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最長片道切符で行く迂路迂路西遊記 第3日目

前回のお話は以下URLから。


3. 第3日目(2007年7月12日)

(釧路ー)釧路湿原ー釧路ー新得ー富良野ー中富良野ーラベンダー畑ー美瑛ー旭川ー岩見沢ー沼ノ端(ー苫小牧)

▲ 7月12日の行程

3.1 釧路湿原駅へ戻る

▲ 花咲かにめし

 朝食に根室で買っておいた花咲かにめしを頂いて、身支度を整えたりしていると、あっという間に5時半を回った。今朝は、一旦釧路湿原駅まで戻らねばならない。というのも、昨日は最長片道切符を釧路湿原駅でその使用を中断しているからだ。釧路湿原駅から釧路駅までは実は昨日に別途運賃を支払って乗車しているから、一層のこと釧路から乗車しても良いようにも思うが、そこはやはりこだわりというものがあって、律儀に中断駅たる釧路湿原駅から再開することとしたのである。ここから釧路湿原駅まで行けば復路に短時間の待ち時間を要するだけで釧路行きに乗車することができる。また、釧路到着後には特急にも上手く接続しているから申し分もない。問題は、僕が釧路湿原駅への列車に間に合うように宿を出られるかどうかだけであったが、事なきを得た。

▲ 釧路駅

 釧路は雨だった。ホテルを出て駅へ向かう数分の間は辛うじて小雨だったので幸いだったが、今日は北海道の真ん中を観光しようと思っていただけに、この天気とは頂けない。これも我が家族の死に対する涙雨の如きだと無理からに理由を付けるが、できることならば、青々とした夏空の下を旅したかった。

▲ 特急まりも号

 釧路駅の改札の前まで来ると、丁度札幌からの特急まりも号が到着したばかりで、改札口は混雑をしていた。改札口の喧噪が静まるのを待って、昨日求めた復路専用乗車券と東根室から塘路までの乗車券を提示してホームへと向かった。階段を下りて地下道を渡り、3番線へと向かう。2番線には根室行きの快速はなさき号が出発を控えており、向かいの3番線には私が乗車する網走行きの普通列車が停車していた。確かにこのように並んでいると、網走行きと根室行きを間違えた昨日のお婆さんにも同情せねばならないだろう。果たして昨日の場合は、このように並んでいたかは今となっては定かではないのだが(釧路行きはさらに隣の4番線、5番線からも出発するため)。

▲ 普通網走行き

 5時59分、網走行きの普通列車が出発した。雨中をエンジンを唸らせてゆっくりと速度を上げていく。乗車率は少なかった。まりもからの乗り継ぎ客もいると、夏場は結構な乗車率となることもあるが、夏休み前でしかも平日とあってはさほどでもないのだろう。釧路川を渡って、東釧路からは釧網本線に入る。雨粒で窓の外が見えにくくなっているから、昨日、ノロッコから見た景色は思うように拝めない。釧路湿原駅には6時17分に到着した。

3.2 最長片道切符の旅 本編再開

▲ 釧路湿原駅

 釧路湿原は、本降りの様相を呈していた。釧路行きの普通列車の到着まで30分弱あるから、雨が降っていなければ荷物を担いで展望台へ行ったのだが、今朝はそういうわけにも行かない。無人駅とはいえ、立派なログハウス風の駅舎であったのは不幸中の幸いというべきだろう。益々強くなる降りに、雨を避けるにはありがたかったのである。北海道の無人駅となると、ホームだけのところや駅舎があっても、夜間・早朝は施錠されて中に入れないこともあるので、こういうときは助かる。

▲ 釧路湿原駅
▲ 雨の勢いは止まない

 駅舎の中のベンチに腰を下ろし、格子窓から見える雨だれをただぼんやりと眺めていた。その雨だれが尋常ならざる様子で下へと打ち付けるので、気になって外へ出てみると、駅舎のウッドデッキへと打ち付けているのだった。「雨だれ石を穿つ」という言葉もあるように、雨だれも同じ場所へ時間を掛けて打てば、やがて石にさえも穴を空ける、すなわち「継続は力なり」と同義なのだが、この滝のように打つ雨だれでは、ましてや石でなく木の板なのだから、そんなに時間を掛けずとも穴を空けてしまうおそれは十分に感じられた。現に打たれている部分は最近板を変えたようで、他の部分とは色が異なっていたのだった。

