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浜崎あゆみは僕ら「ロスジェネ」世代の代弁者!

僕らはそんなにも多くのことなど  望んだりはしていないよ、ずっと

浜崎あゆみ「immature」より

この歌詞の部分には、自分の世代が持つ何気ない諦観と透き通った哀しみが込められていて、浜崎あゆみの世界を象徴するようなものだと感じました。

あゆとの出会い

浜崎あゆみの事は割りと昔から知っていた。90年代アイドル冬の時代に、サンミュージックからデビューをして芸能活動をしていた。野島伸司のドラマ「未成年」に出てたのを覚えてる。最後に見たのは「スターどっきり☆マル秘報告」だった。茶髪になって、なんとなく顔に生気がなかった。

そして1998年にエイベックスからデビューする。この頃と言ったらエイベックスの2回目の全盛期の頃。そんな所からあの浜崎あゆみが復活してデビュー!と言うから結構驚いた。そしてエイベックスお得意の怒涛の売り出しであっという間に売れた。

テレビの音楽番組でシングルの曲を歌ってたりしてそれを観ていたりもしたけど、当時は僕もまだ少し若くて「フン!腐った音楽業界!」とかそんな感じに内心思ってたのか、特に興味は持てなかった。

しかし!そんなある日、テレビの歌番組に浜崎あゆみが出ていたので、なんとなく見た。

そして大きなショックを受けた。

どうして泣いているの
どうして迷っているの 
どうして立ち止まるの 
ねえ教えて

「A Song for xx」この曲だった。凄く売れているらしい1stアルバムのタイトル曲だった。

バラード調の優しいメロディで語りかける彼女。浜崎あゆみなんて興味無いのに、引きこまれてしまった。そして叫ぶように

居場所がなかった 見つからなかった
未来には期待できるのか 分からずに

曲は展開し、エイベックスお得意の打ち込みサウンドに載せて、ストリングスが悲劇的に、大袈裟にも盛りたてる。

「凄い!ミレーヌ・ファルメールみたいだ!」と思った。ミレーヌ・ファルメールはフランスの歌手。「失望の時代の女王」と呼ばれている大物歌手。曲調もちょうどこんな感じの打ち込みサウンド。そしてミレーヌ様の歌詞は幻想的だけど、悲しくて暗いのは同じ。だからこの曲はスッと自分の中に入ってきた。

一人きりで生まれて 一人きりで生きて行く
きっとそんな毎日が当り前と思ってた

叫ぶような高い声でこのメロディが歌われて曲が終わる。「でも、今はキミが居てくれて幸せだよ!明るく元気に頑張ろう☆」みたいな感じで終わらなかった。形だけの希望はこの曲にはなかった。

感動した…女の子の「誰にも見られたくないノート」を覗き見したような気分。偽りの無い、一人の女の子のそのままの本音がそこに綴られている。

他に感じるものがあった理由は、僕と浜崎あゆみが同年代(彼女の方がちょっと下)だったというのもあったと思う。混迷のバブル崩壊後、行き場をなくした放浪者。そう、僕も彼女もロスジェネ、いわゆるロストジェネレーションだった。

「ぁゅゎ、ウチラの魂の代弁者!」浜崎あゆみといえば女子高生に人気、というイメージだった。だからそれを好きになる自分も女子高生になったような気分だった。自分の中の違う誰かが目覚めた!

それから興奮してナケナシの金を握って、上福岡のCD屋で「A Song for xx」のアルバムを買った。が正直この曲以外イマイチだと思った。「ぁゅはココロの代弁者だったのに!裏切られた」女子高生のココロは複雑なんです!

大スターになったぁゅ

それから、ぁゅはあっという間に大スターになった。世間はバブル崩壊後の不景気だったが、音楽業界は盛り上がっていた。「Boys&Girls」とか大ヒットしてテレビで何度も聴いたけど、特になんとも思わなかった。ぁゅはココロの代弁者だとか思っている自分は無かったことになった。

とにかく売れていて「浜崎あゆみって最近売れてるよね」「え、maemukiさんの口から浜崎あゆみって名前が出るのが意外」なんて言われた気がする。

しかし、いつのまにか(きっかけは忘れた)セカンド・アルバムの「LOVEppears」を買ってしまった。

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そして聴き終わって「ぁゅゎ、生きてた…」自分の中の女子高生がまた目覚めてきた。

エイベックス特有の「売れる」ポイントを押さえたトラックとボーカルラインに、全てを見透かしたようなぁゅの詩が冴え渡る。相変わらず現実に怯えて、孤独の中、抗うけれどもどうしても弱く、誰にもすがることもできない。

またまたショックを受けた。「Boys & Girls」「TO BE」みたいな割りとフツーの曲もありつつも、ほぼ全編を占める透明な悲しみ、そして苦悩。こんな音楽が100万枚も売れているんだから凄い。

「immature」は特にお気に入りの曲。


僕らはそんなにも多くのことなど  望んだりはしていないよ、ずっと

この歌い出しの歌詞を浜崎あゆみがどのような気持ちで書いたのか、それはわからないけれども。ロスジェネ世代の人たちは、こう思っていた人もいるのではないのだろうは。僕らは多くのことを、そんなに望んでいなかった。のに、こうなってしまった。「こうなった」という事がどういうことなのかは説明ができないけれども。そうなってしまっていた。ずっと。

