英語で授業を受けて英語のまま理解できるのか【できない➔できるかもに修正】
アメリカのロースクールに留学したときの体験を元に、英語の授業を理解するのは日本語で概念化を行わないと脳に定着しないという記事を書きました。英語のままでは無理という結論です。
MBAの授業を受けてその考えを一部改めないといけないと思い、今回書きます。英語のままで大丈夫なときもあります。
今受けている授業はFinancial Report and ControlとOrganizational Behaviour and Managing Peopleです。特にFinanceの方はすでに知っている内容が大半で、一部知らなかったとか、そういう考えもあるのかと学習する感じです。
会計の世界は世界共通ルールですし、会計自体が一種の言語とも言えるので、なおさら英語のままいけるんだろうと思います。
前提として、アメリカのロースクールに留学しているときに比べると先生の話している英語がゆっくりだし、使っている単語も簡単ということはありますが、日本語の概念に変換する機会は非常に少ないです。
要は英語のまま理解しています。
わたしは今回の感覚を受けて、ロースクール時代の日本の弁護士たちはもしかしてこんな感じだったのかもと想像しています。会う機会があればぜひ聞いてみたいところです。
留学先で勉強する概念の大半をすでに理解していたとしたら、多少英語がとびとびで聞こえても、だいたいこんなこと言ってんだろうな、日本と同じだなという感じで授業を聞いていたんじゃないでしょうか。
専門用語は多いし、単語も難しいので、言っていることを完璧に理解するのはいくら日本法の知識が豊富にあったとしても難しかったと思います。
一部聞き取れなかったり理解が及ばない空白部分ができつつも、全体像はわかっているので、アタック25の一部しか見えない写真や画像でもわかってしまうというやつです。
全体像が分かっていないと、仮に写真がほとんど見えても答えられないですからね。それが当時のわたしです。
今のわたしは、アタック25でいえば画面の1/4くらい隠れているけど全体像が分かっているので隠れている部分も含めてわかります。
隠れている部分は何かというと、授業で先生や生徒がインドネシア語を多用するんですよ。英語だと説明できないとか、言いたいことが伝わらないからやむを得ないとしても、やっぱりわからないことが多いんです。
ある先生なんて開き直って、「Makotoいいか、将来役に立つからインドネシア語を勉強しなさい。」と言い、そういうわけでインドネシア語で説明するけど、、、みたいな流れです。
それでも授業の理解には支障がありません。7割程度は英語で、ここはほぼ完ぺきに理解でき、授業で使うパワポもケースも英語ですから、残りがインドネシア語の会話でも大丈夫です。
今のわたしはこの状況を逆手にとって、インドネシア語の勉強に使おうとしています。
クラスメートのインドネシア人たちが優しく、かつCheer upしてくれるのでやる気もでます。「Makoto!すごいじゃない。この意味わかるの?すごい速さでできるようになっているじゃない!」という感じです。
52歳のおじさんが20代前半の女子たちに褒められてやる気を出しているのはあまり美しい光景ではありませんが、まあ許してください。いろいろと大変なんですよ。
一方で男どもはあっさりした感じで「ふーんわかるんだ、インドネシア語で先生が話してわからないところがあったらいつでも聞いてくれよな、ところで次の発表の相談なんだけど、、、」というようなパターンです。わたしもこっち系なんで、文句があるわけではありません。
知らない分野になるとこうはいかない可能性はありますが、ある程度理解している分野であれば、大丈夫なはずです。
ところどころ日本語で概念化して頭に定着させるプロセスはやってはいます。その方が脳に記憶させやすいですからね。
というわけで、英語の授業を英語のまま頭に入れて理解することが可能なときもある、という結論に変更させていただきます。