風になる(4)
悲しいことがあった時には上を向いて歩こうなんてよく言いますが、涙が耳に引っかかってイテテとなったことがあります。
ということで、5つの予定が6つになりましたが、怒らないでください。
前回は↓から。
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と言っときながら、シュウが純心にやって来たのは、次の日のことだった。
「今日はなんかお天道様がやれって言っているから、準備よろしく!」
寝ぼけ眼の私にチサトさんに電話でそのように言われて、布団を片付けてコーヒーやらお菓子やらの準備をしていると、彼がすっと現れたのだ。
「いやあ、昨日ぶりだね!」
ん? 夜ぶりか、なんてへらへらと笑いながら。昨日の夜に見せたあの真剣な顔は一体何だったんだろうと思いながら、取り急ぎということでコーヒーを淹れてあげる。
「お、アリサってコーヒー淹れられるんだ!」
「そりゃあ、チサトさんに心を込めて淹れなさいって教わったもの」
「うーん、良いよね。やっぱり誰かのために淹れるコーヒーは最高だよね」
「あ、わかる。でも淹れたことあるの?」
「あるよ!」
笑いながら返される。気が付くと、私とシュウはまるで何十年来の友人のように会話をしている。
「大学生の時かな。母さんにコーヒーの淹れ方がなっちゃいない! って説教されたんだよね」
「なんでそんなことで」
私は笑いをこらえながら、彼を見る。ただ、笑いながらもシュウはいたって真剣だった。
「でも思うんだよ。母さんってそうやっていつもご飯作ってくれていたんだなって。でもぼくたちが大人になって行くにつれてやっぱりそうした愛情の込め方も教えて行かなきゃいけないって思ったんだろうね」
「どうして?」
「愛情ってさ、与えるだけじゃなくて、与えたいと思わせないとダメなんだよ」
ズキンとくるような、痛みを覚える。そういえば私はいつでも、ケイに何かを与えてばかりで、私が何かをもらったことはほとんどなかった。強いて挙げるなら。あのシャネルのバッグくらいなのだろうかと思うと、私の胸が少し苦しくなる。
「それでさ」
「うん」
「最終的にお母さんからコーヒー、なんて言われたの?」
「あんたも少し入れるのは上手くなったね、だってさ」
二人で噴出しているとお湯が沸き、そしてゆっくり丁寧にコーヒーを淹れていく。ゆっくりとポタリを落ちていくコーヒーの雫。思うと、私はこんなにゆっくりとコーヒーを待っていたことは無かったな、と思う。いつもコーヒーと言えばスターバックスだったし、インスタントだし、缶コーヒーだった。だけれどこれだけゆっくりと作り出されたそれを吟味しながら淹れていく時間を過ごしたことがあまりにも少なかったのだ。
それから、出来上がったコーヒーをカップに入れて、目の前のシュウに渡す。嬉しそうな顔をしたシュウはゆっくりと飲みながら「美味しい」と笑う。それに安堵する。チサトさんはまだ来ないけれど、今のうちに色々と準備を進めてしまおう。ちょっとごめんね、準備しているからとシュウに話すと「お構いなくー」と言って、お地蔵さんが見える窓の外へと足を動かす。それからおもむろに本棚へと赴くと、まるで自宅かのように漫画を何冊も持ってきて読みふける。まるで漫画喫茶のような彼のその姿に、思わずくすり、と笑いながら私は作業を続けていた。
チサトさんがやってきて、それからそれなりにお客さんが来た夕方。シュウはまだお地蔵さんに見られながら漫画を読んでいた。それからチサトさんお手製のナポリタンを食べたり、おやつのパンケーキとコーヒーをお代わりしたり。しまいには昼寝をしたり。それでもシュウは帰ろうとしなかった。
もじゃもじゃ頭の女の子が表紙になっている漫画。私も一回だけ読んだことがある。だけれど、辛すぎて、読み返すことが出来なかった。まるで私自身を見ていたような気がしたから。無理して何かに合わせて、無理してケイに合わせて。何もかもを合わせ続けていた結果、私はすべてを失った。残ったのはシャネルのバッグだけ。
「シュウくん、そろそろ閉めちゃおうと思うんだけど」
「え、チサトさんマジ? じゃあ、そろそろお暇しますね」
「ごめんねー」
「全然全然。漫画、片しておきますね」
「ありがとね」
肩のぬけた表情で笑うシュウは、なんて自由なんだろうかと私もうらやむ。空になったコーヒーカップを洗いながら、私もあんなに自由になれたらなあと思う。きれいに表れたコーヒーカップを水切りラックに置くと、シュウと目が合った。それから私に向けて二回・三回手招きするように、私を呼びつける。何事かと思って向かうと、一枚の名刺のようなものを渡される。それはお店の情報が書かれたものだった。
「今度遊びにおいでよ」
「え」
「コーヒー、めちゃくちゃおいしかった。燃やしたいものが決まったら、おいで」
「なんで?」
「夜に、一緒に燃やそうよ」
そう言って屈託なく笑った彼はしれっと玄関へと出ると、私にもチサトさんもなにやら呆然としたまま、彼を見送った。お店としてもそうした商売や宣伝を受け取ることは多いが、何分燃やしたいものが決まったらって感じで言われたのは初めてで。呆然としたまま彼を見送るしか、その時の私にはできることが無いことも事実であった。見送った後、チサトさんは私へと渡された名刺を眺めながら、大通り沿いのカフェじゃない、と返す。
「え、チサトさん知っているんですか」
「知っているも何も。あそこいつも人気なお店よ」
「へえ」
驚いたふりをしたけれど、確かに彼の立ち居振る舞いがそうしたエレガントさに満ちていることもまた事実ではあったし、何も不思議ではないな。そんなことを思いながら姿が消えたシュウの姿を思い浮かべていた。
「彼、良いわね」
「そうですかね」
「お似合いとかじゃないわよ。人として」
「そうですね」
ふと思い浮かんだのは、あのバッグ。大切なケイとの思い出が入ったバッグ。前へ進もうとするたびに、私をとどまらせて困惑させていたそれを燃やすことを決意できたのは3日後のことだった。
(つづく)
~過去作品~
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