見出し画像

けっきょく素朴主義かい!という話

今さらこの話題か、という感じもなきにしもあらずなんですけど、例のDaiGoの件。Youtubeでホームレス生活者や生活保護受給者の命を軽視する発言が波紋を呼んでて。

で、その差別発言についてはみなさんと同じく僕も怒りを覚えたんです。というよりもショックだった。「あれだけの有名人が、チャンネル登録者の多いYouTubeチャンネルで、むき出しの差別を堂々と主張するんだ」と思って。

それに対する批判はもうあちこちでされていて、僕も同意するんですけど、もう一つショックだったことがあって。

あのYouTube、ものすごい蔵書のある本棚でしゃべってたじゃないですか。あれ最初、どっかの本屋だと思ってたんですよ。でもどうやらあれはDaiGo自身の本棚らしいとわかって。なんかアレでしょ、1日10冊くらい読むんでしょ。とにかくめちゃくちゃ本を読んでる。

なのに、ホームレスの実態を全然知らなかった。

ついこないだ、笹塚で殺害されたホームレスの女性いたじゃないですか。あの事件も大きく報道されたけど、そのあと、実は少し前までスーパーで働いてたけど、職を失って、住むところを失って野宿してた、みたいなことがわかって、その記事もネットで話題になりましたよね。でもそれも知らずに、ホームレス=とにかく怠惰で迷惑をかける奴という認識でDaiGoはしゃべっている。

あと、ツイッターで誰か指摘してたけど、そもそもホームレスと生活保護受給者をごっちゃにしてしゃべってましたよね。ちゃんと生活保護が受給されていたら、少なくともホームレスになってないはずなんだけど。そのへんの認識も雑。

あんだけ、ジュンク堂みたいな本棚があるのに、そういうことを全然知らない。「たまたまホームレスに関する本を読んでなかった」という話でもないと思うんですよ。ホームレスに関する本を全然読んでなくても、あんだけ本読んでたらさ、「世界は複雑である。物事の背景には表面から見えない、いろんな事情が絡んでいる」くらいの認識はあってしかるべきじゃないですか。

でも彼、あんだけ読んでるのに、けっきょく素朴主義なんですよね。物事の理解の仕方が単純アンド雑。

素朴主義というのはTLで見かけた言葉で、正式な用語じゃないかもしれないんですけど、要するに「自分が素朴に感じたそのままの感覚を、正しい認識としてしまう」みたいなことです。ホームレスに対して「怠惰だ」「向上心がない」「社会に迷惑を平気でかけ続けている」みたいに素朴に感じたことを、そのまま主張しちゃってる。

素朴主義自体、僕は批判したいんですけど、彼の場合、あのジュンク堂みたいな量の本を読んでおいて、「けっきょく素朴主義かーーい!」というのがショックだったわけです。読書が彼の理解力を1ミリも変えていない。

DaiGo、そもそもそんなに好きではなかったんですけど、でもそこそこ頭はいいんだろうなとは思ってたんですよ。いやあんなジュンク堂みたいなの見せつけられたら、普通そう思いますよね。でも素朴主義から抜け出せていないという。

読書って、本来は「読む前と読んだ後では、まったく違う自分になっているかもしれない」という可能性をはらんだ行為だと思うんです。ガラッと価値観が変わる。世界の見え方が変わる。少なくとも可能性としてはそういうものを秘めている。そういうものだと思うんです。

でもDaiGoはあのめちゃくちゃな蔵書量を読んでいるのに、何も認識が変わっていない。もしかしたら「俺はめちゃくちゃ本を読んでいる人間だ」という自意識が、素朴主義をより強固なものにしてしまっている可能性さえある。読書の意味なんなんだっていうね。

もちろん、価値観や認識がガラッと変わる本ばかりじゃないですよ。でも、あんなジュンク堂みたいな量の本を読んでおいて、まったく価値観に変化がないというのは、それはもう本のせいじゃなくて、本人のスタンスや知性の問題だと思うんですよね。なんか気になって、DaiGoのYouTubeチャンネルのリスト見たら、「これが彼にとっての知なのか」と思っちゃって。なるほどなあと思って。知というものに対するスタンスがそもそも違うんだなと。

DaiGoが例の発言をした後に、弟が謝って「(兄を)論破するまで怒り続けます」とか言ってて、なんでここで「論破」なんだよ、謝ってるけど弟も同じ文化圏の人間なんだなと思っちゃって。

だからDaiGoにとっての本って、「サロンで紹介するためのネタ」でしかないわけでしょ。月額いくらで話題の本の内容を紹介しますみたいなやつ。理解を深めるための読書じゃなくて、「手短に内容を教えてくれよ!」という時短需要に対して、「こうですよ」と要約するための「素材」に過ぎないというか。素材前提で本を読んでいるから、たぶん素朴主義のまんまなんだろうなと。

そういう感じって、DaiGoだけの話じゃなくて、彼がいる文化圏というか、わりとあちこちにあるような気がしてて。それって、今の世の中が「役に立つ」というファクターを異常に重視している感じと通底していると思うんです。というか、そういう世の中だからこそ、彼のような人間が高く評価されているというか。

サロン文化って、やたら「学び」とか「気づき」とか言うけど、本当に学んでいるのかな、気づいているのかな、という気がする。

ホームレス支援のNPO法人のもとでいろいろ経験するみたいなニュースを見たけど、あんまり変わんないんじゃないかなあという気はしてます。やる前からくさすのもアレだし、もちろん変わってほしいとは思ってるんだけど、ジュンク堂みたいな量の本を読んだのに変わらない、テコでも動かない素朴主義が、そうそう変わるだろうかと思ってしまって。

まあだからDaiGoのアレは、差別発言がショックだったのもあるんですけど、今の社会での「知のあり方」……とにかく短い時間で手っ取り早く「素材」として知を身につける、みたいな風潮のヤバさも感じてしまって、そこもショックだったわけです。

だからどうしろって簡単には言えないんですけど、でも少なくとも「量を読む=頭いい」とは限らないんだなというのは言えると思うし、読書には何かを感じたり考えたりする行為……それはけっこう時間かかってめんどくさくはあるんですけど、そういうものが必要なんだろうな、と思った次第です。

最後まで聞いてくれてありがとうございました。ではおやすみなさい。

(Clubhouseで一人でしゃべった話を文字起こししてまとめました)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?