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インドネシアの島めぐり37〜39日目 ヌサラウット島 離島の温泉、ティアハフの島

離島という言葉を今回の島めぐりで初めて使う。
秘境とか離島というと何か大袈裟な気がして、気負いや変な感情移入で描写が不自然になるのが嫌だったのだ。

この島は観光目的で訪れる場所ではないし、産業らしきものもないので、仕事がらみの訪問もないだろう。宿は以前は1軒だけだったが、今回3軒に増えていた。
それでも部屋数は全部合わせても10に満たない。

電波は飛んでいないし、食堂は一つもやってない。
Wifiは宿にもどこにもない。
道は一応舗装されているが、車がすれ違えないほど細く、道は荒れるに任されている。
でも車に乗らないからこれで困らないのだろう。
車は3日間で4回見た。うち2回はフェリー乗り場に人と荷物を運んできた小さいトラックだ。

でも最高の島だ。
人々は全員家族のようで、ほぼ全員と挨拶し、どこに行くんだ、どこに泊まっているのか聞かれる。この島ではわたしは「ミスター」ではない。「オム(おじさん)」と村の子供たちから呼ばれる仲間だ。
海は綺麗で、宿の目の前は遠浅の砂浜。夕日が沈むのを思う存分眺められる。
そして、何より温泉が3つもある。
最後にビールが売っている。

それではこの最高の島の案内を始める。3日分なので長文になってしまった。


島へ渡る

サパルア島の市場の裏を出たスピードボートは、40人弱の乗客と荷物をぎゅうぎゅう詰めにして順調に進み、1時間もかからずに島に着いた。

島が近づくと楽器隊の演奏が聞こえてきて、見ると人がたくさん集まっており何かの式典をしているようだ。われわれを歓迎するわけがないが、まるで歓迎しているかのようなタイミングと場所だった。

港はなぜここを選んだんだと言いたくなるような、桟橋さえないただの岸壁だけがある場所で、船は横付けできないので、わざわざ小舟に乗換えて岸に向かう。
ただそのぶん、町、というより村の雰囲気は演奏もあいまって最高で、人々の暮らす真っ只中になんの境目もなく降り立った感じなのだ。

せっかく乗客がたくさん来たというのにオジェックは誰もおらず、全員が楽器演奏を見ている。すべての乗客とわたしも自然とそうしていた。

そのうち聖職者の講話が始まったが、何を話しているのかさっぱりわからない。聞こえる単語を繋ぎ合わせると、どうやら何かを祝う特別な日らしい。
講話が終わると、ヤシの葉を組み合わせてかたどった船の枠組みを民族服を来た青年たちがぶら下げて、行進が始まった。チンドンやのように楽器演奏が後につづく。

そのまま村の門まで進むと、村の女性たちのアカペラのコーラスが始まった。
明らかに現地の言葉と節回しだ。彼女たちのおそろいの民族衣装、一体となって自然に揺らぐ波のような動き、心に沁みる歌声は、わたしを激しく揺さぶってくる。何かタイムスリップしたような感覚を覚えた。

美しいコーラスの余韻も冷めやらぬまま、彼女たちを飲み込み行進は続く。
わたしは何が起こっているのか聞くことができないまま、他の乗客たちと一緒に行進についてゆく。後ろを振り返ると、乗客たちの荷物を山積みにしたリヤカーが後に続いていた。
何か最初からこうなることを見越して全てお膳立てされているようだ。

しばらく進むとまた行進は止まり、村の少年少女ウクレレ隊(仮称)による、コーラス付き演奏が始まった。一生懸命な演奏と歌声はとても美しく、澄み渡っている。そしてウクレレの明るいながらどこか哀愁を帯びた音色にわたしは思わず涙が出そうになった。


それを押し留めたのは、足元にしつこくまとわりつく数匹のハエで、没頭しようとするわたしをイラつかせ現実に引き戻したのだった。

演奏が終わると今日はこれで終わりのようで、子供たちはご褒美のお菓子をもらいにテントのお菓子コーナーに並んだ。
乗客たちは教会の中に入って行き、わたしはようやくこの催し物が何なのか、休んで談笑している演奏隊の男性たちに聞くタイミングを得た。
よくわからなかったが、年に1度、二日間に渡り開かれるお祝い事で、キリスト教が関係しているようだった。この島は電波が通じないので、調べることもできず、邪魔をしてはいけないので後でホテルで聞こうと退散した。

