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人間は虫ほど賢くはない。M氏とB社の争いを見て思うこと。

2024年3月28日もうじき22時30分です。いまだコロナ完治せず、外に出ることが出来ずにいます。縁あって手元に一冊の本があります。タイトルはCharlotte’s Web(邦題:シャーロットの贈り物)作者はニューヨーク生まれのE.B.WHITE氏とあります。私はこの本の中の一文が大好きです。
 「People are not as smart as bugs.」日本語にすると「人間は虫ほど賢くはない」となりますでしょうか。この書物の中でこの一文がどのように機能しているのかは私にはわかりません。実は私はこの一文のあと、この本を読んでいないからです。

大手出版社B社が、芸人M氏によって性的に弄ばれ深く傷ついたとする女性の訴えを記事にしたことをきっかけにM氏とB氏の間で裁判が行われているようです。正直、私にとってこの問題はひとつの嘆かわしいけれどもどうでもいい現象でしかありませんでした。しかしこのニュースが例のジャニーズ事件を追いかける形で海外諸国に知れ渡っていることを知り、ようやくB社の記事を読む気になりました。読後、激しい怒りにかられました。記事の内容に対してではなく、M氏に対してでもその関係者に対してでもなく、被害者とされる女性にたいしてでもなく、この記事そのもののが放つ醜悪さに腹が立ったのです。書くことに慣れた人の文章でした。プロの文章なのでしょう。まるで書き手がその場所、都内高級ホテルの一室に同席していたかのように、文章は実に巧みにその夜の情景と男と女の会話を描いていました。性によって翻弄される人間の本能をくすぐる、又は力のある者は弱者の性を好きなように蹂躙出来るし、実際そうした光景はこの世界に山ほどあることを読者に認識させ、あるいは読者に性的刺激を与えうる、たいへん想像力に溢れた文章でした。

私が疑問に思うのは「この記事は何のために書かれたのか?」の1点です。被害者とされる女性の心と体の痛みはこの記事によって救われるのでしょうか?9年前に彼女が本当にM氏によってこの記事にあるような扱いを受けていたのであれば、彼女は即日、翌日、否、1ケ月後でも構いません。ラインのやりとり、M氏に教えられた電話番号等を証拠に警察に駆け込むべきでした。けれど彼女はそれをしなかった。いろんな理由が考えられます。芸能界への道を閉ざされたくなかったのかもしれません。誰もが敵に見え、恐ろしくて警察沙汰になどしたくなかったのかもしれません。
本当に何があったのかは、当人たちにしかわかりません。悲しいけれど「他者の腹の底は誰にもわからない」からです。今わかっているのは9年前に女性に何かがおこり、9年後女性がB社に自分が持っている記憶と情報をさらけ出し、B社は彼女が訴える苦痛を巧みな文章で加工し、世の中を騒がせている。ということだけです。私が感じるのはM氏B社に共通の、一種の「傲慢」です。力がある者は支配下にある者に対して何をしてもかまわないという、おそらく本人たちも気づいていない悲しく愚かな意識です。

日本人の精神はいまだ未開の原野なのかもしれません。民主主義、基本的人権、生存権、ダイバーシティの意味を知りながらも、毎日のように各種のハラスメントが起こっています。今日も宝塚歌劇団内でハラスメントがあったことをようやく宝塚側が認めたとのニュースがありました。私たちはごく幼い頃から、人間は、差別、いじめ、言葉、暴力により、他者を性的身体的精神的経済的社会的に支配できるし、歴史はそれを実証していることを、本当は知っているのです。けれどそれをどうすることもできない。なぜでしょう?

People are not as smart as bugs.
シャーロット(心優しい蜘蛛)にそう言わせないよう、人間は学び、成長しなければなりません。復讐ではなく超えるために、思考を続けることが何よりも大切だと思います。

遅い時間になりました。おやすみなさい。よい夢を。

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