいつも私の心を熱くする。

シミルボンより転載)

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