僕らはきっと幸せになるために  生まれてきたんだって
思う日があってもいいんだよね

このロスジェネ世代を代弁するかのような、サビの歌詞!当時の喪失感にぴったり当てはまって泣きそうになる。幸せに生きる、幸せに生きたいというすら、忘れていた。

「appears」はアルバムのタイトル曲とも言ってもいいと思うけど、これがマジでやばい。相変わらずのエレクトロサウンドに乗せて歌われるのは「リア充死ね」というメッセージ

恋人はとても幸せそうに 
手をつないで歩いているからね
まるで全てのことが 上手くいってるかのように 
見えるよね 
真実はふたりしか知らない

失恋した?女が幸せそうなカップルを街で見かけて、「幸せそうに見えるけど、本当はどうかしら」という内容。人の幸せに水をぶっかける冷徹な歌詞。でも最後まで歌詞を読むと、まだ相手とはダラダラ続いている気がする。それがぁゅの闇を深くする。

一番好きなのは、ボーナストラックで入ってる「kanariya」という曲。ボーナス・トラック最後の曲からしばらく経って、流れ始める。「あ、ぁゅからのプレゼントだ!」と思った。他のアルバムの曲とは違うR&B調の渋い曲。

疲れた心に叙情的に迫るぁゅの歌詞。

声を押し殺したカナリヤ達は泣けないのではなく、泣かないと決めただけなのかも、というサビの歌詞。

もしかしたらこれはぁゅの事?悲しい歌詞を悲しいメロディにのせて、悲鳴のような高い声で、延々と歌うぁゅ。私はどうしたらいいの?ぁゅは本当は歌いたくないカナリアなの?でも、今は歌ってるしみたいな?

迷ったぁたし…とりあえず「Trauma」のライブビデオで元気だそう!この歌詞で観客みんな笑顔で振り付けダンス!日本ってどうなの…

絶望三部作 そして義務(Duty)

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「Duty」は前のアルバムから更に人気を上げて、売れに売れたアルバム。聴いたことは無くても、このジャケットは見覚えがあるのでは?

そんな大スターぁゅの全盛期、幸せるんるん絶好調になるかと思ったけど、あゆは更に絶望していた!

Instrumentalを挟んでシンセ・ストリングで煽り気味に始まる「Duty」

「キタ!」と思った。やっぱりミレーヌ・ファルメールに似てる。ていうか似せてる?しかし歌詞が衝撃的。

誰もが探して欲しがっている「それ」が過去にあると説くぁゅ。サビは「次に終わるのは自分の番」と高らかに歌い上げる。

「ぁゅ・・ぁゅは絶望している!」人生の状況的には絶好調に見えるのに、更に高まる異常人気に本人は戸惑っていたのかもしれない。「それ」って何だろう。いろいろ考えてみたけど答えは見つからない。

もしかしたら、それは「希望」なんだと思う。希望は過去にしかない。失ったもの、希望を持てていたもの、確かに存在をしたもの、それが確実にあるのは、そう「過去」にしかない。。

このアルバムも当時かなり聞きました。「Vouge」「Far away」「SEASONS」のヒットシングルをまとめて「絶望三部作」と呼ぶ節があるらしい。しかし、自分には失恋のラブソングに聴こえたけれども、そこはかとない哀しみが広がっていると気づいた。

今日がとても 楽しいと 明日もきっと楽しくて
そんな日々が続いていく、そう思っていたあの頃

絶望三部作の最後を締めくくったこの曲。最後には移りゆく季節たちに、自分も合わせて前向きに生きていく素振りも見せたりするけれども、MVでは喪服を着用している。誰かが、亡くなってしまったということなのだろうか。

次のアルバム「I am..,」も買いましたが、いい曲もあるんだけど、なんとなく本人がウンザリしてる、疲れてる感じがした。「I am…」って何だろう「私は…疲れた」というように感じた。

「犠牲者感」


それから時は過ぎた。ある年のミュージックステーションの特番。X Japanが出るというので、それを目的に観た。そしたら浜崎あゆみが出ていた。なんとなく観た。昔のヒット曲「M」を歌っていた。懐かしいな、浜崎あゆみ。そういえば歌番組とかで見るの久しぶりだな。

正直、全盛期にあれだけの大風呂敷を広げた割に、のんびり音楽活動を続ける彼女に嫌悪感すら感じていた。

「M」の後は新曲っぽい曲だった。「Last minute」という哀しげなバラード。

後半はバンドサウンドで激しくなる。その中でひたすらに別れの悲しみを歌い上げる彼女。尺がないのかあっという間に終わったが、心に残るものがあった

「ぁゅは…ぁゅは犠牲者!」

歌う彼女、何かが全身から溢れだしていた。自分はそれを「犠牲者感」と名付けた。何の犠牲になったのか、そもそも犠牲者感を出して歌う事が良いのか悪いのか。「売れすぎた彼女は時代の犠牲に」とかそういうものでは無い。

他のアーティストだったら「ひだまり感」「さわやかまえむき感」「せつない感」「楽器弾いてない感」など様々な「感」があると思うが、浜崎あゆみの「犠牲者感」は彼女にしか出せないものだと思った。言葉にはできない、それを超えてくる「感」それも音楽の魅力のひとつだと思う。

犠牲者だなんて思うなら
全て失くしても 
構わない覚悟で
最後まで演じきればいい

「Duty」の中の「End of the World」の一節を思い出す。

犠牲者なのは、ぁゅじゃなくて、もしかして自分?

自分の中の女子高生が目覚め…なかった。

でも、もう女子高生が浜崎あゆみを聴く時代は終わっていたのだ。

ここで終わりにします。

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