島へのアクセス
1.フェリー
(1) サパルア島のKulurとヌサラウット島のAmethを結んでいる。
毎週水曜と土曜に運行されている。
(2) アンボン島のWaaiとヌサラウットのAmethを結んでいる。
この航路はセーラム島のAmahaiとヌサラウットの往復をしたり、途中でサパルア島のKulurを経由するので複雑。運行日を事前に確認してほしい。
わたしはヌサラウットからアンボンまでフェリーに乗った。14時発で料金は47,000と安いが、6時間近くかかり、港に着く頃は真っ暗だった。
アンボンの町をよく知らない限りはおすすめしない。
割高にはなるが、途中のサパルア島で下船し、翌朝スピードボートでアンボンに向かうのが良いと思う。サパルアとアンボン間のスピードボートは、ハリア港ートゥレフ港を毎日結んでいる。所要1時間。

2.スピードボート
サパルア島のサパルア港からヌサラウットのティタワイ(Titawaii)まで1時間で結ぶ。
不定期で到着する港もまちまちだが、確実に運行されるのは水曜と土曜。サパルアの町で市場が開かれる日に合わせ、ヌサラウットの人々がやってくるため。
出発時間は人が揃い次第。市場のピークが過ぎる12時くらいが目安。
出発場所は市場の裏側の海に面したところ。市場を奥まで通り抜ける。
分からなければ人に聞いてほしい。

3.チャーター
今回使わなかったが、漁船をチャーターする方法があると聞いている。

赤線がフェリーの航路
青線がスピードボートの航路

宿を探して島をほぼ一周する

宿はSilaという村落にあり、スピードボートの到着するティタワイの集落から5キロ弱あるため、歩くのはやめオジェックで行くことにした。
オジェックはすぐに見つかったが、島を遠回りして行くから50,000ルピア(500円)だという。なんで?と聞くと、その方が道がいいので結局早く着くからとのことだった。
観光にもちょうどいいからまあいいやと思いお願いした。

まず現れたのは、マーサ・クリスティナ・ティアハフの像。躍動的なポーズが青い海と空をバックに映える。思っていたよりはるかに巨大だ。
彼女の出身地アブブ地区にある。

道は粗い上にガタガタで、整備されていない。一応舗装はしているものの、穴だらけでめくれてしまっているところが多い。車は一台すれ違った以外に全く見ないので、道路整備の優先順位を下げられているのかもしれない。
バイクは道端の草むらによけないと車が通れないほど道が狭い。
なんとなく村々の移動は昔は船でしていたんじゃないかと思われる。

その代わり景色は素晴らしく、特に海の青さは信じがたいレベルだ。ある場所にさしかかった時に見えた青は、今まで見たことがない輝きを有しており、網膜を突き破りそのまま脳に直接突き刺さってきたかのようだった。
光の影響なのか、湿度なのかよくわからないが、尋常ならざる青だった。

サパルア島に来てから今に至るまで雨が全く降らず、1日中晴れ渡っている。雨季なのにこんなに雨が降らないのは、ティモール島の先にあるロテ島以来だ。
とにかく日差しが刺すようにきつく、眩しい。

宿を回る

まず最初に行ったのは、アメットの村にあるHomestay Boentje。
ここはサパルア島でも有名で、フェリーが着くAmethの港に近いこともあり、ヌサラウットで泊まるというと、みなAmethに宿があると教えてくれる。
わたしは温泉と砦が近い方がいいので、ここじゃないと言って先に進んでもらう。
見た感じはとても良さそうだった。子供が1人で番をしており、親に聞かないとわからないと言って、部屋の中は見なかった。wifiはないと言っていた。

次に行ったのは、教会の横にある、Eben Haezer。
ここは2部屋ある。2部屋ともエアコンが故障中で扇風機もないというのでやめた。この島はとても暑いから無理だ。

仕方ないからBoentjeに戻ろうかと思っていたら、近くにもう一軒宿があるという。まずはそこを見てからだと思い、親切な若者に連れて行ってもらった。200メートルくらい行ったレニトゥ(Leinitu)の浜辺の前にあった。

1部屋だけの宿で、エアコン付き素泊まりで300,000ルピア(3000円)。
正直高いけれど他に選択肢もないのでここにした。部屋は綺麗で広い。宿主一家の家とは別棟で、平屋の一軒家のようだ。
我が物顔でアリとゴキブリが入ってくるのには閉口した。

ヌサラウット島の宿
全部で3軒ある
1.Ameth(アメット)にあるHomestay Boentje
1番有名で、サパルア島でもヌサラウットに行くならAmethに宿があると教えてもらったくらい。
部屋の中は見なかったが、全部で3部屋くらいありそうだった。

