死を考えることは、深く想い遣ること

みなさまに質問です。

「どのように死にたいか」を
考えたこと、ありますか?



また、自分の親が

「どうやって死にたいか」知ってますか?



少し前ですが、「老いラジ」という島影真奈美さんのラジオ配信にて

親や近しい人の、“その時”のためにできること
というテーマで話をしました。

↓ こちらで観れます♪
https://www.facebook.com/oyakaigi/videos/1165726847133291/


どのように死にたいか

どのような老後を過ごしたいか

延命措置をしたいのか、自然死を受け入れるのか


本人の意思がわかっていないと、判断に迷う。

しかも、その判断することが、
・生きるか死ぬか
・どんなサポートを使って生活するのか

など「命」「生活」がかかってくるので
下す決断は、、、重い!


介護現場でも、「いざって時」が急に訪れて、
慌ててしまわれるケースも観てきました。

変な話ですが、余命宣告された方がよかったりします。

「死がゆるやかに迫ってくる」という事実を受け止めさえすれば、
その「死」をどのように迎えるのか、考える猶予があるので
「心の準備」「実際の準備」をする期間を取れるからです。


例えば延命をしないという結論を出したとします。

本人の意思を確認していなければ、
「本当にこれで良かったのか」という自問自答や
外野から「なんでそんな決断をしたんだ」という心無い声が届くことさえあるかもしれない。

本人の意思を確認していれば、
「お父さん(お母さん)が、こう言っていたから」
という、それは絶対的なモノですので、後悔しないで済みます。

そして外野に対しては免罪符(不適切な表現かもしれませんが、、)になります。


あとで後悔しないためにも、事前に本人の意思を確認することを
強くオススメします!

誰にとってもハッピーなはず♪


死ぬ話なんてできない


とはいえ、親とそんな話できない。
話したら「なんだ保険金狙いか」と言われた人もいるとか、、、


そもそも、なんで親の「死ぬこと」を知りたいのか。

自分が後悔したくないから。
人から責められたくないから。


それもあるでしょう。

でも根っこには、お父さんお母さんを、より良い形で見送りたい
という気持ちがあるのではないでしょうか。


ならば、家族として「その時のこと」を、“ともに”考えていこう!

「親孝行がしたいんだ」というスタンスで話せば、
きっと通じるのではないでしょうか。


死を考えることは、深く想い遣ること


高度成長以前の時代では、出産はお産婆さんが家に来ていたし、
お年寄りも家で看取るものでした。

しかし、現代は出産は殆どが産婦人科。
死ぬのも病院が8割という時代です。

「生きる」「死ぬ」が家庭外にアウトソースされて、
身近ではないがゆえに、怖れがあり、タブーとなっていると感じます。


誰もが死にます。

その時をどのように迎えるのか。

それは「その時まで、どうやって生き切るのか」を考えることです。


死ぬことは生きること

誰かがそんなことを言っていましたが、つまるところ、


死を考えることは、深く想い遣ること
なんだと思います。


家族であれ、介護職が利用者さんに対してであれ、
そういうことなんだと思います。


我が人生に一片の悔いなし!

ラオウのように言い切れる
人生の最期を迎えたいものです。

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