 列車の到着時刻が迫ると、遊歩道から赤い傘を差した制服を着た女の子が一人やってくる。こんなところに人家があるのかと思ったが、そう言えば数年前にこの近くの民宿に泊まったことがあり、ひょっとしたらそこの子なのかもしれないと勝手に想像する。しかし、釧路湿原駅は冬期間は列車が通過してしまうが、そうなればこの女の子はどうやって通学するのだろうかと思う。近くの細岡駅か遠矢駅まで車で送迎してもらうのだろうか。

 二人だけが駅舎の中で列車を待った。僕が地元の人であれば、多少の挨拶くらいはするのだろうし、また、逆に相手が年を召した人であれば「お兄ちゃん、どこから来たの?」などと話掛けてきてくれる可能性は否定できない。しかし、今回は、ただじっと黙すという状況ができあがってしまっている。目を合わせることもなく、お互いにただじっと黙して駅舎の中に雨音がひしひしと響く様子も、それはそれで情緒があると思った。

▲ 普通釧路行き(釧路駅到着後)

 6時46分、一両編成のキハ54形がエンジン音を唸らせてやってきた。乗客のほとんどは学生であった。この列車は摩周駅を5時44分に出発した始発列車である。もちろん全員が摩周駅からの乗車だとは思わないが、それでも釧路湿原駅発が6時46分なのだから、相当に早い通学である。クラブ活動の早朝練習の類でこの時間の出発なのだと推測するが、よって、眠りに落ちている者も多く、車内は至って静かであった。

 そんな一人浮いた状態の僕は、最長片道切符の本編を再開した。このあと、釧路へと向かい、朝食の調達である。朝食はホテルで花咲かにめしを食べたのだったが、それは早朝4時半頃のことで、そろそろ小腹が空いてくるのだった。釧路川の鉄橋を渡ると、雨の釧路市街が見えた。

3.3 特別急行スーパーおおぞら2号

▲ 特急スーパーおおぞら2号

 釧路駅の改札を出ようとエスカレーターを昇っていると、1番線に札幌行きの特急スーパーおおぞら2号が入線した。北海道の長距離特急は数あるが、僕の中ではこのスーパーおおぞら号が北海道を代表する特急列車の地位を有していると思っている。まさに女王的存在なのだ。かつては、函館発着のおおぞら号もあり、国鉄時代からも随分と肝いりを受けた存在であった。振り子型の新車両投入こそスーパー北斗号に先を越されたが、後発でさらに新型の車両を投入されたこともあり、設備はスーパー北斗よりも格上の感がある(スーパー北斗にも同型車を一編成投入している)。

 撮影に勤しみ、肝心の第2朝食を仕入れるのを失念してしまっていた。1番線の駅弁売り場で何にしようかと迷っていたが、少々の小腹を満たすためだけだから、豪勢な駅弁は不要だ。なければ、車販でサンドウィッチでも購入するつもりでいたから、ここで買わねばならないこともあるまいと、店を後にしようとしたとき、ふと小さなオレンジ色の箱が目に入った。「いか飯」とある。値段も470円と手頃で、試しにそれを購入した。

 釧路駅で朝ご飯を仕入れた後は、改札を一旦出て、KIOSKへと向かった。お茶を仕入れるためであるが、そこに「鍛高ラムネ」という瓶入りのラムネが売られているのを見つけた。白糠町の青紫蘇を使用しているといい、青じそのイラスト入りである。こういう珍品があると、僕は手を出さずにはいられない。

