「良い授業」の条件を探って

 そういえば、昨年の12月にとっても「良い授業だな」と感じる授業を参観したんだったな、と思ってバッテリーがギリギリのマッコボッコイヤーッを探ってみたら、その時の授業者2人に渡した文章が見つかった。3年生の学活「食事のマナー」に関する授業で、担任と栄養教諭とのコラボレーション授業である。

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 まず、非常に良い授業だったと感じています。何が、どのように良かったのか、という点についてと、その中でさらに突っ込んでいきたいところについて、できる限り語を尽くして記したいと考えています。

1 きちんと自分で決定するところまで行ったこと
 これは時間配分の話、つまり授業構成の話です。伝えること、考えさせること、話し合うこと、発表すること、自分で決定すること、という様々な要素を過不足なく45分間に詰め込むことは、容易なことではありません。ましてや、参観者がいる中でその多元的な構成の授業を円滑に進めることは非常に難しく、教員なら誰もが苦労し、歯噛みすることです。
 45分に授業を収めることができた、ということは、検討段階で「何を伝え、何を考えさせるか」「45分後に児童のどんな姿が見られれば良いか」がよく練られていたということです。事前に授業をした3年団のチームワークがなせる技でもありますし、この日の授業に照準をしっかり合わせて考えてきたことの表れですね。
 もう少し突っ込むなら「今までの自分はどうだったか」を思い出す時間の設定があっても良かったかもしれません(ただこれも諸刃の剣というか一長一短で、最近はあまり使われない手法なのかなとも思います)。

2 役割分担の上手さ
 まずは担任のA先生が導入で流れを作り、教室が温まった頃合いでT3のB先生が専門的立場から説明を行う。T2C先生が要支援児童をしっかり見る。この3人の連携がよく機能していたと思います。食育の授業では、栄養教諭が全(前)面に出て、担任はT2的立場に回ることが多かったです。しかし、給食時間を最もよく見ているのは、他ならぬ担任です。教室を温めて、栄養教諭にバトンタッチすることができるもの、担任です。給食、食育の場面だからこそ、担任がよく動く。そういう授業モデルとしても、非常に有意義で提案性のある授業だったと思います。

3 自由な発言を許す学級の雰囲気
 これは学級経営の話になりますね。近年の子どもたちは、どうしても周囲の反応を伺い、当たり障りのない無難な振る舞いを取りがちです。高学年になればなるほどこの傾向が強まります。しかし、学級の子どもたちにはそんな様子が見られない。3年生であることを差し引いても、自由闊達で伸び伸びとした発言がある。思ったことをポンと言う。しかも授業に関係がある、時に核心をつくような素敵な発言がある。一朝一夕には作られない雰囲気です。5とも重なる話ですが、A先生が子どもの発言を丁寧に拾い、価値づけて全体に返す。このことを4月から積み重ねてきたことがこの日に存分に現れていたと思います。
 なので、この方向性は今後も継続して欲しいと思います。授業に少しでも関係するのなら、あらゆる発言を許容し、広げ、ともに考えていく、という授業を今後も展開していくことは、子どもたちが主体的に学んでいくために必要なことだからです。

4 板書のよさ
 板書はそもそも何のためにあるのか、という話です。学活だとそれがわかりやすいですね。つまりは自己決定の手助けのためです。授業の中の様々な発言を書き留めておくことで、自分ができていること、不十分なことが見えてくる。その見えてきたものを手がかりにして自己決定すればよいわけですから、板書とは結局「子どもたちのため」でなくてはならないわけです。というわけで、今回の授業の板書は構造的にも機能的にも、よくできていたと言えます。これが2回のプレ授業で磨かれたものであることは聞いていますが、必要な情報を必要に応じて書き留めていくというのは、授業運用における嗅覚を必要とします。
 授業を形作る要素の中でも、板書は特に大きな要素です。板書の形については、日々の授業の中で継続して磨いていきたいものです。

5 視野の広さと語り
 A先生の、子どもの発言に対するアンテナの高さには驚かされました。視野を広く持って、発言を丁寧に拾っていくことは、授業を進める上で強力な武器になります。
 B先生の話すテンポ、間の取り方は、子どもたちにとって聞きやすく入りやすく、そう簡単には身につけられるものではありません。
 これは天性のセンスがかなりの部分を占めると思っています。センスというと誤解があるかもしれません。もう少し突っ込んで言うと、「教員になる以前も含めた、その人のキャリア形成=人生」が、視野の広さ、語りの良質さ、その他授業を形作る要素に対する感覚を研ぎ澄ませていきます。じゃあ、それってもう鍛えられないのか? そんなことはないです。日々の授業を丁寧に省察していく習慣によって、視野の広さや語りの良質さは高まっていきます。もしお二人が「自分はまだまだだなあ」と感じているのであれば、ぜひとも、この日々の授業・指導の省察を習慣づけてみてください。「良い授業」ができるのは、「良い授業をしたい」と考えている人だけです。

 結局まとまりのない文章になってしまいましたが、以上5点です。若い先生が、大勢の参観者の前で堂々と授業をしたことは非常に価値のあることです。中堅ベテラン層(というか私)が大いに勇気づけられる内容でした。これからも「良い授業」を追求していきましょう。ありがとうございました。

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 だそうだ。何を言っているんだろうこの30代男性は。猛省&総括せよ。