人と水と調和と超克 『世界の水辺都市への旅』

 芦川智 編『世界の水辺都市への旅』(彰国社・2022年)を読みました。

 欧州の都市にある“広場”についての研究からさらに視野を広げて、都市と水の流れの関係に焦点を当て、都市を眺めること。
 自然の河川はもとより、城を守るお堀のような人工の水の流れにも着目しながら、水と共に人々の生活を包む世界の都市(著者たちの研究対象の関係で欧州が多く、一部中東・アジアという感じ)の水との関わり方、利用の仕方、成り立ちや歴史と併せて紹介しています。

 欧州ってずっと戦争してたんだな、という、特に自分の中に新規性のない感想があります。その感想が出てきた要因は、本書でも度々触れられている「国土回復運動」だと思います。特にイベリア半島は「イスラム支配から国土回復運動を経てキリスト教支配へ」と、どんどん変わっていく混沌の歴史がありました。建築様式や街路の張り巡らせ方まで違うのですから、支配者の入れ替わりはまさに180度転換を繰り返すような混沌と言ってよいのでしょう。しかし、そういった混沌さえも最終的には呑み込んで今日まで続く都市の形を作り上げてきた、それらが住民や地域行政の努力の上で成立してきたことをことを思うと、月並みですが、その地域に根ざした“何か”が尊く感じられます。

 本書を読むと、「欧州は自然の克服・超克・制御、日本は自然との調和・共生」(どこで見聞きして、誰がそう言っていたのか、自分の中で判然としない論ではあるのですが)という大雑把な二分法は、大雑把で単純化され過ぎているために結局は嘘っぱちなのではないか、と思えてきます。
 チェコのチェスキー・クルムロフは大きく蛇行した、ほとんど円形を描くような川のS字部分を有効に活用して城と居住区を形成しています。地形を生かした、天然の防護壁としての河川の存在。
 一方、日本の広島城は周辺を流れる川からどんどん水を引き込み、城の周囲に幾重にも堀を巡らせていました。江戸時代までの事業ですからその堀の多くは現存していません。しかし、広島城の西側には昭和期から行なわれた大工事の結果として太田川放水路があり、江戸時代と同様に水流を人為的に制御して有効に活用することが今日まで続いています。
 欧州でも自然と調和・共生するし、日本でも自然を超克し、制御します。そして、何が調和・共生で、何が超克と制御なのかは判然としません。もちろん、先述の論が当てはまる場面だってたくさんあるのでしょうけど、いろいろ事例を積み重ねていけば、それらの事例も渾然一体として境界線もおぼろげな何かになっていくのでしょう。水流と共に人々の生活がある。生活を豊かにする恵みも、命と財を呑み込んで押し流す災禍にもなる。そこに流れている水に対する意味づけ“への意味づけ”ということを思う一冊でした。

 北海道の開拓史を少しでも紐解いて見ると、特に原野開拓の遠軽、北見では多くの入植者たちが洪水に見舞われており、復興に時間を要したり開拓を断念して別の土地に移ったり、あるいは郷里に帰ったりしています。10万を超える人が暮らすようになった北見市でも、現在もなお河川氾濫を防ぐために川の拡幅工事が行われています。分かちがたい人と水の関係については、この仕事にも生かせるように思います。

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