景色001 北見点描 スキー場

 スキー。ひどく単純で複雑な、2度にわたる上下動について。

 北海道に暮らしていると、市街地とスキー場との異様な近さに驚くことが多いのですが、生まれも育ちも北海道、という方はそういうわけでもないようです。本州の人が瓦屋根にいちいち驚くことなく日常風景として認識していることと同じ意味で。
 北海道のスキー場、近隣市町の例を挙げると、網走市なら「レイクビュー」、美幌町は「リリー山」、遠軽町は「ロックバレー」、湧別町は「五鹿山」、などなどがあります。ここに挙げていない市町村においても、大抵は自治体が運営するスキー場がある場合がほとんどです。これらはいずれも市街地から車で数十分の距離ですので、その気になれば夜間営業の時間を狙って仕事帰りに滑走も可能です。
 本州でスキーとなれば、それこそ行楽地への旅行に近い感覚なのだろうなと思います。長野県の志賀高原で1週間泊まり込みでスキーをしたことを思い出すと、それはまさに“冬季休暇の一大行事”であり、準備と費用についてはそれなりの気合を入れて計画しなくてはなりませんでした。それが北海道に住んでいれば「この土日、ちょっとひと滑り行こうかな。」ですから、百貨店にでも行くかって感覚に近いのかもしれません。まあ、結構な割合で見かける“スキー場の年パス”を持っている人は、また別の感覚なのでしょうけども。
 そもそもの話をすると、本州はまさしくスキー“リゾート”であり、一大観光地なわけですが、北海道は基本スキー“場”であり、リフトが1本程度な場合が多いのでそこは、まあ。

 北見市には「ノーザンアーク」「若松」「八方台」の3つのスキー場があり、市民の娯楽、健康増進や各種競技会、学校教育で活用されています。北見市はもともと4つの市町だったわけですから、スキー場が3つあるのはそりゃあそうなのですが、それにしたって中心市街地からは全部車で数十分です。この中で、先日(24.2.12)は「若松スキー場」へ行ってきました。
 3つのスキー場の中で、まだ行ったことがないからという消極的な理由ではありますが、施設で提供されている昼食がなかなか良いという噂があったので……(スキー場メシは大事です)。
 北海道のスキー場なので雪質はケチのつけようがなく、かといって技術的な向上を目的に行っているわけではないので、特に何も考えずにガーガー滑ってりゃ幸せなのでお気楽なものです。そういうわけで、2時間半ほど滑ってメシ食って帰ってきました。

 スキー場へと向かう1度目の上昇、リフトで登る2度目の上昇。
 頂上から滑走する1度目の下降、帰途につく2度目の下降。
 2段階の上下動によってスキーは完了します。
 本州の“スキーリゾート”であれば、この上下動にかける時間は非常に長くなります。列車あるいは新幹線、高速道路をいく自動車、夜行バス。せっかくきたんだからと数日宿泊することもあるでしょう。そうして、スキーは旅という非日常の中に埋め込まれた上下動になり、純粋な非日常的体験、あるいは非日常体験として私の思い出に強固に刻まれていきます。
 長野でのスキー漬けの1週間、吹雪が顔面を打ち付ける過酷な環境に突然鼻血が出たことがありました。「そうか、人間は寒すぎると粘膜が耐えきれずに鼻血が出るんだ。」と思ったものです。実際相関があるかは分かりません。最大斜度34度のジャイアントスキー場、決死の覚悟でエッジをガリガリ言わせながらなんとか滑り降りた時の達成感は30年近く経過した今でもおぼろげですがなんとか思い出せます。ターン中に初めて2枚のスキー板が平行に揃った時の、「なあんだ、やりゃあできるじゃないか。」というちょっとした拍子抜けを含んだ達成感もまた、同様に。

 中心市街地から車で数十分では、そのような非日常的/非日常の空気は生まれにくく、感じにくく、それはほとんど日常的/日常の移動と近くなります。車移動が基本の生活様式である北海道民にとって“数十分の車移動”はあくまで日常の範疇に収まってしまいます。そもそも“山に入る”という行為自体が特別なはずなのですが、北海道民にとっては、山越えの移動さえ日常茶飯事である場合が多く(私もそういう時期がありました)、ますます“移動”は日常のものになっていきます。
 ニセコやトマム、富良野といった“北海道内のスキーリゾート”にいく場合は別にして、という但し書きはつきますが、北海道で、北海道に住む者がスキーを楽しむということは、かなり広範囲の部分が日常と重なっているのです。

 世界規模の競技会が開かれるスキー。生身の身体が時速100kmまで加速するような無茶苦茶な競技。
 北海道の住民がこの競技に触れるとそれはしかし、日常の中に柔らかく取り込まれていくのかなと思います。しかも私のようなスキーヤーはただ楽しく滑れりゃそれでいいので、ますます“日常的な娯楽”としての色合いを濃くしていきます。純化された“日常的な娯楽”の中で、私はただただ速度を求めて滑降することだけを考えます。長野でのスキー漬けの1週間では味わうことのなかった思考/志向/嗜好。日常の中にぽつんと現れる、非常に小さな点である“非日常”の“速度体験”が、時に麻薬のように作用して私をゲレンデへと誘います。そろそろ、転倒したら洒落にならないことになりそうだなあと思いながら。