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アメリカで住んでいる家が火事になりました。2011年3月12日

アメリカ横断引越のところで少し触れましたが、カリフォルニアで住んでいたアパートが火事になりました。

日本でも火事の被害に遭うことはまれなのに、外国で遭うという非常にまれな経験をしましたので、Noteにアップします。

当時の記録が残っており、そのまま載せます。

日付を見てピント来た人、さすがでございます。

偶然にも東日本大震災の翌日の出来事でした

私たち家族にとって忘れられない日になりました。

2011年3月12日(土曜日)

午前9時頃
昨夜は日本の地震のニュースをほぼ夜通し見つづけ寝不足。

朝起きて、シャワーを浴びて、朝ごはんを食べて、自分は食べ終わりゆっくりくつろぎ、子供達もほぼ食べ終わったという時間であった。

各部屋に付けられている火災報知機がどこかの部屋で鳴っている音がした。

ここの報知器はかなり敏感で、炒め物にしょうゆをたらして焦がししょうゆにするだけで鳴ってしまうほど。

だから、今回もてっきり誰かが焦がしすぎたのだろうと思っていた。

そんなこともあり、まさか本物の火事とは思わず、子供達には「地震だ」といってテーブルの下に隠れる訓練をさせていた。

しかし報知器は一向に鳴り止む気配がなく、音の調子が今まで聞いたことのないようなものになった。

どうも変だなと思っていると、何人かがどんどん階段を駆け下りてくる音がして「Get out!」と大声で叫んでいる。

最初にこれに気づいたのは妻。

え?と思って玄関を開けて外をみると、人が走っており、煙の臭いがしたので、火事だったのかと気づく。

妻と子供たちだけ先に避難してもらい、大事なものを持ち出す準備をした。

こういう時のため、重要な書類入れ(パスポート、I-20などの入ったもの)にまとめていたので、他にキャッシュとカードを持って、コンセントをすべて抜いて、全部鍵をしてめてから外に出た。(注1)