 その後、いか飯や鍛高ラムネをビニール袋に入れて、再びあちこちへと出かけてスーパーおおぞら号を撮影した。

 7時39分、特急スーパーおおぞら2号は、釧路駅を出発した。特急スーパーおおぞら号に乗車するのはおよそ一年ぶりのことだが、グリーン車の乗車となるとおよそ2年半ぶりのこととなる。グリーン車利用といっても、これまでは北海道フリーきっぷ(現・北海道フリーパス)での利用だったから、今回のように通常の料金を支払って乗車するのは初めてのことであった。グリーン料金を払ったということで、これまでにない気分の高揚があったのは事実だった。

 アテンダントのドリンクサービスの注文や普通車にはない雰囲気は、これまでに何度となく乗車して慣れているはずであったが、きょうは些か質を異にするようにさえ感じる。私は、アテンダントから膝掛けの毛布を借りた。

▲ 鍛高ラムネ
▲ いか飯

 鍛高ラムネの故郷、白糠を出てしばらくのこと。車窓にこの天気で荒れた太平洋が見えだした。私がいか飯を食し、鍛高ラムネを飲もうとしたときのことである。鍛高ラムネは、いわゆる一般に販売されているラムネ飲料のように、ビー玉が栓になっているタイプのもので、これをキャップになっているパーツで瓶の中へ押し出すことによって開栓するというものである。さて、どんな味なのだろうとそればかりが気になって、いざ力を込めて開栓すると、瓶の中からラムネが一気に噴出して、膝上の毛布がそれを受け止めた。辺りに紫蘇の良い香りが漂うが、当事者としてはそんな悠長なことは言ってられない。すかさず鞄からタオルを取り出して、拭い取った。考えるに、ラムネ購入後にあちこちに撮影に行ったときに、無意識のうちに瓶を揺らしていたのかもしれない。半分ほどが残ったが、僕はそれを飲み干した。意外に炭酸が強く、多少の揺れでも噴射する恐れがあるのだと感じたが、時既に遅しである。味の方は紫蘇の風味が口の中いっぱいに広がり、炭酸の爽やかさで美味しい。次回は噴出しても問題のないところで飲みたいものである。この後、アテンダントのお姉さんに丁重に謝っておいたが、笑顔で「お気になさらないでください」と言ってくれた。

 帯広を過ぎても雨は止まず、それどころか幾分その強さを増しているようだった。列車は新得を目指して快走する。

3.4 狩勝峠を走破

 新得は強い雨が降っていた。狩勝峠の東、すなわち十勝側の麓の町であり、その玄関口たる新得駅は根室本線と石勝線の分岐駅で特急も停車する駅だからそれなりに大きい。と言っても、いわゆる分岐駅の様子はなく、実際に分岐している場所はずっと先にあって、スーパーおおぞら号などの特急列車はこの駅を過ぎて九十九折りの上り勾配の先にある信号所で石勝線へと分岐していく。

 僕がここで特急を降りたのは、僕のきっぷが根室本線経由であるためである。しかし、もう一つの目的があって下車をしたのだ。それは新得駅の名物である駅蕎麦を食べるためである。

 早朝から花咲かにめし、いか飯を食べておいて、まだ食べるのかと思われるかもしれないが、旅人としてここ新得に来たならば、須く食していただきたいくらいの逸品なのである。北海道にはかつて、三大駅蕎麦として、宗谷本線の音威子府、旧深名線の幌加内、そして根室線の新得の駅蕎麦が挙げられた。特徴的なのは、いずれも手打ちの生そばを使用していることにある。しかるに美味くないはずがないのだ。前述の通り、今回は既に音威子府に立ち寄ったものの開店前とあって蕎麦にありつけることはできなかった。

▲ 新得駅の駅そば

 改札口を出て右に行くと、暖簾の掛かった蕎麦屋がある。この天気だからか蕎麦屋にはおばさんが一人いるだけで客はいない。てんぷら蕎麦を注文する。やはり美味い。聞けば、駅前の蕎麦屋が出張して販売しているので、そこの店のものをそのまま使っているのだという。すなわち、蕎麦屋の蕎麦なのであるから、美味いのである。

