[ビジネス小説]未来へのプレゼン 第37話 紫煙
前回のお話し
慎吾は長野駅に降り立った。
長野駅のシンボリックな観光地と言えば善光寺。
その善光寺に負けず劣らずの存在感を示しているのが、荘厳な大樹に抱かれたような長野駅の善光寺口。
まだ肌寒い街に慎吾は身体を馴染ませるかのように歩いた。
巨大な駅は慎吾がしばらく歩いても後ろから覆い被さるように見守っている。
ぐるりと左から回り込むように大通りを歩んでいくと大きな道に出る。
しばらく進むと右手に1998年に開催された長野冬季オリンピックのモニュメントが見えてきた。
慎吾が2歳の頃に行われた長野オリンピックの記憶など全くない。
だが、そのモニュメントが地元市民の誇りと訪れた人々が懐かしむことが容易に想像できた。
慎吾の背の高さほどのモニュメントをしばらく立ち止まって眺めた。
色褪せたモニュメントに23年の月日の長さを感じる。
23年という年月が長く感じられるのは慎吾の人生の大半を占めるからかもしれない。
『自分が40代、50代になった頃に20年という年月をどう捉えるような価値観になるんだろうか。』
そんなことをほんの数秒考えた。
慎吾はモニュメントに意識を残したまま足を進めた。
坂を登る手前を一本奥に入ったところに藤井工業のオフィスビルはあった。
ビルは古くさく、竣工が昭和48年とあった。
『親父と同じ歳のビルか・・・。』
最近父親の声を聞いていないことを思い出した。
『一段落したら電話をしてみるか・・・。』
藤井工業は地元の老舗企業であり、大手からの受注を一手に引き受けている。
藤井の兄である、藤井 健(たける)が現在、代表取締役となっている。
藤井工業の受付で名前を告げると、応接室に案内された。
昔ながらの応接室で椅子が皮張りのゆったりした作りながらも机の上のレースでできたテーブルクロスの上に灰皿が置かれていることにレトロっぽさを感じた。
東京で企業を訪れても会議室には灰皿が置いてあるところは全くと言っていいほどない。
ここでは、それがまだ日常であることに小さな違和感を慎吾は覚えた。
しばらくして、扉が開き社長である藤井 健が現れた。
「いらっしゃい。なんでも、剛が世話になっているようで・・・。」
健はポケットからタバコを取り出して火をつけた。
愛煙しているのはPeace。
Peaceは紫煙の言葉にあるように、健は紫色の煙が出ているように見えるこのPeaceを1日2箱は吸うくらいのヘビースモーカーだった。
二十歳を過ぎた頃から吸い始めたタバコは習慣となっているだけで、60歳となった今では、タバコが旨いかどうかなど気にもならなくなっていた。
「で、知りたいことってのは、わしが剛に渡した金のことか。」
健はメモを机に置いた。
剛の口座へ健から毎月100万円が振り込まれている記録だ。
「剛はお袋のそばにいて見てくれているからね。
わしができるのは、金を送ってやることくらいしかできん。
頻繁に会える距離でもないからね。」
健は剛に対してそこはかとない感謝をしていることを続けた。
「・・・。
剛がどこまで話しているか知らんが、わしと剛は父親が違う。
だが、お袋は俺たちにとっては一人しかおらん。
長男であるわしが本当はそばで面倒を見るのが筋だが、色々あって今は東京でお袋が過ごす決断をしたんだ。
支援するのが息子である俺たちの義務だからな。
吉田さん。
剛は何も悪いことなんぞしとらんぞ。
そんなやつじゃないことはわしが一番わかってる。
頼む。
あいつを助けてやってくれ。」
健の顔に刻まれているシワは60歳にしては深すぎるもので、見た目にはもっと歳上に感じられた。
じっと見つめてくる鋭い眼差しには固い決意ともいうべき思いが滲んでいる。
慎吾は深く頷きながら、健の母であるハルに会ったことを告げた。
「そうか。あんた、わしらの母親に会ったのか。」
健はまたタバコに火をつけた。
吐き出した煙に母親を重ねるように見上げながら健は話し始めた。
「お袋が24の時に、わしを産んだそうだ。親父はこの藤井工業の社長。
