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経済学の授業より ~原油価格が急騰したとき政府は補助金を出すべきか~

経済学の授業はマクロ経済に入りました。インフレ、デフレの世界です。
グループ課題で、「中東問題が石油価格にもたらす影響と、その場合にインドネシア政府はどのように対応すべきか」というお題が出て、安易な補助金というのは結局よくないよという話をしました。
補助金は現状維持にしかならず改善につながらないからです。

なぜ補助金がダメなのかは、財政が悪化するからだけではない、もっと長期的視野に立った理由があるのですが、いまいち通じなかったもやもや感があり、Noteに書きたいと思います。
授業ではどれくらい財政が悪化するのかという説明があり、これはこれでとても参考になりました。

今回書くのは、2005年に初めてインドネシア政府が石油製品への補助金をカットし、大騒ぎになったときの話です。
その後、2015年にもカット、2022年もカットし、市場価格に連動するようになってきています。

1.インドネシアの石油補助金の歴史

ご存じない方の方が多いと思いますので、インドネシアの石油補助金の背景からご説明します。
インドネシアは産油国として知られています。太平洋戦争で日本軍がインドネシアに攻め込んだのは、アメリカから石油の禁輸措置を受けたため自前の石油を確保する必要に迫られたためです。

インドネシアの石油産業の歴史は古く、ロイヤルダッチ・シェルも関係しています。

ロイヤル・ダッチの歴史
ロイヤル・ダッチは、オランダ領東インド(現インドネシア)を拠点に活動していたジャン・バティスト・アウグスト・ケスラー(英語: Jean Baptiste August Kessler)が1890年にオランダ王室からの特許状を得て、オランダ領東インド石油開発会社を設立、石油開発に着手したことに端を発する。 過酷な気候や風土病に悩まされながらも1892年に操業を開始し、その際スタンダード・オイルへの対抗もありシェルに石油運搬を委託していた。

Weblio辞書  ロイヤル・ダッチ・シェル

ロイヤルダッチはインドネシアが発祥の地で、スマトラ島に本社があったんです。驚きの事実です。1890年創業ですよ。
さらに言えば、インドネシアはOPEC(石油輸出国機構)のアジアで唯一の加盟国でした。2008年に脱退し、2015年に再加入するも1年後に再度脱退しています。

産油国なので石油はただみたいなものだから、国民に安く使わせていたという事情が補助金の背景にあります。

2.産油国から純輸入国へ

インドネシアは今でも石油、天然ガスを産出しているので産油国であることに違いはありません。最も大きな違いは、消費量が生産量を上回り始めたのです。2003年のことです。
輸入超過になりました。

PwC "Oil and Gas in Indonesia: Investment and Taxation Guide 2023 12th Edition"

他国から高い石油を買っているのに、昔みたいに補助金をつけてじゃぶじゃぶ使わせるわけにはいかなくなったんですね。
政府が国民に安く石油を使わせるため、高い石油を買ってきて逆ザヤで国民に売っているようなものです。これでは将来的に破綻することが明白です。

日本で言えば、老人の医療費を低く抑えるために莫大な政府予算を確保しているようなものです。老人はこれからもどんどん増えていくし医療も高度化してお金もかかるようになるので、いつか財政的に破綻するのは目に見えていますよね。

インドネシアもこのままいけば破綻することが誰の目にも明らかになりました。日本と違ってインドネシアは財政的に弱い国ですから、日本のように政府が発行する国債を日銀が無制限に買い続けて支援することなどできません。

結果としてルピアが落ち始めました。財政赤字なので当然ですね。
アジア通貨危機以来はじめて1ドル10,000ルピアを超えるルピア安になり、インドネシア政府としては決断を迫られました。
財政赤字を放置してルピア安に立ち向かうか、補助金を減らして財政を健全化するかです。

財政赤字を放置して通貨安に立ち向かうにはドル売りルピア買いと、金利の引き上げという方法があります。売れるドルには限りがあり、金利を上げる以外に方法はなく、金利を上げると個人消費や投資を冷やしてしまうため、金利上昇にも限界がある状況でした。
もう補助金をカットするしかないだろうと、ささやかれ始めました。

