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占いの先にどんな未来がまってるの?

月曜の、唯一の救いは「しいたけ占い」である。こう言い切ってしまっても大げさではないほど、「しいたけ占い」を楽しみにしている。

もっとも、読んだ時は「ありがとう、しいたけさん! 今週もがんばる」と感謝の気持ちでいっぱいなのだけれど。数時間もたてば今週の占いの結果をあんまり覚えていない。

ただ「今週もがんばろう」と思わせてくれる、しいたけ占いにはずいぶんと助けられている。

しいたけ占いは基本的には星座別に行われているけれど、占いにはいろんな種類がある。血液型や手相、人相、四柱推命、タロットなどカードを用いるもの……。ほんの少し例を挙げただけでも、多種多様だ。

木内昇さんの「占(うら)」という小説は、占いに翻弄されるさまざなな女性がでてくる。とはいっても、全員が「占ってもらう」立場じゃない。

占いの館に通い詰め、いろんな占い師に鑑定してもらう女性もいるが、自身が占い師になってしまう女性もいる。また、ひとくくりに占いの部類に入れてしまっても良いものか分からないけれど、口寄せという死者の声を聴きたがる女性も出てくる。

登場する女性たちは、様々な悩みを巡らせている。自身が占い師のような立場になった女性も、やっぱりそれなりに悩みがある。自分以外のだれかに、自分の未来を教えてほしい、悩みの解決策を教えてほしいと考えるのはいつの時代でも、変わらない。また、占いで解決したいと考える悩みも、それほど大きく変わるようなものでもない。

たとえば、恋人の気持ちどうなっているのか、片思いの彼の気持ちを知りたい、家族の気持ちがわからない。全部人間関係の悩みだけれど、こうした悩みはどの時代にも変わることなくあり続ける。

本の帯にある「恋も仕事も占いで楽になると思っていたのに……」。

この「のに……」こそが、占いを妄信する恐ろしいところ。占いで何もかもが上手くいく、と思ってしまうのが、すでに袋小路に入り込んでしまっているのだけれど。

この小説に出てくる女性たちは、自分の心の中にこしらえた迷路の出口をさがしている。この先は行き止まりだ、どうにも抜けられそうにないと感じているのに、進まずにはいられない。そうして、ちょっと立ち寄った占いに頼りたくなる。

占いは「当たる当たらない」といった賭け事のようなものではない。統計学の一種であると考えておくほうが良いのだと、どこかで聞いたことがある。深みにはまらずに、適度な付き合い方がいいのだろう。

と言いつつも、それでも「占いの結果が良いものでありますように」と願わずにはいられない。小説に出てくる、女性たちのように。






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