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英語で授業を受けて理解できるようになるのはどういう感覚か。

英語を母国語としない人間が、どのように英語の授業を理解し、また頭に定着させていたのか私の体験を書きます。

個人差がある点をご理解いただいた上で、こんな感覚ってあるのね、とご参考にしていただければ幸いです。

ちなみに私は自分でも外国語習得のセンスがない方だと感じています。

英語力は重要なのか

英語圏に留学する人はもちろんのこと、たとえインドネシアでも、TOEFLやIELSの試験を受け、ある程度の点数をクリアすることを求められます。

例えばTop Tierのロースクールに留学する場合、私の頃はiBTで100は超えないといけないと言われていました。MBAも同じです。

そのため、ほとんどのクラスメイト(留学生)はListeningで最低25は取っていたと思います。
TOEFLに馴染みがない人向けにTOEICで例えるならば、私の感覚ではTOEFL iBTのリスニングで安定的に25以上取る人は、おそらくTOEICのリスニングは満点かそれに近いスコアが出ると思います。

なかにはListeningは苦手だったので20だったという人やトータルで100に満たない人もいたかもしれません。

それでも授業で教授の話を聞きとるという点でいえば、そんなに大きな差はないと私は思います。
完璧に理解することはできないが、話の筋は理解できているという感じです。

私はそれくらいで十分と思っています。
そのうち耳が慣れてきますしね。
日本語の授業だって一言一句聞き漏らすまいなどという態度で授業を受けている人はいないでしょう。

実際、留学時点のTOEFLの点が100行っていなかった人で、授業についていけていないとか、成績が悪いという人に会ったことはありません。
私が最初に落ちたBar Exam*に余裕で1発で受かっていました。
*アメリカの司法試験

というわけで、英語の聞き取り能力は一定レベルに達してさえいれば、そこまで授業の理解度に影響を与えないと私は思います。

それどころか、TOEFLの点数が低いからと言って足切りするのは貴重な人材を逃すのでやめた方がいいとLaw Schoolのadmissionの担当者に助言したこともあります。
名だたる法律事務所でパートナーになったり、ある分野でトップになる可能性の高い弁護士をAlmuniにするのが重要で、そう言う人たちが必ずしも英語が堪能とは限らないのです。
むしろ仕事が忙しすぎてTOEFL対策の時間が取れない人の方がかえって優秀な可能性があると思います。

英語を英語のまま理解することは可能か

私が留学前によく聞いていた話です。

最初は日本語に訳しながら理解していたが、慣れてくると英語のまま頭に入ってくるようになる、とよく言われていました。

私の場合ですが、英語を英語のまま聞き取ることはできますが、その授業を理解したかというと話は別です。
私は理解はできません。少なくとも私が定義する理解するというレベルにはありません。

ちょっと小難しいことを言いますが、私の感覚を伝えるのに避けられないので説明させてください。

理解するというプロセスは、概念化のプロセスになります。英語の単語を聞いたとき、例えばBookと言われて本と訳さなくてもBookの形状やイメージが頭の中に思い浮かべば、英語のまま理解できていると言えるでしょう。

それがだんだんと長くなっていくと、How are you doing?とかWhat’s up? Not much. などの挨拶文、さらにはもう少し前後関係やストーリーやロジックがある話になります。
法律の概念は難しい部類に入ります。日本語で聞いたって理解できない人は結構いるんじゃないでしょうか。

そうなると、ところどころ概念化できていない言葉の塊やロジックが混じるようになってきますので、英語の言葉としては耳に入ってきて聞き取れたとしても、頭の中で咀嚼し理解はできません
左から入って右から抜けていく感じです。

概念化すると理解できるってどういう感覚?