剛はお袋が31の時だから、まあ7つ違うわけだな。」
健は変わらず煙に話しかけている。
「わしが産まれてすぐに親父とお袋は離婚してね。
お袋は実家の茨城に帰った。
わしは長野で親父に育てられるんだが、お袋は茨城で今でいうところのシングルマザーになった。
誰が親かは知らんが、まあ、剛が産まれたわけだ。
うちの親父は情に厚い男じゃったから、毎月お袋に仕送りをしとったんだが、わしが16ん時に倒れてそのままあの世に行ってしまった。
それで、お袋が長野に剛を連れて戻ってきてお袋が藤井工業を切り盛りして行ったわけよ。
わしも剛もまだ中学生と小学生やから色々手伝いながらなんとか会社を回して行ってね。
お袋は色々大変やったと思うよ。
夜中遅くまで働いていたしね。
おしゃれなんかあんまりしてなかったやろうし。
そしてわしも高校を卒業してすぐこの会社に就職してお袋を助けたわけよ。
剛に大学行かせていいとこ勤めてほしくてね。
まあ、お袋も、わしも、よー働いたな・・・。」
慎吾は何も言葉を返せないでいた。
タバコの煙はあまり好きではないが、健のタバコの香りは少しお香のようで嫌いではなかった。
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健の話を聞き終えて藤井工業を出た慎吾は善光寺に足を向けた。
健の話を聞いているうちに、寺に行きたい衝動に駆られていた。
自分がこれからやる行為そのものを今一度整理するために。
昭和で時間が止まったような会社の応接室から外に出て、やっと時計が動き始めた気がした。
1時間ほどいた藤井工業での出来事は、どこか半日ほどタイムスリップして過去に行ったような感覚だった。
善光寺に向かう参道は道幅も広く、歴史ある建物も整備された街並みに調和して溶け込んでいた。
外観は新しいものの看板は古く、それ自体がその店の歴史を伝えていた。
慎吾が知っている有名な書家が書いた看板も多数見られる。
慎吾は古い看板が好きだ。
看板は広告の一種だが、広告もプレゼンのようなもので短い言葉で何をやっているところかを端的に表し、そのデザインでインパクトや親しみやすさ、ワクワク感を時代感と共に伝えてくれるからだ。
善光寺の本堂を前にして改めて慎吾は大きく息を吸った。
『ここに来た意味は大きかった。』
藤井のことを救う大きな手がかりが掴めたことと
自分の本来やるべきことの再認識ができたことだった。
ーーーーーーー
列車が動き出すと外は雨が降ってきた。
雨は車窓を転がって後ろにちぎれるように流れていく。
雨の軌跡は窓ガラスにしがみつきたい気持ちとは裏腹に、そのスピードで引き剥がされていく。
『健さんも、しがみつきたかったんだろうか・・・。』
そこはかとなく家族に対して、できることを健ができる形で実行していることがとても尊いことに思えた。
『絆とは。
そういうことなんだろうか。』
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<銀座のBAR>
慎吾が話す内容で、集まった内藤だけでなく佐々木、遠藤も藤井のイメージが変わっていった。
「つまり、藤井さんのお母さんの老人ホームの料金、子供たちの学費もそこから捻出されているわけだな。」
すでに1週間が経ち、各々が情報を持ち寄っていた。
「よし。裏は取れた。」
内藤は今日もターキーのシングルだ。
「次に俺の方だが、茨城の実家に行ってきた。
さっきの吉田の話の通り、母のハルさんが茨城に戻ってシングルマザーとして藤井さんを育てたらしい。
その頃のことを知っている方に会えたんだが、働き者で勤勉で真面目だというのがハルさんの印象だ。
それと。
遠藤が言っていた、吉本洋子についてとんでもないことになってるぞ。」
内藤のトーンが変わった。
「実は、吉本は先日ビズルートを解雇されてた・・・。
理由は藤井さんへの送金者ということになっている。
つまり・・・。」
