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[ビジネス小説]未来へのプレゼン 第23話 大阪

前回のあらすじ

慎吾が大阪の街を訪れるのは約2年ぶりだった。

日帰りの仕事で新大阪の駅で降りてから徒歩10分程のところにあるクライアントに何度か通った程度だったため、大阪という街を体感して帰った記憶がない。

新幹線の入り口付近では点々の餃子や551の肉まんなどのお土産が鎮座して大阪らしさを醸し出している。

慎吾がそれらを買って、誰も待っていない部屋でただ食べるのも味気なく思えておついぞ興味すら持てないのが常であった。


2年ぶりの大阪。


大阪は真新しかった。


なんとなく東京と比べて駅のホームの雰囲気が暗く、ススほこりが被ったようなフィルター感にいまいち馴染めなかった2年前。


今はその面影すらない。


地下鉄のホームには地下施設では国内で最大級の液晶モニターが、度肝を抜くほど洗練されたサイネージコンテンツを流している。


レトロな照明と合間って、まるでクラシカルなロンドンのチューブにいるような感覚に包まれる。


オシャレな街「大阪」


幼い頃に訪れたロンドンはパリよりも薄暗く寂しい印象だったが、ロンドンオリンピック・パラリンピック後は明らかにパリよりも魅力的になっていたことを思い出した。


大阪万博を前に都市が生まれ変わっていく。


この2年で大阪は街に心地よさを育んできた。


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万博会場予定地を視察し、そこから見える景色に2025年の未来像を重ねる。

目を閉じて想像するまでもなく、立て看板に完成図が示されていた。

2025年の日本を感じる完成図を目に焼き付けて

しばし訪れた人になってみる。


微笑む人々の笑顔が絶え間なく映像として飛び込んできた。


『何を見て

何を感じて

人は笑顔になるのだろうか』


笑顔

ワクワク


そんな言葉がよぎっていった。

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慎吾と橘は一路1970年に大阪万博が開催された太陽の塔が建つ千里へと向かった。


太陽の塔。


いわずと知れた岡本太郎の代表作である。

中央に太陽をモチーフにした、しかめっ面のレリーフが遠くから見えた。


笑顔ではなく

何かしら畏怖を抱くような

それでいて未来へ存在感を示すようなものを感じる。



慎吾の父は幼少期大阪に住んでいて、よく祖父母に連れられて万博会場を訪れていた。


そんな話をしばしば聞かされていたからか、初めて目の当たりにする太陽の塔に慎吾は親近感を感じた。


『当時、ステーキなんか食べたことがなかったおじいちゃんとおばあちゃんは、何をかけて良いかわからなくて、テーブルにある胡椒をしこたまふりかけたんだって。それはそれは辛いステーキだったって話をよく聞いたよ。』


1970年。

高度経済成長期真っ只中の日本において、

日本人が世界の中の日本をどう魅せたかったのか。

戦後復興をとげて奇跡の復活をした日本を

世界はどう見つめたのか。

1980年台の黄金期を迎えていった日本は「Japan as Number One」として打ち出したアメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲルによって1979年に著された。