もう少し続けます。
私の定義する理解とは、相手の話している内容、講義の内容を、自分の知識や脳のフレームワークの中にあてはめながら咀嚼し、脳の適切な場所にセットする作業になります。

そうすると理解でき、さらには知識として定着し、記憶でき、人にも説明できます。

実は、最初の頃は英語のまま理解し頭に定着させるのが王道だと思い、そうであらねばならないと頑張っていたんです。

その結果、頭に何も残っていないという残念な結果になりました。正確には何も残っていないというよりは、体系だった知識になっていないという感覚でしょうか。
先生と生徒のやり取り、先生の説明が断片的に記憶にある感じです。
それはほぼ役に立たない情報ですし、急速に忘却していく運命にあります。

それからは、授業の内容を日本語の概念も使いながら図に改めて書き直し、理解するようにしていました。そうすると私の場合は知識として定着します。

これはBar Examの勉強でも同じです。日本人が作った日本語のノートを見ながら頭に定着させていきました。
私の場合、日本で弁護士でもなければ、法務部でもない、ベンチャーキャピタル/ファイナンスというまったく違うキャリアを歩んできた人間なので、体系だった法律の知識が欠如していました。

クラスメイトの大半は弁護士で、法律の概念を幹、枝という感じで持っており、アメリカの法律を勉強するときは自分の知識や概念にあてはめ比べながら理解するという手法を取ってたようです。

今でも覚えているのは、ある弁護士が授業の後で、「偏頗(へんぱと読む)のことをあのように言うのか」、と感慨深そうにかつ完璧にわかったという感じで話していたことです。
私は恥ずかしながら「へんぱ」と言われても漢字が思い浮かばないし、意味も知りませんでした。そして、恐らくその授業の理解度は英語力に関係なく私の方が圧倒的に低いはずです。
英語で習った概念を理解し頭に定着させるのは、自分で理解できる概念やフレームワークに落とし込まないといけないという実例です。
英語力より、聞いた内容を自分の頭で整理する能力の方がはるかに重要で、もともとの母国語での豊富な知識や訓練があって初めて理解が成立するものです。

英語を英語のまま理解するのがいかに難しく効率が悪いか、なんとなく掴んでいただけたでしょうか。

バイリンガル、トリリンガルと言われる人たち

私は自分がバイリンガルでないので、バイリンガルの人たちの話を聞いて想像するしかありません。

私の今まで見てきた方々は、必ずどっちか幹になる方の言語を持っていました。ケースバイケースでジャンルや場面により得意な方の言語が入れ替わったりはしますが、どっちかが中心にあります。

高度な知識になればなるほど、実際に目で見て確かめたり、直接体験しないまま、空想や想像の世界で理解し概念化しなければなりません。
それには言語が伴わないと難しい。

聖書でまず神が光あれといって光が現れたという話が出てくるのですが、光の存在自体は誰でも知っていると思います。太陽がまぶしいとか、朝明るくなるとか感覚としてわかっているものです。
でも、その自然現象に、これは光と言いますという言葉をあてはめて、初めて光という存在がその人の中にあらわれて概念として意識できる。
そういうことを言っているのだと聞いたことがあります。

高度な概念を理解するには母国語が必要で、母国語の語彙が豊富であればあるほどその国の知識レベルは上がっていきます。
幕末から明治にかけ、多くの英語やオランダ語を、漢文の素養を持った日本人が日本語に訳していってくれたのは本当に感謝しないといけません。

多くの途上国では、母国語の語彙が少なすぎ、高度な学問を母国語で教え理解することができず、英語で授業をするしかないと聞きます。
英語ができるようになるからいいじゃんという人もいますし、実際みなさん日本人より英語が上手なのですが、私は負け惜しみではなく、知識として理解できているのかという点においては、日本人は有利だと思っています。

最後に

以上は私の体験を元にしたお話です。
私と違って英語のまま概念として理解できる日本人も数多くいらっしゃると思いますし、それぞれに合ったやり方があります。
Bar Examの勉強も、授業を毎日聞くやり方から、テキストを読み込んで自分でノートに整理するやり方、過去の先輩が作ったノートを見ながら覚えていくやり方など人によって様々です。
授業中のノートの取り方も本当に人それぞれです。

皆さんがご自身にあったやり方を確立し、実のある留学生活を送っていただけるよう、心から願っております。


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