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言葉を知らない哺乳類に戻り空を祈る

 二日ほど故郷の実家に戻っていた。庭に孔雀サボテンの鉢植えがある。真紅のつぼみが膨らみつつあるのを見てその奇妙な色彩に少しばかりたじろいだ。ホタルブクロのうすい紫色とアジサイの葉の上で置物のように固まっていたカエルのきみどり色に心惹かれた。築40年の木造家屋と小さな庭と腰の曲がった今年90の母。駅に向かうタクシーからバイバイと手を振ったが、母は私と目を合わせようとはしなかった。私はあの家で暮らし、あの家を離れた。事実はあっけなく、しかし決して変更はきかない。

 新幹線の中でワシントンポストを読んだ。イランでヘリコプターが墜落,
RAISI大統領他数名が命を落としたとある。各国からの哀悼の言葉が並んでいる。ロシア、プーチン大統領。ベネズエラ、マドゥーロ大統領、パキスタン、シャリフ首相。インド、モディ首相。ハマスから文章もあった。ハマスを率いるリーダーの名を知らないことに気が付いた。揃って亡くなったRAISI大統領を讃えている。プーチンはRAISIをoutstanding politician devoted to the Motherlandと呼ぶ,とある。プーチンは、RAISI大統領にとってIRANが母なる祖国であると知っているのだ、ならばその公式をプーチンが敵対するウクライナ及びNATO諸国に当てはめることは不可能なのか?ハマスは対イスラエル戦におけるイランからの支援に対し礼を述べている。ネタニエフ、バイデンからの言葉は少なくともこの記事には見つからなかった。

先日、聖書の一日は人間の千年であるとどこかで読んだ。幼い頃、スペイン映画「穢れなき悪戯」を見てからというもの、私は日々直感的にイエスの存在を追っている。しかし理屈で宗教を捉えたことはない。キリスト教徒ではない。聖書を読んだこともない。けれどもし聖書の一日が人間にとっての千年であるのなら、聖書に描かれた物語の不可思議な荒唐無稽も、あるいは客観的事実であると、いつか誰かが知ることになるのかもしれない。

祈りはたいてい夜半に訪れる。言葉を知らない哺乳類に戻り空を祈る。




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