▲ 快速狩勝

 10時12分、新得から快速狩勝号滝川行きに乗車した。キハ40系一両でワンマンカーである。愛称付きの快速列車がワンマン運転とはいかにも北海道らしい。車内は混雑をしていた。

 新得を出るとすぐに上り勾配にさしかかる。ヘアピンカーブを行ったり来たりしながら勾配を上る。特急列車は割にスムーズに上っていくようだが、それでもエンジンを唸らせる音は通常のものとは異なる。ましてや国鉄時代の一般型気動車ではそのエンジン音はそれ以上に大きく聞こえる。そして、その割に速度は上がらないから、このまま続けばオーバーヒートでエンジンが火を噴くのではあるまいかとさえ感じてしまう。それくらい延々と勾配を上るのだ。

 快速の愛称にもなっている「狩勝」は、石狩と十勝から一文字ずつを取ったもので、石狩地方と十勝地方を隔てる峠の名前である。かねてより急勾配の連続する区間であったため、ここを越えるのには苦労を要した。今でこそ気動車がディーゼルエンジンを噴かしながらであるが、当時は蒸気機関車が主流であった。蒸気機関車は大量輸送機関としては画期的な発明であったが、勾配には弱かった。とりわけ蒸気機関車にとって勾配、特に上り勾配は運行上の課題であった。当時は容易くトンネルを通す技術などは確立されておらず、長距離のトンネル建設は現実的対処ではなかった。そうなれば、峠を越えるために線路を敷設しなくてはならない。蒸気機関車の出力を考えれば、そんなに急勾配な敷設はできないが、急峻な山岳地帯の多い、狭い日本のこと、緩やかな勾配で直線的に敷設しても峠は越えられない。そこで、先人たちの知恵は急勾配を緩和するための措置として、ループ線やスイッチバックを採用するというものだった。狩勝峠を越えるのもやはり至難であったため、S字カーブの連続と急勾配、スイッチバック、トンネルなどを織り交ぜながら建設したのである。峠付近は1キロ余りのトンネルを開通させたが、緩やかな勾配で工事をしていけば、10キロ以上のトンネルが必要だったろう。難工事であったため、開通までに3年半を要したという。1966年になって現在の新線に切り替えられたが、それでもこの峠を越えるために大きくヘアピンカーブを設置することで勾配の緩和をしている。

▲ 狩勝峠(新線)付近の車窓

 かつての根室本線は、この狩勝峠を越える際(峠付近はトンネルであったが)、十勝平野を臨む絶好のビューポイントがあり、篠ノ井線姨捨駅の善光寺平、肥薩線矢岳峠からのえびの高原などと一緒に、日本三大車窓の一つに数えられた。現在、新線に切り替えられた後も、十勝平野を見渡すことはできるので、寝ていては勿体ない車窓の一つとなっている。しかし、きょうは、生憎の雨。眺望は期待できなかった。

 トンネルの中で石勝線との分岐点を通過し、トンネルを抜けると落合駅だが、快速列車は通過をする。この落合駅は山間の小駅だが、富良野方から来た列車の折り返し駅として使われる。旅程を検討する際、一駅くらいなら新得まで行ってくれればと思うこともあるが、落合・新得間28.1kmあって、たかが一駅、されど一駅の状況となっている。

 映画「鉄道員」のロケ地となった幾寅駅を過ぎると、やがて右手の車窓に金山湖が見えた。幾分か雨も降り止んできたように思う。布部の駅を過ぎると、富良野の盆地の中を進む。僕は、その富良野駅で下車をした。

3.6 中富良野駅へ

 富良野駅は雨が降っていた。昨年に訪れたときは中国や韓国などのアジア系外国人の観光客で盛況ぶりを見せていた。今年もその様子は変わらないようである。僕は窓口に立ち寄り、美瑛で使うツインクルバスのきっぷを購入して早々にホームへと戻った。