2.Sila(シラ)にあるPenginapan Eben Haezer
同名の教会の横にある。Homestayで、2部屋ある。シングルベッドにトイレとマンディー場がついている。
1泊素泊まり150,000ルピア(1500円)、昼夕2食付き400,000ルピア(4000円)
食事は魚と野菜とご飯
きれいな部屋だったが、エアコンが壊れていて扇風機もないというのでやめた。

3.レニトゥ(Leinitu)のHomestay
Silaから200メートル弱南に行った浜の前にある。
1部屋のみ。素泊まり300,000ルピア(3000円)。
わたしが行ったときは、たまたまご家族がアンボンに出かけていて子供たちだけで留守番中だったため食事は用意できないと言われた。食事付きの料金は不明。

宿はシャワーはなく、水をためて桶で体にかけるタイプ。

赤丸が3ヶ所の宿の位置

温泉を回る

この島には3ヶ所温泉があり、いずれも案内は出ていないものの道はわかりやすい。
1回目はオジェックに連れていってもらうのが良いだろう。2回目からは1人で問題なく行けるはずだ。
もしSilaかLeinituの宿に泊まる場合は、歩ける距離にある。

(1)シラ(Sila)温泉

オジェックを探すが見つからず仕方なく歩いて行った。
わたしのこれまでの経験だと、オジェックじゃなくても暇なおじさんが小銭を稼ごうとオジェックに変身することがあるが、この村にそんなやる気のある人はいない。
のんびりイスに座りだべっている。ちょっと不便だけど、この感じはとても良い。

歩いていると親子3人連れがマンディーに行くんだと道を歩いているのに追いついた。
温泉の行き方を聞きながら歩く。
彼らは今日は温泉ではなく、水が湧いている方でマンディーするんだという。
冷鉱泉の可能性もあると思い、まずはそっち見に行くことにした。

それは道端にあった。

SDGsのマークみたいなのが壁に書かれている建物で、屋根の下に水を溜める槽が3つある。岩壁の下から湧き出しているようだ。
3つの浴槽は、真ん中が水を汲む場所、左右が洗濯とマンディー(沐浴)用で浴槽に入ってはいけない。ここまで徹底してもらうのであれば良いと思う。

水に手を入れたら常温だった。
飲んでみたが多分温泉の成分は入っていない。軟水に感じるので冷鉱泉には当たらず、ただのおいしい水だろうと思われる。

温泉はそこから100メートルちょっと先を左に入る。目印はないが、左に入る道は1つしかなく広くわかりやすい。

温泉に行くと、先客が1人おり、お湯を体にかけていた。

ここも浴槽には入らず、お湯をかけるだけのルールで運用されている。
味をみたところ、塩分と鉄の味だった。酸っぱさはない。湯の花らしきものが浮いており、硫黄成分が入っている可能性がある。
岩の割れ目からコンコンと湧き出ており、溢れ出る量から推測するに、そこそこの湯量がある。1分間に20リットルは出ている。

かなり良い温泉だと思う。

先客はわたしがとても温泉が好きだとわかったようで、もう一つの浴槽を案内してくれた。

そこは服を洗う場所になっていて、やはりお湯に浸かってはいけないルールだ。こんなお湯で洗うと服が全部茶色になるので洗うわけがなく、聞き間違いかもしれない。味はほぼ同じで変わらないと思ったが、こっちは泥湯というか、茶色い泥成分が大量に床や壁にこびりついている。わたしは泥を指ですくって、全身と顔に塗りたくった。

先客は、見る見る茶色く変身していくわたしを見て、明らかに驚いた表情をしている。
「日本ではこれが一番いいと言われているんだ。なぜならこの泥には温泉の成分が入っていて、体に塗ればお湯をただかけるよりも多く体に取り込めるからだ。」と下手なインドネシア語で説明しようとしたが難しかった。

多分つうじていない。

わたしは泥をつけたまま元の浴槽の場所に戻った。ちょうどおじいさんと孫2人がやってきていて、ここでも泥も説明をしたが、誰も真似しようとしなかった。
汚いものと勘違いしているような気がする。

他の温泉の話を聞いてみると、「温泉なんてそこら中から出ている」と言っていた。海沿いにたくさん湧いている場所があるそうだ。
わたしもインターネットで調べた時に写真で見た覚えがある。満潮になると海に沈んでしまうので、行くタイミングを間違えないようにと書かれていた。
朝散歩しながら調べてみようと思った。

