給食と食育と教育の四方山話

 職場の若手がぽつりと、「食育ってどういうふうにすればいいかよくわからなくて……。」とこぼしていました。先日、勤務校で行われた“学級経営交流会”での一幕です。この時期の“交流会”ですから、1年間の学級経営の総括とも言える内容を話すわけです。当の若手が約1年間、いろいろ悩みながら学級を運営し経営し、頑張ってきたことは職場の誰もが認めるところなのですが、やはり悩みの種は尽きることなく遍在しています。
 給食。食育。難しい問題です。


短時間給食指導

 あまり「食育!」と気張らずに、食材や料理についての豆知識を話すだけでもいいんじゃないか、というのが、私がそこで話したことです。あとは「今日も給食おいしいね!」とでっかい声で言うとか。
 コロナ5類移行によって、黙食に関わる縛りはなくなり、ある程度会話を楽しみながら給食時間を過ごすことができるようになりました。その中で、「イワシは節分飾りの一つなんだよ。」とか、「そういえば今年の恵方はどっちだっけ?」「この料理は結構作るのが大変で……」など、食材や料理にまつわる雑談を交えていくことをしています。知識の多寡と興味の浅深には、それなりに相関があるのではないかなと思います。

食育の授業

 2年前に参観した食育授業がとてもよかったので、そういえばnoteに書いていました。この授業が私の中では、最上のもので理想型です。

実は“担任しかできない”

 食育の授業や給食指導となると、栄養教諭がやるんじゃないのかと思うかもしれませんが、実は学級担任がすることです。先ほどの記事でも、授業を主で進めるのはあくまで学級担任であったことが分かると思います。
 給食時間の児童生徒の実態を一番把握しているのは学級担任ですから、それは当然そうなのです。
 働き方改革とか言って、給食時間に丸つけするんじゃありません。勿体無いとさえ思います。

食と人の心理

 人間は、食べたことのないものでも誰かが美味しそうに食べている様子を見れば自分も食べたくなる、らしく。それはおそらく進化の過程で、生存に有利な方向に何かが働いた結果なのだろうなと考えています。「どうやらこれは美味いらしい。なら自分も食べてみようか。」という心の動き。そんな心の動きがあるからこそ、先述の「今日の給食も美味しいね!」が効いてくるのではないかと思います。低学年段階であればより一層。

食べることと幸福

 日本人は美味しいものを食べた時に一番幸福を感じる、という話がまことしやかに語られており、多くの人はこの話に頷くわけで、御多分に漏れず私もそうです。美味しいものはいくらでも食べたい。幸せだから。
 ただ、SNSにおける教員のいち界隈ではどうしても「給食時間は休憩時間と思われている節があるがそうではない。自分達には昼休みはなく、指導の時間であり、授業終了後に設定されている休憩時間は有名無実のものだ。」という話が盛んに語られており、いやここで給食時間がどうこうの話は出さんくてもよくないか? 単に「休憩時間があってないようなもので大変です。」とだけ言えばええんちゃうか? と思ったりしています(これ、一文目をマエダが勝手につけてると思われるかもしれませんが、本当に給食時間の話が同時に語られています)。
 まあ、一般企業や官公庁は昼食時間=休憩時間なので、それと対応した話をしているのでしょうけども、給食時間や給食指導を軽視する空気を感じますね。
 アレルギー対応や食器の破損、異物混入への対処や配膳時の事故など、主に安全管理面で対応が必要になることがあるわけですから、給食時間を休憩時間についての議論の枠内で語ること自体がそもそもおかしいのです。そして、アレルギー・食器・異物混入・安全な配膳はいずれも“食育”の範疇で語られることなので、ますます休憩時間云々の話にはならない。また、給食時間の指導と安全管理は外部委託、というのはちょっと現実的でない気がします。
 食と幸福をつなげて考えることが必要です。「一般企業の人はこの時間、外に出て好きなもん食ってる人もいるんか〜。」などと思いながら給食を食べる先生と同じ空間で食べさせられる児童生徒のことを思うと、ちょっといたたまれないですね。
 そういうわけで、少しでも幸福な時間になればいいなと思うわけです。勉強でもない、休み時間でもない、かといって食事、というわけでもない、給食という特殊な時間の過ごし方。たかだか1日のうちの2、30分ですが、そう思います。

家庭での実践

 で、ここまでいろいろ述べてきたことは、何も学校だけに求められていることではない、ということはみなさんご理解いただけているものと思います。“食育”、食を通した教育的な活動というのはまず基本として家庭での実践が土台にあります。
 たまたま同一期間内に生まれ、たまたま近所に住んでいた子どもたちが一堂に会して食事を摂る。学校給食という、この不思議で特殊な時空間が少しでも幸せなものになればいいなと思っています。