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知らないことは、興味がなくなってしまいやすいけれど。

昨日ワールドカップの日本対コロンビア戦、すごく盛り上がっただろうなと、朝起きて結果を知る。私は前半始まってすぐにコロンビアの選手がレッドカードで退場したと、yahooのリアルタイム速報を見たところまでは起きていたものの、睡魔との戦いにやぶれ、布団にくるまってしまった。

今回のワールドカップが開催されてから、まだ一度も試合を観ていない。サッカーに興味がないなら見ない、というのは確かにそうかも知れない。しかし「興味がない」の原因として「ルールをよく知らない」というのもあるのだろう。

サッカーの場合、ゴールにボールを入れる。ゴールキーパー以外は手でボールを触ってはいけない。この二つのルールが分かっていたら、細かいところまで知らなくても、多分楽しめるはずだ。はっきり言って私が知っているサッカーのルールはこの程度だ。選手それぞれに課せられているポジションについてはゴールキーパー以外はよく分かっていない。

サッカー以外、例えば野球なんかでもルールがたくさんある。ピッチャーがボールを投げて、バッターがその球を打つ。父が阪神ファンなので、幼いころから野球のTV中継を見る機会が多かったけれど、全然ルールが頭に入ってこなかった。ホームランがすごい、というは子どもでも理解できたけれども、ゲッツーという言葉をどんな場面で使っているのかはいまだにわからない。

サッカーにしろ、野球にしろMFがどんな働きをするのか、ゲッツーがどんな意味を持っているのか調べればすぐに分かる。けれど、その言葉の意味を知らなくても、単純にスポーツ観戦をするだけならばそれほど困らないはずだ。贔屓のチームが優勢かどうかが分かれば、たぶん問題ない。

ただ、私のように何となく観戦しているだけだと「あの選手の、中盤の動きの意味」とかは分からない。単純にゴールやホームランなどの得点に関わる動きしか追いかけることができなあし、ロングシュートのような目をひくスーパープレイばかりを追い求めてしまう。ただ、サッカーも野球も、得点までの過程にも意味があるだろうし、その意味が分かっていたほうが断然おもしろいはずだ。

これは、スポーツに限ったことじゃない。例えば将棋や囲碁もそうだろう。オセロほどに単純ではないため、ルールを覚えないと始められない。ルールというか、最低限の将棋の駒の動きが理解できたとする。けれども、将棋には振り飛車とか居飛車とか穴熊などとも呼ばれる戦術がいろいろあって、その戦術を知っていたほうが断然楽しくなる。

これは色々な分野で言えることだ。政治でもそうだろうし、歴史でも同じことだろう。読書も多分同じことが言える。私の夫は「読書=国語の勉強」だという認識が強い。そのため本を読むことへあまり興味がない。けれど、さくらももこさんが書いたエッセイ「もものかんづめ」は読んだことがあるし、おもしろかったという。気軽でおもしろい内容の本なら読んでもいい、とも言っている。おもしろい本の定義は人によって違う。けれど、夫にとって「おもしろいと思える本」がなにか、を知ることがまず大切なのだろう。世の中にある本のすべてに小難しいことが書かれているわけじゃないのだ。

すこしでも「知っている」ことができれば、それを足場にして、どんどん興味が湧いてくることもある。「それ、興味ないの。面白くないでしょ」と否定するのは簡単だけれど、「それ」についてどれだけ知っているのだろうか? いやいや、よく知りもしないで面白くないなんで言わない方がいい。「それ、あんまり知らないんだよね」と素直に言えばいいだけだ。

「なんとなく知っているけれど、詳しくは知らないもの」を向き合わせてみたらどうだろうか? というほぼ日のコンテンツがあって、これが非常に面白い。時々思い出して読みたくなるので、最後に紹介しておきたい。

知らない=興味がない、というわけではないのも事実であるが、興味の対象から外れてしまいやすいことも事実である。私自身、ちょっと興味はあるのだけど、なかなか足を踏み出せない物事がある。近々、講座が開かれるというので、思い切って申し込んでみた。しかしながら、その講座は人気があるため、おそらく受講生を抽選で選ばれることになるのだろう。結果はもうすぐやってくるけれど、はてさて、どうなることやら。


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