(2)ナラヒア(Nalahia)温泉

日曜の朝は住民の大部分は教会の礼拝にでかけており、オジェックは捕まらない。
11時前にたくさんの人たちが歩いて戻ってきたので、もう頃合いだろうと出かけて見た。
家々の前でたむろしているおじさんに声をかけて回ったが、みなオジェックはいないというばかり。しまいには村を通り過ぎてしまったので、わたしは歩くことにした。5キロくらいだし、今日は昨夜の大雨の影響で曇り空のため、いつもより涼しく感じる。

Silaの温泉を過ぎたあたりで、バイクのおじさんが立ち止まり乗せていってくれることになった。
温泉はあと2ヶ所あり、いずれも知っているというので道案内も頼んだ。

まず向かったのはナラヒア(Nalahia)温泉。温泉とは書いていないが、Nalahiaの文字の入った看板があるので、そこから左の小道に入る。急な階段状の坂道のためバイクは道端に置きっぱなしだ。

坂をぐんぐん降るとキャンプ場の炊事場のような小屋があり、道はふた手に分かれる。右に行くと女性の湯、左に行くと男性の湯だ。左に進むとパッと景色が開け海が見える。
温泉はそこら中で出ており、おあつらえ向きの窪みにお湯が溜まっている。

日本にもよくある潮が満ちると埋もれて消える温泉だ。色合いも屋久島の海中温泉、式根島の地鉈温泉に似ている。
場所によって湧き出るお湯の温度が異なり、海に近づくと温度が下がる。海水の混ざる量が増えるのではないだろうか。

1番手前の深い穴の湯は40度くらいあり最高の気分に浸れる。足がつかないんじゃないかと思うほど深く、たち湯だ。
目の前の草むら越しに見る海は一風変わった風情があった。

わたしはここを、深い穴のような形状から「穴湯」と名付けた。

味はほのかな塩分、鉄、ほんのわずかな酸味。温泉好きのあいだで使われる、ダシの味と言われる温泉に近い。

他の湯つぼを試してみたが、ぬる湯好きには良いだろう。ちゃんと底の砂地からお湯が湧き出している足元湧出泉だし、景色はこちらの方がダイレクトに潮が打ち寄せる様を見ながら温泉を楽しめる。
こっちは、湯の峰温泉のつぼ湯にちなみ、「つぼ湯」と名付けた。

3日目の朝には地元の青年と弟らしき子供が来ていた。それと入らないのに散歩に来たお爺さん2人がいた。
彼らは、穴湯でもつぼ湯でもない、湯量が1番多いが体を浸ける場所はない湯だまりにいた。そこが1番お湯が綺麗だからだそうだ。

わたしは温泉に浸かりたいので、前の日にちょっとしか入らなかったつぼ湯に入った。長湯するつもりだったのだが、地元の人はそこは汚いからやめておけという。
汚いわけがない。確かに湯量は1分間に2リットル程度と少なめだが、ちゃんと循環するだけの湯量はある。
わたしは浮いている葉っぱや枝を取り除き、底に溜まった落ち葉も取り除いた。

青年とおじいさんは見に来て、「きれいだな」と言った。そして、彼らがお湯に浸かるのを好まない理由も聞いた。疲れるからとお腹が空くからの二つだ。
なるほどその通りだ。温泉に長時間入るとだるくなるし、なぜかとてもお腹が空く。お腹がこんなにすくのは、相当なカロリーを消費しているからだという間違った考えがあったくらいだ。

実はこれは迷信で、カロリーはほとんど消費していないことが実験によってわかっている。カロリー消費の線グラフを見たことがあるが、ずっと一定で2カ所だけ線が跳ね上がる箇所があった。
これは浴槽を跨いで入るのと、同じように出る時のカロリー消費だ。
みなさんお分かりだろう。こんなしょぼい運動量が顕著な違いを示すほど、浸かっている間カロリーは消費していないのだ。

日本兵が戦時中にインドネシアの温泉に入らなかったのは、食糧難で心の余裕がなかったからだろうと結論づけたが、無駄にお腹が減るから避けられたというのも理由の一つかもしれない。

わたしはそんなことを思いながらつぼ湯に30分以上浸かっていた。みんな帰ってしまい、波の音と風にそよぐヤシの葉の音だけが聞こえる。

女性用の浴場は、深い木々が遮っているため、こちらからは様子を伺うことはできない。
インドネシアでは大抵女性用の風呂の方がよいので、ここもそうに違いない。女性の貢献度を考えれば当然のことだろう。

(3)バンタン(Bantang)温泉

ナラヒア温泉を更に奥に進むと、綺麗な教会があるナラヒア地区に入る。
このやたらと声をかけてくれるフレンドリーな村を抜けて更に進むと、バンタン温泉がある。
なんの目印もない細道を右に入っていく。

