工業製品ではない私たちのこと

ベルトコンベアにのった、整った工業製品たち。規格にそぐわないものは、弾き出される。そうすることで、『どれをとっても同じ、標準にそったもの』が達成される。

いま私たちが生きている社会は、標準的であることが厳しく求められている気がしてならない。『ある規格から外れないように』私たちは、社会という名のベルトコンベアの上を、高い高い平均台の上のように恐々と歩いている。
落下したら最後、這い上がることはできない。B級品なのである。

私たち人間の『ある規格』とは何か。それは『健常者』とも言い換えることができる。五体満足、健全な精神、凸凹のない整った能力…etc

『ある規格』で揃えられた人間でつくられる世界とは何か。それは、同じ色の真四角のタイルばかりで埋め尽くされた世界。

ところで、『ある規格』に1ミリの狂いなく合致する人間はいるのか?答えは、限りなくNOに近いだろう。ほぼみんな、減点方式でベルトコンベアから外れていく。

そう、私たちは規格に厳格な工業製品のようにはできていないのである。様々な色や形のタイルがバラバラと集まっているのが、社会の本質なのではないだろうか。工業製品的に言えば、B級品ばかりなのだ。

さて、バラバラのタイルが溢れたこの社会。ひとつにまとめるとしたら、どうすればよいか。答えは、凸凹を埋め合わせるパズルのように、組み合わせるのだ。モザイク模様のタイル絵。
遠くからそのタイル絵を見ると、どんな絵が描かれているのだろう。その社会では、どんな景色が見れるのだろう。

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地味な色の小さな小さなタイルだとしても、どこかにきっと、そのパーツがピタリとはまる場所があるはずだ。


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