▲ 普通旭川行き

 11時45分発の普通旭川行きはキハ150形の2連である。この直後に富良野・美瑛ノロッコ2号が出ることもあって、ラベンダー畑や美瑛を周る観光客らはそちらへ乗車するから、先行して出発するこの普通列車には旭川へ行く客やその他一般の客の姿が目立ち、観光客は少ない。これが土日祝日や、青春18きっぷの通用期間だと、この列車でも混むのだろう。混雑を避けたいときは、簡単な話だが、シーズンオフを狙うのが良い。

▲ 中富良野駅

 7分の乗車で、中富良野駅に到着。降りたのは、僕を含めて数人であり、その中でも大きな荷物を持った観光客は僕一人であった。

3.7 富良野美瑛ノロッコ号

 中富良野駅は無人駅である。しかし、昨夏訪れたときは簡易委託といって、JR北海道からきっぷの販売を委託された外部の者によって運営されていた。閉鎖された窓口に貼られていた紙片によれば、今年の3月末日をもって業務を終了したとのこと。硬券の入場券や各種常備券、補充券などが発券できる数少ない駅であったのに残念である。今回、わざわざ立ち寄ったのも、それが目的であった。

▲ 富良野美瑛ノロッコ2号

 しかし、ラベンダーのシーズン中だから、駅舎内には臨時に観光案内所が設置されていた。夏季期間中に毎年臨時に開設されるラベンダー畑駅から徒歩数分のところにラベンダー他、多種多様な花々が広がる畑があって、主にはそこまでのガイドをしてくれるというものだ。僕は、そこで記念スタンプを借りた。押していると、二人連れの女性観光客が「スタンプ押してるんだ」と言う。「ここでしか押せませんから、記念になりますよ」と応えると、「良いこと教えてもらった」と喜んで押している。

 その後、富良野・美瑛ノロッコ2号が到着する時間となったのでホームへ行く。雨は止んでいた。茶色の客車が黄緑色のディーゼル機関車に牽かれてやってきた。僕は、自由席車へ乗り込んだ。

3.8 富良野美瑛ノロッコ4号

 ファーム富田の最寄り駅となるラベンダー畑駅は夏季期間中のみの臨時駅である。この近辺にあるラベンダー畑それ自体はファーム富田以外に町営ラベンダー園などもあるが、その知名度からこの臨時駅はファーム富田のための駅だと言っても過言ではないだろう。

 田園地帯のど真ん中にただ板張りのホームだけというシンプルな駅からも、ラベンダー畑を見ることができる。遠目に見れば、この天気の悪さで薄ぼんやりとしてはいるが、ラベンダーの色である薄紫色が一枚のカーペットのように感じた。

 駅を出て踏切を渡り、道なりに進んでいく。橋を渡って、右へ曲がると、ファーム富田の入り口が現れた。日本離れした西欧風の木造建築が並び、ラベンダーのテーマパークとなっている様子だ。

▲ ファーム富田にて

 多少の小雨を気にすることもなく、僕は花を撮影した。我が家でも猫の額ほどの庭に花を植えているが、ここの規模はそれとは比べものにならない。広大な敷地にびっしりと、そして幾何学的に規則性を有した植えられ方が美しさをより印象づけて、僕はそれに圧倒されて言葉もない。晴れていれば、夏の太陽の日差しでより鮮やかな色を楽しむことができただろうにと悔やまれるが、雨粒に濡れて雫を友にした花びらもまた瑞々しさが出て美しい。日本人は桜に対して開花してから散りゆくまでの刹那的な生き様を美しさとして見出しているが、僕なぞはこの外来種たるラベンダーにもまたそれと同種の感情を抱いている。それはまさにその日そのときでなければ見せない表情を見せてくれるからである。そこに一期一会のような意識さえも芽生えさせる。そういう意味においても、花は人を美しくさせてくれるのかもしれない。

▲ ラベンダーソフト

 天気が悪いと肌寒い。ましてやオホーツク海気団の勢力が強い今年のことだから、肌寒いわけである。それでも大荷物を抱えた僕はあちこちを歩き回るうちに身体がポカポカしてきたのだった。ふと目に入った屋台ではラベンダーのアイスクリームを売っているという。せっかくだから購入してみた。昨年は美瑛で食べたが、すぐに溶けることに気がいってて味の印象は残っていなかった。カップ入りのアイスを注文した。一口食べて、売り子のお姉さんに「レモン風味ですね」と言うと、少し考えて「そうかもしれませんね」と応えた。