道の行き止まりに、インドネシアによくあるプールのような広い浴槽があり、そこに藻だらけのお湯がたまっている。
打たせ湯の湯はとても綺麗で、湧き立てをそのまま流しているから新鮮だ。

味はシンプルな薄い塩っ気で、鉄は入っていなさそうだ。
温度は38度くらいで若干ぬるめだ。

源泉は裏山から流れてきているようで、見るとそこら中に漏れ出て湿地帯になっている。湯量はとても豊富に見えた。


プールの排出口をもう少し高い位置にして、かつ容積を小さくすれば、自然と藻が外に流れ出るのできれいになると思う。お湯がいいだけにとてももったいない。
3つの温泉の中で1番柔らかくソフトな湯質だ。

地図上の名称は違うが、青丸が温泉の位置。左からシラ、ナラヒア、バンタン
❌は宿の位置

村の店の様子

外食する場所がないので、他の島から食料を持ち込まない限り、店で調達するしかない。
わたしはシラの様子しかわからないので、他の村は違う可能性はある。

シラの村にはわたしが数えたところ4つのキヨス(おそらく英語のキヨスクからきている)と呼ばれる業態の店がある。
昼間は1軒しか分からなかったが、夜になると真っ暗な村の中で煌々と明かりを灯しているので目立つ。

売っているものはどこも同じで値段も変わらない。

食べ物

スナックが中心になる。クッキーやらチップスだ。
他には乾麺とカップラーメンが売っている。
パンと牛乳は売っていなかった。
果物も売っていない。
ナシクニンなどの弁当の類も売っていない。
最悪3食カップラーメンで凌げれば、餓死にはしない。

飲み物

ミネラルウォーターは売っている。
ジュースの種類は少ないが冷蔵庫に入って冷たい状態で売っている。
そして驚いたことにビールが売っている。
アンカービールの500ミリ缶が2軒の店で売られていた。素晴らしい。
500ミリが35,000ルピア(350円)、350ミリが25,000ルピア(250円)だ。結構安い。
わたしは毎日ビールを2本、1リットル買っていたので、お店の人からは上顧客扱いされていた。

パンを2,3食分は持ち込んだ方が良い。
それとご飯派の人は、インスタントおかゆを持ち込むのもオススメ。島には売っていない。
お気に入りのお菓子がある人は、多分島では売っていないので持ち込んだ方が良い。

砦を見学

シラ地区にあるので近い。
島で唯一の観光名所と呼べるかもしれない建物で、中に入ることができる。
といっても、屋根がほぼ無くなっているため、風雨にさらされており、中の木は腐りかけていて危ない。
階段がところどころ抜け落ちていた。

この砦の由来を見ると、キャプテン ティアハフはアンボンではなくこの砦の前で処刑されたらしい。
この砦を占領し、砦の住人を数名以外皆殺しにした後、オランダ軍の反撃にあい敗れて娘のマーサ ティアハフと共に捕まった。

マーサ・ティアハフは幼くして母親を亡くし、小さい時から父親の後をくっついて戦闘に明け暮れていたようだ。
なので若干17歳にして、反乱軍の一部隊を任せられたのだろう。並の成人男性よりよっぽど経験を積んでいて、リーダーの真横で戦いの英才教育を受けていた人物だ。

ムティワラの反乱に父と共に参戦し、オランダ軍に捕まる。17歳という年齢に免じて唯一釈放されたが、そのまま反乱軍に合流しジャングルに入りゲリラ戦をし、また捕まってしまう。

今度は許されなかった。
バタビア(今のジャカルタ)にプランテーションで働く奴隷として移送される途中の船で病気になり、薬も食事も拒否したまま亡くなったという。遺体は水葬された。
享年18歳。

インドネシア独立後、植民地に反対して戦った国民的英雄となった。

なぜか大砲が砦ではなく、村の小さな建物の前に無造作に置かれている。

島の3日間は毎日こんな時間割りだった
朝:温泉に行く
帰って来たらご飯を食べて休む。
昼:温泉に行く
帰って来たらご飯を食べてビールを飲んで昼寝
夕方:海に浸かる
部屋で水を浴びて着替え、ビールを飲みながら夕日を見る

しょっちゅう手桶とタオルを持って温泉に出かけるので、島の住民から相当な温泉好きと思われたようで、店に買い物に行くだけで「温泉か?」と聞かれるようになってしまった。

最後に古いけどとても参考になるヌサラウット情報

これでヌサラウット島の案内を終わる。

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