「つまり、私たちはもう一人助けるべき人を見つけたってことね〜。」
佐々木はモスコミュールが気に入ったようだ。
それほど強くなく、辛味の聞いたジンジャーエールの喉越しが心地よいらしい。
「テンタントの所属及び藤井さんへの送金は捏造されたものと思われる。
なあ、吉田。
この件。
会社の上層部と大喧嘩になるぞ。
・・・どうする。」
吉田は長野から帰る車内で決めていたことがあった。
「宮本常務に相談しましょう。
宮本さんは丸山さんをヘッドハントした方です。
絶対丸山さんの復帰を望んでいます。
状況証拠が揃っている今、宮本常務から石渡専務を言及していただきましょう。」
「いや、それは無理ですね。」
遠藤がすかさず切り込んだ。
「まだ今の状況証拠だけでは全く勝ち目がないです。石渡専務まで辿り着きませんよ。
それどころか、神宮寺さんにも。
これでは、揉み消されて終わるだけです。
それにこの情報だけで宮本常務に上層しても動けないと言われるのがオチです。
決定的な証拠がなければ・・・。」
4人は黙り込んだ。
「私、ハルさんに会ってきたんだけど、ハルさん少し記憶が曖昧じゃない。
何回か会いに行ったんだけど、時々若い頃の話をしてくれるんだけど、その時に藤井さんのお父さんらしき人の話をするのよ〜。
なんか、優しい感じの人らしいんだけど、こうちゃん、こうちゃんって呼ぶのよね〜。なんか微笑ましくって。
歳をとってからもそうやって下の名前で呼ぶのってなんだかいいわよね〜。」
場を和らげるように気を使って佐々木が話し始めた。
慎吾はジリジリしながら意を決した。
「皆さんの意見を聞きたいのですが・・・。」
慎吾は皆を見渡した。
「このメンバーに、神宮寺さんを加えるのはどうでしょうか?」
「え?」
一同は驚きを隠せなかった。
「お前、何考えてんだ。敵だぞ。」
「いや。一概に敵には思えないんです。
神宮寺さんはおそらく石渡専務の直属の部下ですからそう簡単にはこちらにはついてくれないと思います。
吉本さんが解雇されたのはおそらく神宮寺さんも関与しているはずです。
だからこそ、私が考えるに、彼女は明日は我が身と思っている気がするんです。
トカゲの尻尾はいつでも切られるのがビズルートの、いや石渡専務のやり方です。
そこを逆手に取ってこちらに巻き込んでみるのはどうかと思うんですが。
皆さん、いかがでしょうか?
このまま続けていても進展は見込めませんし。」
「俺は反対だ。
うまく行かずにその場で潰されるぞ。」
内藤は断固反対だった。
それは、佐々木も同様だったが遠藤だけは賛同してくれた。
「一度私の方から揺さぶってみます。
その反応をみて、改めて判断しませんか?」
吉田の言葉に他に打つ手のないメンバーは一応の理解を示した。
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「お疲れ様です。進展がありましたのでご報告です。」
「で、どんな感じに。」
「神宮寺さんを仲間に引き入れる方向に流れそうです。」
「・・・・。」
神宮寺は一瞬躊躇した。
躊躇する自分は今を変えたい自分。
自分の本心であることをその一言で納得したような気がした。
とはいえ、合流するということは、石渡専務を敵に回す事になる。
勝ち目は全くと言っていいほどない。
「・・・わかったわ。ありがとう。」
神宮寺は突き付けられた展開にゆっくり目を閉じた。
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「お疲れ様です。進展がありましたのでご報告です。神宮寺を仲間に引き入れる方向に流れそうです。
・・・・・・・。
はい。失礼します。」
ここからの展開はどっちに転んでも怪我するわけだ。
さて、お手並み拝見ですね。
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次の日、慎吾は神宮寺にアポイントを取っていた。
サポート大歓迎です。!!明日、明後日と 未来へ紡ぎます。