▲ メロン

 ラベンダーアイスを食べ終えた後、調子に乗って、メロンを一切れ注文した。このメロンが瑞々しく、その上糖度も高く、旨いのである。こういうものを食べると、旅に出て良かったと思うのである。

▲ 富良野行きのノロッコ号が通過していった

 あちこちを撮影しながら見て回るうちに、雨脚が強まってきたので屋根付きのベンチへと避難をする。しばらく休んでいると、3人連れの女性が来て、「シャッターを押してもらえませんか」と言う。僕がカメラを持っている様子を見て、よくその手の声を掛けられるから、いつものようにシャッターを切る。デジカメなので、撮影した後に画像が現れるが、ラベンダーが白く飛んでしまっていたので、「あ、すいません、ラベンダーが上手く映らなかったようで・・・ラベンダーの方が負けたんですね」などと余計なことを言うから、「もう!」と笑いながらお姉さん方に突っ込まれる。

▲ きれいな花畑

 彩りの畑へいってみる。小高い丘を登っていくと、絨毯を敷いたように薄紫、赤、黄、白の花々の咲く丘に出る。もう1、2週間もすればさらに満開でぎっしりと花によって、茎や葉の緑が隠れるくらいに彩られるのだろうが、まだ少し早かったようである。

 時間を確認すると、美瑛行きのノロッコ4号の発車まであと20分足らずであった。僕は急いで駅へと戻った。

▲ 富良野美瑛ノロッコ4号

 駅の傍にある踏切の遮断機が下りた。駅へはこれを渡って行かねばならないが、ノロッコ号はラベンダー畑駅での乗降に時間を取られてすぐには発車できないから、僕はカメラを構えてノロッコ号を撮影した。遮断機が鳴り終わると、僕は走った。ノロッコ号の指定席車は先頭車だから、そこまで下車した客らをかき分けるようにして進む。ようやく乗り込むと、列車のドアは閉まった。

 三角屋根が特徴の美馬牛小学校や、美瑛の観光ポスターなどに使われた風景などの案内があった。

 僕は終点の美瑛で下車をした。15時03分着である。美瑛は雨の降った様子もないが、曇っていた。

3.9 美瑛を周遊して

 昨年、美瑛を訪れたときは、ツインクルバスの丘コースというバスツアーを申し込んで、随分と楽しんだ。今年もそのバスツアーを楽しもうと富良野駅でチケットを購入している。しかし、昨年と同じでは面白味に欠けるから、今年はコースを変えて「拓真館コース」を選んだ。拓真館とは、美瑛の美しい風景を写真にして全国に紹介した、写真家の前田真三氏の作品を展示・販売しているフォトギャラリーである。そこを経由して前後に新栄の丘、四季彩の丘などを見学、立ち寄りしていくのがこのコースである。なお、ツインクルバスは、JR利用者限定のバスツアーであり、例えば拓真館コースの場合、大人600円小人半額でチケットを買うことができる。

▲ ツインクルバス

 僕は、早速バス乗り場へと向かった。誰もいないが、JR北海道のハイデッカータイプのバスが到着すると自然と人が増えてきた。荷物をバスに預けて乗り込む。こんなときは可能な限り、最前列の方が良い。前面からの展望は、観光に来ている以上、それも楽しむポイントの一つとなるからだ。

 美瑛駅を出て、美瑛の街並みの中を進む。美瑛駅近辺の商店の軒下には4桁の数字が表示されている。これは商店を開店した年なのだと、ガイドのお姉さんが教えてくれた。

 バスには、各座席にコースガイドが数枚付けられている。いずれもこの拓真館コースについてのガイドでいずれも内容は同じだが、表記されている言語は異なる。日本語、英語、中国語、韓国語と用意されているが、近年目立つようになった外国人観光客を多分に意識していることの現れだと言えよう。

