都鄙問答
名著 石田梅岩の「都鄙問答」のことです。
「都鄙」は「とひ」と読みます。
意味としては、「都会と田舎」「都(みやこ)と地方」という意味合いです。
江戸中期に活躍した石門心学の創始者である石田梅岩が門弟たちや様々な人々との質疑応答をまとめた書籍です。
ビジネスに携わっている方であれば、パナソニック(前・松下電器産業)の創業者である松下幸之助氏が座右の書としたことでご存知の方もお見えになるかと思います。
なぜ座右の書としたのかについては、「商人道の原点」が記されていて経営者の必読書であると考えられたからであり、京セラの創業者である稲盛和夫さんも石田梅岩から影響を多大に受けられたことを述べられています。
もちろん、福沢諭吉や渋沢栄一も同様に石田梅岩から影響を受けています。
別の方は「都鄙問答」は「現代のCSRの原点である」と記述されているものもあるくらいの書籍ですので一度読むことをお勧めはするものの、原文(岩波文庫)は本当に難しいということで私は現代語訳版を読んでいます。
書籍の内容についてはご興味ある方は是非ご一読いただきたいのですが、商人道だけでなく武士道、農民道なども記述がありますし、親として子としてどうあるべきかなどについても書かれています。
色々と学ぶべき観点は多々ありますが、読む年代によって受け止め方が変わってくる楽しさもある書籍です。
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さて、今回はこの「都鄙問答」のタイトルが現在でも成り立つかどうか?ということを少し考えてみたいと思います。
有識者が都会にいて、田舎の方には教育が十分に届いていないので高名な先生に色々と質問をして学んでいくということなのですが、果たして現代では情報格差も無くなってきましたので、都会だ、田舎だといった区別はあまり意味の無さないものとなりました。
世界中どこにいても知識を得ることが可能であり、学びを深めることも可能です。
誰かと意見を交わして問答を行いさらに深掘りすることも可能となりました。
ですので、現代において「都鄙」という言葉はあまり意味をなさないワードとなったのです。
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都会か田舎かはさておき、内容については現代でも親孝行について、自己の傲慢さについてなどは江戸時代から変わらず、生きている限り続くテーマなのかもしれません。
だからこそ名著として残り、いまだにそれについての答えを記されているからこそ読み継がれているのでしょうが、現代では「都鄙」というタイトルはあまりピンとこなくなってきました。(書籍の中身は当時のことですからそのままでよいのであしからず)
しかし、情報が獲得できるにも関わらず、情報格差、情弱という言葉がある通り、
学ぶ人:学ばない人
知っている人:知らない人
やる人:やらない人
ということが散見されます。
別の言葉で例えるなら、
面倒くさがりな人 と 面倒なことが好きな人
に分かれます。
面倒くさいからこそやる必要があり、それをやることで未来が広がっていくのです。
自分で自分の未来を取りにいくことができるかどうか。
問答を行った後に起こすアクションにこそ意味があるわけです。
「都鄙問答」では孔子や孟子の言葉を用いて色々と梅岩が説いてくれるわけですが
何を拠り所にして問答をするのかが重要になります。
自分の経験だけでなく、過去の偉人たちの所業や経験に基づくものから導き出されることは膨大にあります。
野中郁次郎氏の「失敗の本質」も同様です。
さあ、ここであなたの「都鄙問答」は誰に対して何を問うものでしょうか?
あらゆるものが問答の対象になることを見出す方もいれば
古典に答えを求める方もいます。
そして知るだけではなく、実践して、経験して、腹落ちさせていくことで、自分の軸を定めたり自分の考えを深めていくことにつながることを意識して行うことが尊いなと、私は考えています。
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「都鄙問答」を読みながら、石田梅岩がいつから他人に対して自説を述べ始めたのだろうか?きっかけはなんだったんだろうか?と言うのを気になって読み進めるのですが、小栗了雲と言う黄檗宗の禅僧の話を聞いて開眼し、悟りを開いたとされています。
その後、石門心学を広めていくことになりますが、45歳で私塾を開講するのですから、今の自分からするとその年で悟りを開くこと自体尊敬して止みません。
45歳までにあらゆる古典を学び、教えを受けて悟りを開いて世を正しき方向へ導く活動をされた石田梅岩の胆力に圧倒されます。
そして、自分に問い直すのです。
自分は何を成したいのか?
考えるきっかけをいただけた「都鄙問答」。
最後は自分自身に問答することになりました。