見出し画像

神さま

生きていることをよろこべる方法が、自分が枯らした花のミイラをながめることしかないのは空想ではなくそうなのだ。花屋に行っては花を買い、せっせと植えて水をやり、朝も昼も夜も雨の日も水をやり、それから自分が飲んだコップの水が余っていたらそれもやり、土が流れていっても構わず水を、やがてたぷたぷになった鉢のなかで花が腐ってしまうころ我にかえると、ぱったり水をやらなくなって、そうして花はミイラのすがたになってしまう。
 茎のようなところにぶら下がった花のようなものを指でつまんでちぎり取る。ぷちっと音をたてたがるようにして静かに取れた名前もわからない花のすがたをピントをずらして眺めると、時間をかけて育てたつもりの自分の持っているすべての水を与えた花が腐って枯れたことについて、どうしようもない安堵のきもちが湧いてくる。意味はわからないが、たしかに自分が生きていることをその瞬間だけはよろこぶことができるのだ。花には悪いがどうしようもなくうれしい。そのために働いて花と水のための金を稼いでいるといっても恥ずかしくないくらいだが誰にもこのはなしをしたことはなくて、そのほうがきっと自分にとっても誰かにとってもいいのだろうと知っている。
 
 気味のわるい日記みたいなものを拾ってうっかり読んでしまったから今日は朝から憂鬱です。彼氏はめずらしく部活の朝練に行っているみたいでせっかく早く来たのにわたしは教室にひとりで居ます。脚のマッサージでもするかと思ったけど朝だから全然むくんでないし意味なかったです。なんか最近せなかにほくろあるよって友達に言われて初めて気づいて、自分じゃ見えないから彼氏に見てもらおうとしてたけど今日はなんかなんで買ったかわからないパイナップルの房柄のキャミソール着てるのでやめようって思って、思いながら学校の前のパン屋の駐車場を横ぎったら赤い手帳があって拾ったのがさっきの気味のわるい日記です。声かわいくなりたいなあって、わたし声が全然かわいくなくて、あらためてごみ箱ひきずったときの音みたいな声してるよねって妹にもいわれたし、かわいい声で話す練習をしたくて拾った手帳の中身を音読してみました。そしたらなんか変な人の日記で、憂鬱な気分になりました。

 神さま、わたしはポストですがなにか気味のわるい日記と少女の馬鹿な落書きの書いてある手帳をふいに放り込まれて、すごくお腹が痛くなりました。わたしは何か悪いことをしたのでしょうか。いつも赤く、赤々として、犬に吠えられてもただそこに、いることに誇りをもって生きております。それは現代のポストとしてふさわしくない姿勢だったのでしょうか。

 犬に吠えられたら、おい。と低く怒鳴りかえすポストに、わたしはなるべきだったのでしょうか。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?