 バスは、5分ほどで新栄の丘に到着した。美瑛から南に下ったところにある丘で展望台もあるが、このコースでは車窓からの見学となる。丘の上から見下ろす風景は格別である。この天気だから、背後に見える山々には雲の切れ端が引っかかって、日本離れした風景の中にも、そういうところに水墨画のような日本らしさを感じてしまう。

 バスが各経由地までを走る途中もお姉さんのガイドは休まない。ここの畑は何を栽培しているだの、今は何の花がきれいに咲いているだのと、丁寧に説明をしてくれる。

 踏切を渡るとき、富良野線の長大な直線区間が見えた。しかも、単なる直線区間ではなく、下って上ってと立体感がある。この風景も中々本州では見られない。

▲ 拓真館

 次に立ち寄ったのは、拓真館である。先述の通り、写真家の前田真三氏(1922-1998)によってオープンされた写真ギャラリーである。前田真三氏が美瑛で撮影した風景写真の数々を展示・販売している。教会のようなその独特の形状は旧千代田小学校の体育館を再利用したものである。

 元体育館らしく、玄関先で靴を脱ぐ。フロアの数々には美瑛の春夏秋冬の風景が大きなパネルになって展示されている。ただあるだけの風景を写真にしたことで、美しさというものだけでなく、そこに宿る生命の息吹にスポットを当てているような印象を受けた。

 拓真館で風景写真に魅了された後、時間がまだ少しあるのを確認して、向かいにある四季の交流館にて牛乳を買って飲んだ。後味のスッキリとした旨い牛乳だった。

 バスに戻ってガイドのお姉さんと話をした。「どちらから来られたんですか?」などと言う会話から、話が弾んだが、「美瑛はどうですか?」との問いに、「見るところがたくさんあって、とても楽しいです」と応え、さらに「それに名ガイドも良いです」とまた余計なことを言うから、「もう!」と肩を叩かれる。

▲ 四季彩の丘

 バスは、四季彩の丘へと向かった。小高い丘は花々のテーマパークの様相で、ファーム富田とはまた違った雰囲気がある。わらで作った人形などが展示されていて、面白い。後部に車両を付けて、トラクターで場内を回る「ノロッコ号」など遊園地さながらだが、私が注目したのはバギーである。4輪のバイクで、指定されたコースしか運転できないが、グルッと一周する間に、バギーでしか見られない風景もあるという。

 早速、バギーに乗って回る。これが爽快であるが、速度を上げて運転してしまうと、あっという間に終わりそうで、所々で徐行したり、停車したりして、撮影しながら楽しむ。周りからは「あんなのあるんだ。乗ってみたい」などという声も聞こえる。

 四季彩の丘でコロッケを買って食べた。あちこちの売店などで数百円程度の旨いものを摘んで食べるのが何とも心地が良い。コロッケも120円くらいだから気軽に買える。しかし、こういうことをしているから、要らぬ脂身も付いていくのだが。

 バスは、車窓に三角屋根が特徴の美馬牛小学校を見て、午後5時には美瑛駅に戻った。ガイドのお姉さんと運転手のお兄さんに挨拶をして下車した。この頃に美瑛駅に戻って来られるのは、私にとって都合が良かった。美瑛からは17時20分発の旭川行きノロッコ号に乗れるからである。

▲ 富良野美瑛ノロッコ6号

 17時20分、美瑛駅を出発した。旭川まで直行するノロッコ号だから、富良野からの乗車、美瑛からの乗車もあって、車内は賑わっていた。

3.10 惜別のライラック号

▲ 旭川駅

 旭川に来るのは初日以来のことであるが、改札口を出たのはこの旅では初めてであった。旭川駅は現在再開発の真っ最中で、高架化に合わせていずれは現在の駅舎も取り壊されるだろうからと、駅舎の撮影をしに駅前へ出てみた。三角屋根が特徴の駅舎で、私は旭川といえば思い出す風景の一つだ。

