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法律ってなんやねん。

虎に翼を見ていると
寅子の正直な姿勢に惚れ惚れするし
一つ毎度チラつくことがあって

私が離婚調停で親権を譲る決断をせず
裁判までやっていたら
どんな判決が出ていたのだろうと。

去年の秋ごろから今年の春が始まる前まで離婚調停をして息子の親権について
調停員という他人を交えて調停という名の話し合いのようなことをしていたんだけど
この調停で話がまとまらないと
裁判をして私でも相手でもなく赤の他人がどっちが親権者として相応しいのか
判断をするんだよね。

だけど
裁判にすると
私の方が子育てにコミットしていたから親権者に相応しいです。
とか、
相手はこういう行動を取っていたから親権者として相応しくないです。
みたいなお互いの嫌なところをつつき合う感じになるんだよね。

それを分かりやすくストーリーにしてくれてるなと思うのが
マリッジストーリーだなと思ってる。


話は虎に翼に戻るけど
寅子みたいな人が裁判官だったらもしかしたら?
みたいな妄想もふわっと浮かぶんだけど

私が親権を相手に譲ったのは
権利を超えていけばいいと思ったから。

その決断が自分にとって1番しっくりきたから。
時間はかかるかもしれないし、
今でも自分の気持ちを整理しきれてない部分があるけど
双方がコミュニケーションを最低限取れれば
権利は関係なくなると感じたから。

法律って何なのかちょっともう私にはよくわからない。
なんでかって私からすると
よくよく調べるとこれはおかしくない?
って思う法律がちょこちょこ出てくる。

だけど自分が離婚調停をしてみて思ったのは法律って
守らなきゃいけないものでも
私を守ってくれるものでもなく
ただ存在してるもの。
そう思った。
調和が保たれていれば本当はなくてもいいものなんだと思う。

だけどまあ
調和を保つって簡単なような簡単じゃないような。
怒りたかったら怒ればいい。
悲しかったら気の済むまで泣いたらいい。
相手を責めたかったら気の済むまで責めたらいい。
けど自分の傷に寄り添ってあげて欲しい。
悲しいんだね。辛かったんだね。辛かったよね。
って自分で自分に声をかけてあげる。
自分に湧き起こってくる喜怒哀楽の感情を無理やりどかしたりしないで
寄り添ってあげる。
許せなかったら無理に許さなくていい
仲良くしたいのに仲良くできないなら自然に仲良くできるようになるまで
仲良くできないままでいい。

って自分で過去や未来の自分に向けて言ってる感じで言ってみた。

離婚調停をしているときに
なんかおかしい。なんかおかしい。
もっと合理的な話し合いの方法とか決着の付け方があるはず
と思い続けていた。
このまま裁判に移行させるのも
なんかおかしい。
それで決着つけるのもなんかおかしい。
悲しみが続くような方で終わらないここからまた新しい家族の形が形成されていくような終わり方が絶対にあるはず。
って思っていたんだけど当時はネットで調べても
自分が腹落ちするような決断をした人が見つからなかった。

私もまだ道半ばだけど
この記事が
なんかおかしいと思い続けているあらゆる争いを辞めるきっかけになったらいいなって思って書いてみた。

戦うことを放棄することとは違うんだよ。
もうやーめた、どうでもええわ
ってすることとは違うの。
 
間をとって
aでもbでもないZの道を行くことだってできる。
そうやって時空を超えて時空を歪めていくっていうのはどうよ?
っていう。
提案。みたいな。
どうですかね。

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