煙の量は若干増えていた。

午前9時15分頃
妻と子供達が近所の友人の家に避難する。

そこでお茶をのみながら温まり、リラックスしたようだ。感謝。

午前9時30分頃
消防車が到着した。

消防士が避難してきた人に事情を聞き、皆脱出できたのか確認してくる。

部屋がどうなっているか、裏にまわってみたら、2階と3階の人が逃げ遅れて助けを求めていた。

みんなで「口を布で塞げ」と叫ぶと、一瞬塞ぐのだがすぐに離して「Help!!」と叫んでしまう。

すぐに消防の人がはしごを持ってきてくれて助けた。

消防車はAlbanyだけでなく、Richmond、Berkeley、El Cerritoと周りの市からも集まり、8台くらいになっていた。消防士も大量にいる。

さすがアメリカと感心した。どんな些細な事故でも全力を投入してくる。

これで戦争に負けた。
日本は楽観的な予測に基づき出し惜しみをして、少しずつ増やすから結局全部やられてしまう。

午前10時頃
TOEICを受けている時間だが、まあ仕方ない。75ドル分損をした。

火は鎮火したが、煙はまだすごい。

一人逃げ遅れたらしい人が消防士に抱えられて外に出てきた。

すぐに家族らしき人が数人かけよっていく。

午前11時30分頃
Albany Pre SchoolにDaisyの世話に行く(注2)。
小屋を掃除してレタスをやった。

役員の人達が打ち合わせ中で、うちが火事になっていると知って驚いていた。

え?あそこに住んでいたんだっけ?という反応。

正午頃
アパートの場所に戻ると、Red Cross(注3)の人達が来ていて、いろいろと事情を聞かれた。

そして、住人達は決められたホテルに2泊とまっていいことになり、予約してもらった。

さらに115ドル入金されたカード(注4)をもらい、それで当面の食事をまかなうように言われた。すばらしいサービス。

月曜の朝(翌々日)にRed Crossに行き、住民全員がカウンセリングを受けることになった。

家に入って当面の生活に困らないよう荷物を取り出せることとなった。
3階の人から順番に入っていった。

服と貴重品を取り出した。

午後1時頃
最低1ヶ月はアパートに入居できず、2ヶ月くらいかかるかもしれないということであった。全面リノベーションのため。

我が家は火元の部屋と一番離れていたためほとんど損害はなく、スプリンクラーで若干の水漏れと煙の臭いがしみついたくらいなので、住みたいといったが無理であった。


ホテルに戻り、Craigslist(注5)中心にリストアップし、空室のあるアパートを探してメール。

あとはCNNでずっと日本の地震のニュースを見ていた。

(注1)自分の重要書類だけを持ち出したため、あとで妻から自分のことしか考えないひどい奴だと非難された。

(注2)Albany Pre Schoolは当時下の娘が通っていた近所の幼稚園。
親たちがボランティアで運営することで費用が安くなる面白い幼稚園だった。

我が家の担当は、幼稚園で飼っているモルモットのお世話係。
デイジーという名前のおばあさんモルモット。
アパートの横にあるHappyという八百屋さん(今は閉店したらしい)でレタスを買って、毎週土曜に掃除や餌やりの世話に行くというのが午前中のルーティンだった。

(注3)Red Crossは日本語だと赤十字社。
日本だと病院のイメージか、寄付をする先というイメージだった。
アメリカでは災害になると真っ先に駆けつけてくるバリバリの実働機関で、非常にシステマチック。

(注4)Red crossからもらったカードはスーパーや食料品店で使えるが、アルコールとタバコは買えなくしている。
すばらしい。
なんで日本でできないのだろう。ばらまくのであれば使途を制限すべきだろう。

(注5)CraigslistはいわゆるClassifiedと言われる日常の情報交換サイト。
当時は不動産情報はここが非常に充実していた。

下記はCraigslist東京版。



2011年3月13日(日曜日)

今日は日曜なので何も進まなかった。


泥棒が入ったかもしれないと様子を見に行くと、アパートの入り口は金網でロックアップされており、駐車スペースの入り口のゲートも鎖で固められていた。

鍵を持っていたので入れるようであれば入りたかったが駄目だった。

同じように様子を見に来た住人と会う。

夜みんなで集まる約束をし、別れた。


入れそうなアパートがないか近辺をドライブし、For Rentの看板を出しているアパートに電話したり電話番号をひかえる。

ホテルに戻り、不動産情報をネットで確認。メールを出す。

短期の賃貸は厳しい。

Albany Patch(注1)という地元のニュースに火事の記事があると知人から教えてもらい読んでみると、昨日最後に運ばれていった老人が亡くなられたとあった。

人が死んだというのはショックを何倍にも増加させる。
不幸が重なった。

もともと足が不自由で車椅子生活だったのに加え、多分寝ていたのだろう。
また、火災が下の階で起こり、直に煙と熱が来たと思われる。

いつも親切な品のよいおばあさんだった。

ご冥福をお祈りし、現場に花と水を置いた。娘は鶴の折り紙を折った。

18:00
住民達と打ち合わせ。6人集まった。

連絡先を交換してその日は別れる。

部屋は見つかったかとか、ホテルはどんな様子だとか。

火災保険に入っていなかったというと驚かれ、みんな入っているの?と聞いたら安いから入っているよ、入っていてよかったと言っていた。

保険に入るのは日本人だけで、海外では保険に入る人は少ないと聞いていたいのに話が違う。

あと、火元の住人はどうしたのだろうかという話にもなった。

怖くなって逃げだして今ごろメキシコに高跳びしているんじゃないかとか、いや最初からいなかったんじゃないかとか、誰も住人を目撃していないので分からなかった。

明日から仕事が始まるが、行ける状況にないため、当面休むことを事務所にメール。

(注1)Albany Patchの記事はまだ残っていた。


続きはPart 2へ




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