 みどりの窓口で旭山動物園の記念入場券が発売されていたので購入しておく。合わせて、岩見沢までのライラック20号の特急券を購入。体育会の様子が伺える若い駅員のお兄さんがテキパキと画面操作をして発券をする。

▲ 特急ライラック20号

 特急ライラックは、古くは特急いしかり号にその淵源を見ることができる。1975年に道内発の電車特急として登場したものの、耐寒耐雪構造を装備して投入されたはずの485系1500番台がその不完全な耐寒耐雪構造のため、冬期に故障が相次いだ。そこで当時の国鉄は1980年に耐寒耐雪構造を強化した781系を投入し、愛称をライラックに変更、運行区間も札幌~旭川間から室蘭~札幌~旭川と延長した。その後、札幌~旭川間の特急として走ってきたが、2007年10月のダイヤ改正でスーパーホワイトアロー号と統合され、特急スーパーカムイ号となるのである。スーパーホワイトアローの785系はその後もスーパーカムイとして運用に付くが、ライラックの781系は、室蘭~札幌間を走る特急すずらん号と同様、引退することが決まっている。そこで、スーパーホワイトアローの785系よりもライラックの781系に乗っておこうというわけである。

 ライラックには札幌方先頭車の前半分を「uシート」として、普通車指定席としている。座席のグレードを自由席車と差別化してグレードを上げている。私は、きっぷの券面に「ライラック」の文字を残したかったから、今回はuシート利用である。

 旭川を出てしばらくすると、車内改札があった。若い車掌さんはきっぷを見るなり、「これって、一番長いやつですよね?」と言う。「そうですね」と応えると、しばらくじっと見ていて、「まだまだこれからですが、頑張ってください」と言う。いずれはこのような反応があろうことは予想していたが、そのような励ましの言葉を受けると嬉しい。僕は「ありがとうございます」と丁重に頭を下げた。

▲ 岩見沢駅

 徐々に日が暮れてきた。いつの間にか雨も落ちているようだ。列車は数分遅れて岩見沢に到着した。ホームには農業用の木彫りの馬が変わらずに客を迎えた。

3.11 満員の通学列車(帰宅)

 岩見沢は古くは函館からの列車が道東へ向かうのに立ち寄ったジャンクション駅で、函館本線を長万部で分岐した室蘭本線は、この岩見沢で再び函館本線に合流する。その後、函館からの道東方面へ向かう列車は千歳線を経由して札幌駅に立ち寄ってから函館線を行くようになった。さらに最近は、函館と道東を結ぶ列車がなくなり、釧路方面へは札幌始発で石勝線を経由して行くから岩見沢を通る必要もなくなった。したがって、現在の岩見沢駅は函館本線の単なる途中駅の一つとなってしまっている。広い構内が往時を偲ばせる。ただ、依然として室蘭本線は岩見沢駅から分岐している。本数こそ少ないものの、普通列車が運行されて、通学の重要な足としての役割を担っているのである。

▲ 普通苫小牧行き

 僕が一番線に到着すると、既に一両編成のキハ40形気動車が停車していたが、デッキも含めて満員であった。こんな状況で大荷物を持って乗り込むのは憚られるところだが、そうも言ってはおれず、無理からに乗り込んだ。一つ一つの駅に停車していくと、徐々にではあるが車内に余裕が生まれる。20分ほどしてようやくデッキから中へと移ることができた。そのうち、ボックス席にも座れるようになり、追分駅に着く頃には車内はガラガラとなっていた。

 沼ノ端の手前で千歳線と合流する。最長片道切符のルートでは、沼ノ端から千歳線に乗り継いで札幌方面へと向かう。しかし、僕は今夜は苫小牧で一泊しようと決めているからそのまま一駅先の苫小牧へ向かった。

▲ 復路専用乗車券

 苫小牧では、釧路と同様に、復路専用乗車券を購入した。これもまた苫小牧まで来た目的の一つであった。今夜の宿は、駅から徒歩10分程度のところにあるホテル杉田である。家庭的な雰囲気のホテルで、何よりも温泉が良かった。この旅初の洗濯をして、今夜は早々に就寝した。


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