3.補助金をカットする

当時の大統領はスシロ・バンバン・ユドヨノ、通称SBYです。インドネシア初の直接選挙で選ばれた大統領で、就任間もないタイミングでした。
選挙が近づいていれば、国民に不人気な施策はできなかった可能性が高く、今後5年間選挙がないタイミングはある意味ラッキーだったといえます。

2015年に補助金をカットしたのはジョコ政権誕生の年(決定は2014年、施行は2015年)で、同じようにしばらく選挙がないのを見越して実施しています。

ガソリンとディーゼル油の補助金をカットした結果、ディーゼル油の価格が2.5倍に跳ね上がりました。ガソリン価格の上昇は国民への影響が大きいため、ディーゼルほどは補助金をカットしませんでした。

この結果何が起きたかというと、ディーゼル油を使って自家発電していた工場が次々と自家発をやめ、PLN(日本でいう東京電力や関西電力が統合したようなもの)からの買電に切り替え始めました。

今までただみたいに安いディーゼル油のおかげで安く発電できていただけで、まともな価格になれば効率が悪すぎて電力会社から電気を買う方がずっと安かったのです。
製造業は急激な製造原価の上昇を少しでも軽くしようと、必死でした。

4.自家発からPLNに切り替えるにあたっての混乱

当たり前の話ですが、自家発で電力を賄っていた生産工場が発電をやめて電力を買い始めれば、電力が足りなくなります。
電力は急には増やせません。
日本でいえば、よく言われる「みんなが電気自動車にしたら電力不足になりますよ」という話です。ガソリンを使って各自が動力エネルギーを生み出していたのをやめて、他から買うようになるのだから電力不足になるのは当然ですよね。

これは実はダブルパンチでした。インドネシア政府はガソリンやディーゼル油の補助金はカットしても、電力料金は安いままに据え置こうとしていました。ガソリンは金持ち相手だからまだよかったのですが、電力料金は庶民の懐を直撃します。

今度は電力会社が逆ザヤになり、赤字になります。
PLNは国営企業ですから政府と一体と見られます。するとどうなるかというと、せっかく財政赤字を減らそうと補助金をカットしたのに、国営企業が大赤字のせいでまた財政が悪化するというわけです。

どうしたかというと、まず政府はピーク時の電力料金を上げることで、電力不足に対応しようとしました。
18時から22時の電気代が段階的にあがっていき最後は倍になりました。
このとき政府がどうしたかというと、自家発をやめて急に買電に切り替えた会社と、元から電力を買っていた会社を明確に差別しました。
後から買い始めた会社だけに高い価格をチャージしました。
ざっくりいうと、過去の月の平均買電量を上回る分についてのみ値上げの対象としたのです。

後から買電に切り替えた会社は過去の平均買電量がゼロなので、全額ピーク時に値上げとなるわけですね。

5.企業の対応

わたしは当時日本アジア投資という会社で投資をしていましたので、投資先がどう対応したか当時の記憶を頼りに書きます。

(1)オペレーションの変更
①毎朝設備をとめて清掃やメンテナンスをしていたのを、電力値上げのピーク時に行うようにする、②要員の交代時間をこのピーク時に合わせることで、ピーク時以外の工場稼働率を高めて、ピーク時の稼働率を下げるということをしました。
③電力消費量の多い装置を使わず、別の装置で似たようなことができないかということを常に考えるようになりました。各装置のスペックを調べ、生産プロセスの見直しも行いました。
また、商品の売り込みをするときに、電力を食う工程を省いても作れる商品を意識的に売るように、生産と営業を連動させました。

今まで気にも留めないくらい小さかった電力コストが、製造原価の主要項目になっていて驚いたことを今でもよく覚えています。

(2)自家発電設備への投資
自家発電設備への投資を実施した企業もたくさんありました。一番多かったのが石炭発電です。理由は、石炭が安価に安定的に手に入りやすかったことにつきます。ただし、これはよく壊れました。うまく稼動していた会社もありましたがラッキーという感じでした。うごかないと、その分高い電力を買
わねばならず、回収期間が延びていきます。

わたしの投資先は、石油補助金のカットも、カットの結果電力会社が料金を値上げする流れも読んでいました。なので、ここまで電力料金があがったら自家発投資をしても回収可能だろうという検討をすぐにスタートしました。