彼の目にこの大阪万博はどう映ったのだろうか。


1970年に示された最先端のテクノロジー。

日本というアイデンティティ。

開催された半年間にどんな意味を持たせたかったのだろうか。


『祖父母はどんな気持ちでこの塔を眺めていたんだろう。』


祖父の趣味は写真であった。

祖父から父へ。

父から渡されたニコンの一眼レフがオブジェとして慎吾の部屋に置いてある。


そのカメラでとったモノクロの写真を父に見せてもらったことがある。

幼い父が太陽の塔の下で歩いている写真。

パビリオンの前で祖母が着物姿で気取っている写真。

海外のパビリオンで見知らぬ異国の人々を物珍しそうにおさめている写真。

膨大な量の写真が物語るのは当時の一個人の興味から垣間見える世界観だった。


見るもの全てが見たことがないもの


そんな世界と未来への念いが1970年にこの千里に集っていた。


2025年。私たちがまだ誰も見たことがないもの。


改めてこの地に立つことで慎吾は念いを深めた。


55年の歳月を。


そしてこれからの未来を。

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「吉田さん。そろそろ。」

太陽の塔を橘が指さした。


太陽の塔は事前に予約すれば中へ入ることができる。

太陽の塔には4つの顔がある。

頭頂部の「黄金の顔」
真ん中にある石顔が「太陽の顔」
後ろに回ると見ることができる「黒い太陽」
そして、中に入ると見ることができる「地底の太陽」

慎吾は

『1970年。

岡本太郎は

あの頃の日本人は

当時の日本人に

当時訪れた世界中の人々に

メディアを通して

大阪万博を見た全ての人々に

そして

現代の我々へ

何を伝えようとしたのだろう。』


現存する太陽の塔が放つ失われないエネルギーを真に受けながら

そびえ立つ塔を見上げると頂上が太陽の光と重なってその先端にある「黄金の顔」が見えなかった。

むしろ見えない姿こそ、『太陽の塔』本来の姿のように思えた。




ゆっくりスロープを降りて内部へ入る入り口へと向かっていく。

入ったその先にはプロローグの空間で「地底の太陽」に見つめられる。

けたたましい音楽とプロジェクションマッピングがコラボレーションして騒々しい空間になっている。

大地の鼓動の響きを感じながら「地底の太陽」と向き合う時間は細胞に息吹を吹き込まれているかのようだ。

時間にして2〜3分はそこから動けなかった。

慎吾にとっては塔の内部に進む前の儀式のようなものだった。


儀式を終え、歩みを進めると「生命の樹」の根元にぶつかる。


高さ41mのこの樹木は人類が誕生するまでの系譜を万博当時は292体の生物模型で表現したものだった。
現在はその中から183体を復元・再現したらしい。


階段を一歩一歩登りながら、人類誕生への道程をたどる。


音と光の演出が空間を彩る。


慎吾にとってはエネルギッシュすぎる演出だった。
高揚感よりも畏怖の念で心がざわついた。


ゆっくりとした足取りで上まで登るとそこには当時の看板が掲げられていた。


未来・・・進歩の世界へ


生命の樹のその先は吸い込まれるようなアメーバ状の波紋が広がっていくように歪められた空間が頭上に広がっている。


この先を私たち人類が歩んでいる


その未来から生命の樹の根元に目を移すと遥か下方に小さくその原始生物の模型が見えた。


ただひたすら、

ここに訪れたであろう

一人を自分が追体験するかのように1970年へと自分を飛ばした。

55年経って新たに歩み出す一人として、太陽の塔の息を吸い込んだ。


慎吾は言葉をつかみかけたような気がした。


塔から出るために階段を降りていくと、途中に岡本太郎の言葉が壁に書かれていた。


芸術は呪術である。 岡本太郎


呪術とは神や精霊などの超自然的力や神秘的な力に働きかけ、種々の願望をかなえようとする行為や信念のことである。

岡本太郎は彼のアートという営みを神や精霊などの力を借りて彼自身の念いを伝えていたことになる。


『太陽の塔は岡本太郎の念いそのものなのだ。』


太陽の塔を出て行き交う人たちに目をやっていると、

丸山部長と最初に出会った頃に出された指示を思い出した。


渋谷のカフェでただひたすら人間観察をしながら過ごしていた日々。


意味もなく、ただ眺めていた最初の頃とは、打って変わって行き合う人々を

自然と目で追いかけながら色々と想像する日々。


今は眼前の人々が2025年の大阪万博を行き交う人々に見えてくる。


ターゲットを明確にする


コンセプトプレゼン資料を作成するプロセス。

その根本的なことをここ大阪の地に来て、丸山からの一言一言が実践を通して身にしみていく感覚。

太陽の塔の先に見た未来に丸山がいるような気がした。


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