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銀木犀のかおりを、わたしはもう思い出せない。

三連休で久しぶりに大阪の実家に帰省した。六月、大阪で地震が起きた直後に父の見舞いで帰省した以来だ。

家に帰り着くまでの道中、電車やバスの外に広がる屋根の上には、まだあちらこちらにブルーシートが被せられていた。地震と、なつのあいだ毎週のように日本にやってきた台風の影響は思いのほか大きい。

わたしの実家でも、ベランダの屋根がべりべりと剥がれ、木の枠組がむきだしになったままだったし、屋根瓦が何枚か落ちてしまい、一時的にシートを被せていた。

「工務店にお願いしてるんやけど、毎週毎週台風やろ? 足場組んで作業せなあかんし、予定が伸びてしゃあないわ」
父も母も、なかなか工事できずにいることに少し不安な様子だった。けれど、台風やら地震やら自然の中で人間は暮らしてるんやから、しゃあないなあと、どこか諦めた様子もあった。

バス停から実家まで、五分くらい歩くのだけれど、金木犀の香りがあちらこちら、道いっぱいに広がっていた。

暮らしているときには気にしていなかったけれど、通りに面したほとんどの家の庭先には金木犀の木が植えられていた。秋のこの時期に、この道はこれほどまでに強く甘い香りに満たされていたのかと、はじめて気がついた。

わたしの実家でも、小さな金木犀が植えられている。窓を開けるたびに甘い香りを思いきり吸い込んだ。

ただ、わたしの実家には銀木犀の植え込みがある。銀木犀は、金木犀よりも半月から一カ月くらい遅い時期に花を咲かせる。白くて小さな花で、強い香りを漂わせるのだ。

銀木犀の木は、あまり見かけない。確かに、とげとげした葉は手入れをするときに肌に刺さる。剪定をするときに、ちくちくと刺さる硬い葉には少しだけうんざりとしたものだ。

帰省するタイミングが合わないせいだろうか。銀木犀の花が咲いている記憶が、ぼんやりと薄らいでいる。花の香りは、どんなものだっただろう? なんだかもう、思い出せない。金木犀に似た、甘い香りだったはずなのに。

実家からまた神奈川へもどる日に、銀木犀をみていたら小さな白いつぼみをつけていた。鼻を近づけてにおいをかいでみると、すこしだけ甘い香りがした。けれど、まわりに漂う金木犀の香りと混ざり合ってしまって、銀木犀の花の香りだけをにおうことはできなかった。

最寄りのバス停は時間が合わず、すこし遠いバス停まで歩いていく。以前はどこかの会社の持ちものだった団地が解体され、新しい家がたくさん建っていた。その家のあたりを歩いていると、金木犀の香りはどこからも漂ってはこない。

新しいおうちを眺めながら歩いてみると、確かにどのおうちにも金木犀は植えられていないし、鉢植えにもされていない。車が停められるスペースが広く取られているためか、家のまわりにぐるりと囲んでいる場所を庭と呼ぶしかないのだろう。昭和や平成の時代に建てられた家は、庭に金木犀を植えるというのがわりと一般的なことだったのかもしれない。けれど時代が変わっていくなかで、町並みだけがかわらないはずがない。

金木犀の香りですら、いつの日にか懐かしいと思う日がくるのだろうか。そう思うと、すこし、さみしい。

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