石炭発電は安物買いの銭失いになりかねないという結論に達し、すでに選択肢から落としていました。
メインで研究したのは、天然ガスを使った発電です。ところが、当時は工業団地まで天然ガスのパイプがつながっておらず、つなげたとしても圧力が足りなかったり、安定しておらず、ガスジェネレータの稼動に不安がある地域が多かったのです。

そこで、われわれが検討したのは、重油ジェネレーターを改造し、ガスジェネレーターとして動くようにする投資です。このタイプであれば圧力が不安定でも動くということでした。これはまだ実験段階で、実績が少なかったこともあり、最後は断念しました。

発電はあきらめ、重油を使って蒸気を作っていたのを石炭による蒸気に変更し、コストを下げました。本当は発電もして蒸気も作れれば一番効果が高かったのですが、すでに述べたように壊れやすかったので、蒸気だけにしたのです。この投資は1年かからずに投資回収できました。

6.補助金カットの経済への影響

これまで説明したのは、産業界の電力コストの高騰でした。
実際には、ガソリンの値上げによる輸送コストが商品価格に転嫁されました。また、庶民の燃料コストと電気代も上がり、その結果、対前年比10%を超えるインフレと、高金利をもたらしました。
株価も暴落、ルピアも危ないと言われていました。ただしルピアは2005年9月をピークにルピア高に転じ、危機を脱しています。
インフレは1年で収まりました。

このインドネシア初の荒療治を乗り越えたのは、リーダーシップがないと言われ続けたユドヨノ大統領の力ですし、剛腕スリ・ムリアニ財務大臣の力も大きかったと思います。彼女はジョコ・ウィドド政権でも財務大臣を務めている実力者です。
インドネシアは補助金カットを定期的に繰り返していて、いずれも2005年ほどの混乱にはなっていません。

7.その後どうなったのか

電力不足を解消するため、日本や中国の資本を使いながら、次々とジャワ島内に巨大発電プロジェクトを進めていきました。
大部分が石炭発電ですが、当時ありあまっていた石炭を使って発電するのは輸入に頼っていた重油を使った発電よりも合理的な判断だったと言えます。

結果として、今ではジャワ島内に限っては電力が余っている状態になっています。わたしが久しぶりにインドネシアに来て停電がなくなったなと驚いたのは、こういう事情もあったのです。

さらに言えば、ディーゼル油を安くして各社に非効率な発電を許していたのに比べ、大規模発電により効率的に発電することで環境負荷も低く発電コストも低い電力がメインになったわけです。
加えて、電力コストの上昇についていけない企業は淘汰されました。付加価値が低かったり、利益率が悪く必要な投資ができない企業がなくなったということです。

これこそがアダムスミスの言った見えざる手です。政府がこうしろと無理やりさせたのではなく、補助金をカットして自然な状態にしたら勝手に最適化されたということです。
インドネシアの国力としては、かなり強化されたはずです。

結論としては、安易な補助金は一時的なショックを和らげる効果はあるものの、中長期的な目で見れば悪手であり、原則は市場価格に連動させ企業の適応を促すべきということです。

日本が製造大国として世界を席巻したのは、オイルショックに企業が対応して省エネ対応をしっかりできたからです。燃費のよい自動車の開発によって、その後アメリカで販売台数を伸ばす原動力にもなりました。
危機への対応は企業を強くするのです。

インドネシア政府は石油製品への補助金をせずに、電気自動車やハイブリッドへの転換、あるいはコジェネレーションシステムといった効率化投資に補助金を出すべきと思います。
さらには、重油から天然ガスへ発電を切り替えていく契機にすべきと考えています。今インドネシアは天然ガスの大半を輸出に回しています。これは自国で利用するには莫大なコストをかけたインフラ整備が必要になるからです。液化する設備、保管する設備、輸送につかうタンカーもしくはパイプラインです。
ここの投資は大変ですが、カーボンニュートラルへの道筋をつけることにつながりますし、近隣諸国に対し優位なポジションを得られる可能性もあります。

インドネシア政府はどうすべきかという提案が、かなり強気でとがっていたためか、先生から授業で発表するように求められ、グループで発表しました。
先生はオイル&ガス経済の専門家なので、突っ込まれるんじゃないかと焦りましたが大丈夫でした。

政府がどうすべきかは説明したのですが、その背景や狙いまでは説明できなかったので、少し心残りがありました。

以上となります。

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